エルフの日々

誰にも「約束」された場所があり・・そして誰もがそこを目指して一生懸命歩いてる
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新 年 所 感

 新 年 所 感

 平成23年は、西暦2011年という年は、恐らく歴史に残るのだろう。
あらゆる意味で、それまでの世界観を変える事になる出来事が連鎖的に起きた。
私達は時に翻弄され、汚され、温かさを知り、痛みを鈍磨させた。
それは、新しい年になっても続いていて、そしてこれからも続く。
私達はこれからそんな時代に生きていく。


「闇(災害)の中に、すでに光(生まれるべき社会)がある。闇に突き落とされた人たち(被災者)の中に――。」
これは、ニューオリンズのハリケーン被災地で米国のジャーナリストが発した言葉である。
新しい年を迎え、私達が置かれている状況は、その問題の大きさからはっきり理解されないまま時間だけが過ぎ去っている。
危機を煽るつもりも、社会を悲観しているわけでもない。
私達にとっての「光」、生まれるべき社会とは如何なるものなのかを探りたいだけなのだ。


「クリエイティブ生活者」

 全てに於いて「結果責任」なのだと学んだ。
「想定外」とは、余りに愚かな言い訳であり、その結果もたらされる状況は無防備で愚かだ。
知らなかったでは済まされない。まず知ろうとしなければならないし、後の言い訳は単なる敗者の言分である。
これは何も学者や役人・政治家の話ではない。
これから起こる出来事の兆候は既に足元にあり、その兆候をフィールドから探る努力を惜しんではならない。
フィールドからの情報は、須らく吟味され、情報を皆で共有する事。
そこから新しい対策を紡ぎ出す事こそ旨としなければならない。
これからの時代は、個々の人間・組織・地域が夫々の生活エリアで問題を解決する新しい手法や発想を創造しなければならない。
とは言え、全てを見通せるわけもない。まして私達は全能からほど遠い小さき者達である。
しかし如何なる状況になろうとも、決して屈せず常に創造的に生きていくしか「結果」は得られない。
そういう意味で、私達は徹底した現場主義によるクリエイティブ生活者にならなければならない。


「共有」という思想
 
 少ない物資をより有効に活用するために、私達は「共有」する事を学んだ。
足りないものを均等に分け与えるのではなく、足りないものを持ち寄って不足を補った。夫々の役割に気がつき、力を合わせる事でより大きな力となった。
その大きな力は、端にエネルギーの大きさではなく、及ぶ範囲やそれまでの不可能を可能にできる力であった。
力を分散させるのではなく、集積し、より大きな力として皆で共有する。
それまでの常識を超え、所属を超え、そして新しい世界観を創造していく。
例え、立場や価値観の相違があったとしても、求める若しくは求められるニーズに従って
持てる力を提供し合い、力を発揮するフィールドを共有するべきである。


「コミュニティ」の強化
 
 ともすれば絶望的になる風景の中で、私達を救ったのは、隣人の存在であった。
それは家族であったり、同僚であったり、地域で共に生きる人々であったり、遠くで心配してくれる友人達であったり、見ず知らずの誰かであったりした。
思いもかけない、でも信頼に足るそれらの有形無形の繋がり。
それは、実は如何なる時代でも普遍なのだろうけど、それでもこんな時代だからこそ救われる温かさなのだ。
私達は、「繋がり」を学び再認識した。
その「繋がり」を仮に「コミュニティ」と言葉を置き換えて、これからを思考したい。
「コミュニティ」は、これまでの関係や社会的所属を超え、価値観や距離を超え、様々な形式で私達を繋いでいく。
そんな「繋がり」を強化し拡げたい。
地域で生きる生活者として、常に隣人との繋がりを形成する。
廃墟の中だからできたのではなく、その廃墟で見つけた唯一のこれからの糧なのだから。


「STAY DREAM」
 
 この10ヵ月、十分戦って来たと思う。
何千年かに一度の災害。終わる事のない原発事故。
夕べに別れを強制され、不条理に耐える張り詰めた意思。
長い年月をかけて積み上げて来たもの達を捨てなければならない悔しさ。
強いとか弱いとかそんなの関係なく、崩れる必然。
誰がそれを責められようか。
復旧は我々の責務だけれど、恐らく復興は次世代に繋がれなければならい。
世代を超えて、次の季節を待たなければならない。
挫けたら、休むしかない。泣きたい時は泣かなければならない。
次の世代の芽吹きを妨げるものが、最大の障害であり「悪」である。
とにかく、今を諦めず、できる事をできるだけやっていくしか手法がない。
諦めないために必要な事。「託す夢」を置く事。
「確かな明日」の積み重ねが、未来を希望する私達の唯一の武器。


 
 考えてみれば、私達は「闇」の中に、幾つもの「光」を見出している。
その「光」が、来るべき新しい世界に繋がる事を切に願う。
来るべき新しい世界を担う若い世代と小さな子供たちを育める社会。
世代間格差ではなく、世代間協力で新しい時代に臨みたい。
未だ定かならざる明日だからこそ、「闇」の中で見出した小さな「光」に賭けてみたい。


新たな年を迎え、私達は大きく舵をきる。

2012.01.04 Wednesday 20:54 | comments(0) | trackbacks(0) | 

今年のこと・来年のこと

今年のこと・来年のこと


平成23年。
我々フォーレストグループは、飛躍を約束されていた。
彼岸のフランチャイズサテライトが、合同会社地域ケア開発機構により始動し、6月には第一号の起業者を出すはずだった。
ここまで10年。
独りで歩き始めた時代から、夢を具現化するために走り続けた季節の結実。
一人一人の仲間たちが繋がり、新しい地域ケアを未来に向けて放てたはずだった。


あの日。あの日が来るまでは。


人知の及ばぬ所業。
人間の小ささなどとそんな悠長さは、感情の外にある。
圧倒的な理不尽。圧倒的な悲劇。
どんな形容詞でも追いつかない。
この世界を引き裂き、もう一度すべてを荒野に帰す所業。
ふざけている。 それはふざけすぎていた。
それが今年。東日本大震災だった。


ナビテレビの小さな画面に映された名取川河口を遡る津波。
一瞬で東サテライトに意識が飛んだ。
地震で崩れさったスパーに駆け込み、店に頼み込んで、ありったけの食料をダンボールにつめながら、沿岸部を走る訪問部隊を思った。
次々に浮かぶ最悪の状況。
本体司令塔が静岡に居ることを考えれば、一刻も早く、岩切のコクピットに戻らなければならなかった。


あの時、スタッフが皆無事でいてくれたことに感謝している。
誰も犠牲にならず、大きな怪我もせず、「大丈夫です。」と言ってくれたこと。
そして、職場を放棄せず、利用者や家族を想い、共に行動し、自らより他者を優先した行動を何より誇りに思う。
そしてその後全国から寄せられた沢山の支援。
その支援のお陰で我々は起動できたし、そして地域に物資を届けることができた。
寄せられたその想いにこれからも応えたい。「感謝」の言葉だけでは到底足りない。


「確かな明日作戦」が始動したのは、まだ街が復旧する前だった。
フィールドからの情報を皆で分析し、その対策を講じた。
自らが起動することと、現状を改善するのと並行して、全国からの支援を地域に運んだ。
岩切本社は一時、20名体制で生活することになる。
通勤するスタッフは、乗り合い送迎車で出社し、徒歩や自転車で地域を周った。
「災害時安否確認レベル表」は、その後余震や秋の台風の時に大いに貢献した。
3ヵ月毎に実施する「生活ニーズ調査」は、刻々と変化する地域の状況を露出させた。
必要と考えられる備蓄はいつでも地域に放出し、我々の業務を支援するだろう。
次々に降りかかる障害は、各事業部の連結を強化し、専門職間の連携とは如何なるものかを教えてくれた。


9ヵ月の期間で傷は癒えたのか。
守るべきものは、確かに守られているのか。
明日に向かって確かに飛びたてるのか。
我々が置かれている状況が、容易く変わるわけもない。
長く続く耐久レースに、仲間が倒れていった。
早朝出勤と夜なべして作った千羽鶴。
2人の主任の机の上は見たこともない程片付いている。
感情を制御できない時がある。不安に怯え、眠れぬ夜がある。
どうしたら「確かな明日」が見えてくるのか足掻く毎日。
私達は、そんな場所に居る。


県内及び被災地と呼ばれる地域は、猛烈な人口動態が起こっている。
復旧を復興と言葉換えても、変わらぬ環境。
仮設住宅に通えば通うほど募る重い想い。
事は阿武隈以南の話ではない。
次々に明らかになる福島第一原発事故の後遺症。
「知らない」では済まされない脅威が、そこにある。


生き残った者として、その義務を全うしたい。
次の時代を担う若い人達を守らなければならない。
医療・介護が立脚できる確かな足場を創っていくこと。
不安と疲労と戦いながら、長く続く私達の「確かな明日作戦」を遂行していきたい。
フォーレスト計画と、それに内在するサテライト計画を慎重に進めながら、次の時代に備えたい。
それが我々に与えられた存在意義と想う。


厄災と苦境の平成23年が間もなく終わる。
痛みと疲労に鈍磨した心と身体を癒しながら、我々は新しい年を迎える。
定かならざる「明日」だけれど、未来が垣間見える来年にしたい。
心からの感謝と決して独りではないという温かな想いを胸に、「明日」を迎えよう。

2011.12.16 Friday 20:58 | comments(0) | trackbacks(0) | 

わすれているもの

 わすれているもの


  もうなんど「これはなんなのだ」と口をついたことだろう。
もう十分過ぎるほどの不幸と悲劇を見た、聞いた、感じた。
暖かく安全な場所で語られる他人事の評論、言い訳、そして自らも誤魔化す言葉。
その風景や出来事の前では、塵のように軽く、無用なもの。
しかし現実は、どんなに息巻いてみても、力説しても、走ってみても、理解を越える。
悲しいかな人は無力である。

 
 この5週間休息は許しても、休日は許さなかった。
「確かな明日」が欲しかった。停まることが怖かった。
午前中に北の海岸を走り、午後に南の街の人々と話した。
朝にレポートを書き、夜にミーティングを繰り返した。
果たして「確かな明日」には、まだ遠い。


 仮設住宅を見つけることはけっこう難しい。
狭い山間地に創られたプレハブ団地は、まるでよそ者を寄せ付けない風情である。
介護用品や日常品の飛び込み行商は、想像通りの苦行である。
でも、仮設住宅にたどり着くまでに見る風景とそこに暮らす人々と話をするためには、恰好の課題である。
これからの長い月日を仮設で暮らす人々がたくさん居る。
私たちは頭では解っていても、仮設住宅が如何なるものか知らない。
仮設での生活が如何なるものか知らずに、そこでのケアは考えられない。
仮設で暮らす人々を理解せずに、私たちの存在はない。

 
  白石・角田・丸森の人々と話した日に、中学生の娘に問われた。
「とうさん、給食の牛乳白石なんだけど飲んでいい?」
放射線測定器と食品検査の数字を毎日確認しても、そこに安心はない。
全国に知られた丸森のチーズ工房が、注文の激減で今月廃業を余儀なくされた。
仙台湾で獲れた巨大な鰤は、買い手がつかずいつも売れ残っている。
仙台市内の飲食店は、日本海や九州から食材を調達する。
どんなに復興の旗を振っても、人々の不安は消えない。
11月23日、南部の人々は自ら立ち上がり、食品の放射能検査を始める。
「てとてと」
http://sokuteimiyagi.blog.fc2.com/ 南部の人々の克己。
敬意と喝采。これからを示唆する活動の拡大こそ、希望の光である。

 
  津波の最前線に建てた第二サテライトは苦戦を強いられる。
周囲の環境に馴染まない真新しい建物は、余計にスタッフを苦しめる。
新しいチームが熟成する前に立ちはだかる障壁の数々。
己が力を問われるプレッシャーと、問題に気づけない稚拙さと。
迷う必要なんかないのに。
津波エリアの最前線に立つ気概と、そこに生きる人々を想うこと。
利用してくれる人々やエリアの人々と話をすればいいのに。
誰のための仕事なのかに気がつきさえすれば路が開かれる。
ただただ応援する。ただただ支援する。ただただ君たちを想う。

 
  海のそばのヘルパーステーション。
津波で全てを失い一度は東京へ出た。
でも故郷へ帰る。仮設に入り、ボランティアで皆の床屋をかって出る。
今、住めない自宅を改修してもう一度会社を復活させたい。もう一度仲間との仕事を望む。
今週からフォーレスト行商隊の仲間入りしてくれた。
精一杯のエールを。自らのこれからとその地の介護を担う新しい力。
すべてを失い、それでも再び立ち上がろうとするその姿に、ただただ感動する。

 
 すべてが整っているように見える。何も変わらず何も不自由のない街。
痛みがどこから来るのか忘れ、時に傷口が開く可能性に目をつぶる。
痛みの認識がなくなることほど恐ろしいことはない。
私たちが忘れているものを、周囲の人々が教えてくれる。
すべてを失い危機に直に直面している人々が、小さいけれど強く確実な明日を教える。
今暖かく何も不自由のない街を出て、もう一度その地に立とう。
その風景から悲劇を想起するのではなく、新しい世界に向けて立ち上がる人々を想うこと。
疲れた身体と心を満たしてくれるのは、そんな人々である。


今夜は眠ろう。

2011.11.14 Monday 02:31 | comments(0) | trackbacks(0) | 

「海と風と町と」

 「海と風と町と」


走ったのだ。
彼は後ろも見ずに、ただ走ったのだ。


遅くにできた息子を笑顔で見つめる彼に、嘗ての悪童の面影はなかった。
その微笑は、それまで苦労して掴んだ幸せの一部であり、沈殿した想いであった。
激情にかられ、いつも失敗する彼を、何処か冷めた感覚で見ていた。
いい歳をしてと、揶揄するのは簡単だった。
恵まれぬ彼が、自分の居場所を見つけ、海辺に小さな家庭を築いたのはそれ程遠い話ではない。
漸く訪れた古い友の幸せは、彼を包む優しい人と、そして彼女と慈しむ小さな命。
よかったなと、言うこちらが温められた。


3.11。あの日。
後ろで制止する声を振りほどいて、彼は小さな居場所に走った。
絶望的な風景。迫り来る恐怖。震える膝。悪寒の止まらぬ背中。
漸く見つけた幸せと、大切な人と、代えられるぬ命。もう間に合わぬその場所。
それでも、彼は走ったのだ。


新しいステージが輝くものであったなら、もう少し報われるのかもしれない。
誤魔化しの効かぬリスクに、全て対策を立て、自分が守るべき全ての対象を想う。
常識的な説得も、無機的な学術的知見も、人々の不安には届かない。
建設的に振舞えば振舞うほど、強くありたいと願えば願うほど、自分の限界を感じる。


それでも、それでも後ろを顧みずに大切な人達を守るために走った彼を想う時、自らを戒める。
膝が震えても、笑われても、理解されなくても、疲れていても、ただ大切な人々を守りたい。
古い友に、揶揄される分けにはいかないのだ。


在仙の出版社が、広く宮城県民から寄付を募り、嘗ての美しいみやぎの海の写真集を発刊した。

【海と風と町と】
http://www.m-omoide.jp/


津波の写真集は眩暈だけを残すけれど、嘗ての美しいみやぎの風景は涙を残す。
古い友が散った場所が航空写真で写される。彼を想う。
県内書店及びローソンで販売されています。
なかなか手に入らない場合は、弊社へご連絡下さい。

2011.10.25 Tuesday 21:55 | comments(0) | trackbacks(0) | 

今のこと・これからのこと

 今のこと・これからのこと


 テレビやラジオで、あの日から半年たった被災地を伝える。
6ヵ月という時間が長いのか短いのか。身体的には長く、心情的には短く。
生活を再建するには短く、事の推移を見守るには長い。
終わり無き耐久レースは、人々を疲弊させる。
定かならざる「希望」は、更に心情を不安にしている。
いろいろあり過ぎた夏が終わり、荒涼とした風景に吹く風は変わっても、皆が背負う荷の負荷は変わらない。


 
「確かな明日作戦」は第3ステージに入っている。
余震を含め非常事態に最低限備える試みは、実行されている。
これは、いつか使うかもしれない防災ではない。
生活を保障する何ものかがない限り、この地で確かな明日は存在し得ない。
ハイリスクな状態の利用者やご家族の安心は、同時に私たちの安心でもある。
手動式吸引器は、県の指導を受けながら看護師がご家族とトレーニングを積んでいる。
未だに行渡らず不安に思っている方々は、どうか私たちに相談して欲しい。
在宅酸素を要する方々は、非常用バッテリーや予備ボンベのストックが為されたが、
それでも数時間の時間的余裕である。
ある公的会議で医療関係者が、業者任せの発言をした事に、憤りを超えてただ呆れた。
オムツ、非常用食材、水の確保は、2週間分はストックしたが、今後必要に応じた対応が、もっと広域で実施される必要がある。
在宅支援の活動は、更に車両をはじめ移動手段の確保が重要でる。
弊社車両は、夕方には全ての車両が満タンになって戻って来る。
ガソリンや燃料の確保は、日ごろから関係機関と綿密に連携を取らなければならない。
計画の実施に伴って、利用者さんやご家族と様々な不安を共有し、その共感から対策を実施する事こそ大事なのだと深く学んだ。



 地域内の状況調査は、第2回目が実行され、現在データ分析が進んでいる。
最も注目すべき事は、住所変更が為された利用者さんが全体の15%に達している事。
しかも、一度ならず複数回の住居変更を為された方々が少なからず存在する。
仙台市内は津波被害が東部に限定しているにも関わらず、相当な人口動態が起こっている。
これがもし沿岸部の市町村であったり、原発の影響を受けている地域であれば、更に大きな人口動態が起こっているだろう。
環境の変化に対応する事が如何に困難であるか、私たちはよく知っている。
少しの生活環境の変化で失われるものは、あまりに大きい。
入退院を繰り返す背景にあるものに、私たちはもっと敏感にならなければならない。
仮設住宅は、地域によりその色彩がまるで異なっている。
それまでの地域のコミュニティの力がそのまま反映している。
沿岸部や原発影響地域では、強制的にそのコミュニティが引き裂かれている。
状況に応じた支援体制と、十分な耐久力を持つシステムが待たれるが、恐らくそれは与えられるものではなく、自ら構築していく意外に路はないだろう。
長期的視点で仮設住宅や利用者さんの生活環境の研究が必要である。



 世情は混沌の中にある。
経済的不安は何処にでも存在し、大きな渦の中で皆が翻弄されている。
義援金や生命保険は失ったものの大きさに相関はしない。
今が精一杯で、次が見えない。
住む場所も仕事も地域の絆も失った多くの人たちの存在。
津波エリアだけでなく、密かに仙台の街中にまで不安は達している。
雇用を生む何かを興す事。単独ではなく協力しあう事。
得られる利益は、それが何であれ皆で分かち合い地域に還元する事。
それ以外に、この地で生き抜く術はない。
今月、福祉機器関連の経営者が会し、今後の協力関係を話しあう機会を得た。
三陸道と東部道路を使えば、北部沿岸部や南部被災地に新しい物流を起こせるだろう。
様々な業種の人々と繋がる事で、自らの専門分野に留まらない地域貢献が可能になる。



 放射能は既に身近になってしまった。
事は福島の人々だけの問題ではない。
子供たちが遊ぶ市民公園にホットスポットが存在することは、意外に知られていない。
既に仙台市内であっても、年間の被爆量が嘗ての基準を超え始めている。 
何より深刻なのは、市民が行政を信じていないことにある。
情報があまりにご都合主義に操作され、確かなことが分からない。
この地域に留まらない。この国の根幹に関わる大きな津波が今そこの在る。
右手に「復興」を左手で「防御」を。この姿勢にある事こそ人々の疲弊の根源である。



 蝉の声はいつしかすず虫の声に変わり、沢の鱒は婚姻色を帯びて錆びる。
今年鮭は川を昇るのだろうか。頭を垂れる稲穂は汚染されていないだろうか。
もう半年立つのだ。でも変わらぬ風景は、まだ半年なのである。

2011.09.19 Monday 23:35 | comments(0) | trackbacks(0) | 

彼の一歩

 彼の一歩


   震災から1月ほどして連絡が取れた彼は、奥さんと簡易宿泊所で生活していた。
それまで、彼はその町で比較的大きな店を出していた。
店は、それまで積み上げられた経験と、培った人脈で全国に知られる有名店である。
脱サラして20年。
恐らく独立して今の環境にまで店を育てるには、多くのドラマがあったはずである。


 簡易宿泊所の2人は、家族も家もそして全てをかけて育てた店も、津波に奪われていた。
物資のない時期だったので、埃をかぶったウイスキーボトルが差し入れ代わりだった。
一緒に飲みたかった。ただ黙って、飲みたかった。


 店は、見る影もない。泥土に埋まり、商品は流され、奪われ、廃墟であった。
残される負債を想う時、奪われたものを想う時、これからを想う力はそこにはなかった。
あの日、ついに彼の口から再建の話は聞けなかった。
途方に暮れ、悲しみ、悔やみ、怒り、そしてまた途方に暮れた。


 この夏、彼は瓦礫の中に店を再建した。
簡易宿泊所を出て、泥土を掃きだし、洗い、ガラスを入れ替えた店で生活してる。
話す彼の顔に笑顔が戻っていた。
「あのさ、仕事ないかな。」「この町で何か事業起こせないかな。」「働く場所必要なんだ。」
彼は、自分の店の心配をしていない。
彼は彼の町を、町の人々を心配している。
彼の一歩は、人生をかけてきたその店のある町の一歩と捉えている。
町の人々のために何ができるのかが、彼の一歩であった。


  あの日から間もなく半年たとうとしている。
混沌とした時代。不安とやりきれなさと疲労が、澱のように沈殿する。
不条理が重なると、義憤なのかただの怒りなのか分からなくなる。
自分の非力さと、小ささに呆れる日々。
ラジオから流れる昔の流行唄にふと涙が出たりする。
「確かな明日作戦」なんて、所詮自分のための安定剤だったかと、独り毒づく。


 そんな日常の中で出会った彼の一歩に、涙した。感動した。切ないほど感動した。
人が人を想う気持ち。誰かのために想いを馳せる。誰かのために力を尽くす。
未だ瓦礫と泥土に埋まり、進まない復興とまるで人事のように傍観する人々を嘆かず、彼らは自分たちの町のために一歩を踏み出した。
その姿に、癒され、励まされた。


 新しい季節が始まる。
新サテライトに伴い、フォーレストは大きく人事を動かした。
「確かな明日作戦」は、第二段階に入る。
皆、疲労が見える。十分がんばってきたこれまでの時間の代償である。
払われたその代償を想う。
私たちは、二歩目を踏み出す。

2011.08.25 Thursday 02:39 | comments(0) | trackbacks(0) | 

夏・空・海

 夏・空・海

 
  梅雨が明ける少し前に、仙台湾には南から黒潮にのって鰯が北上してくる。
その鰯を追って鯖や鰹やもっと大型の回遊魚が湾奥にまで回遊し始める。
照りつける強い日差しと、青と形容するにはふざけ過ぎる程の青い空の下、
海面に起こる鰯のナブラを追って魚も鳥もそして人も、夏を享受する。


 仙台湾で鯨やイルカが回遊している姿を観る事はそれ程難しくはない。
巨大なマンボウの昼寝に出くわす事もある。
紺碧の海面直下に大きなシイラや鰤が踊る。
夜、船中にこうこうと明かりを燈せば、大きな烏賊が群れて、
その下に船より大きな鮫を見つける。


 七ヶ浜の菖蒲田海岸、東松島の野蒜海岸の海水浴の賑わい。
松島の灯篭流しや石巻の川開きの花火は誰の記憶にもある。
夕日に照らされる南三陸の養殖筏。
口開けに当たれば、民宿で食べきれない程の雲丹が出る。
荒浜海岸の松林。遠く福島まで望遠できる仙南の砂浜。


  仙台の名物を問われ、牛タンと応える者は居ない。
仙台が宮城が誇る名物は海なのだ。
三陸の魚介。工夫を凝らした海産物加工。季節の魚で溢れる市場。
それがこの地の名物であり、私たちの生活の一部なのだ。
今年、宮城に海はない。
津波の記憶とその残骸は、私たちを海から遠ざけている。
鰯も鰹も烏賊も鮫も、イルカも鯨もマンボウも仙台湾に来ているだろうけれど、
私たちは海に行けない。
沿岸部には無人の野が広がり、瓦礫は片付けられたが未だ長い沈黙が漂う。
想像を超えた世界。皆その対処に苦しんでいる。


 黒潮は、鰯と一緒に別のものも運んで来ているだろう。
既に福島の海は壊滅している。
これまで南下していた放射能物質は、恐らく黒潮の北上に伴って仙台湾に侵入している。
私たちは、震災前の世界には戻れないのかもしれない。
私たちの海は、私たちの夏は、いったい何処に行ってしまったのだろう。

紺碧の海を、もう一度見たい。
塩釜や石巻の浜の空気を変えたい。
恐らく長い年月をかけて、私たちは私たちの海を取り戻すのだろう。
世界は、まだ終わっていない。

2011.07.28 Thursday 02:54 | comments(0) | trackbacks(0) | 

続13歩のレース「明日のための一歩」

JUGEMテーマ:介護

 続13歩のレース「明日のための一歩」

 
  この半年、彼がどんなトレーニングをしていたのかは知らない。
太平洋岸東北地方の高校生皆が背負ったハンディを、彼もまた受け入れていた。
震災から1ヵ月後
彼のホームグラウンドであるグランディ宮城スタジアムの傍を通った。
遺体安置所のスーパーアリーナの前で、彼は何を想ったのか。
当時何ヵ月かかろうと、この地で若い人たちが競技できる日が来ることを切に願った。
できるなら、被災し、犠牲になった方々やそのご家族と共に、深い傷を負ったこの地を、若い生を昇華するかの如くの躍動で鎮魂してほしかった。
残念ながら震災から3ヵ月を過ぎたけれど、彼のホームグランドは開場していない。

 
 400mの距離を障害を乗り越えて走る彼の競技は、野球やサッカーの様な華やかさも、バスケットやバレーボールの様な黄色い歓声もない。
6年間競技し、半年前に掴みかけた何ものかをもう一度確かめるために、彼はスタートラインに立った。
スタートラインの位置は、残念ながらグランディではなかったが、あの大震災から僅か3ヵ月で、若い人たちが競技できる環境になったことに感謝したい。
津波被災地域や大きな犠牲を出した地域から出場する選手たちの姿。
恐らく何の調整も、十分な練習もできなかったであろう被災した子供たち。
互いに境遇を理解したその視線の先にあったものは何だったのだろうか。
それは、観る者を応援する者をそして地域の人々に感極まるだけの感謝と感動を与えた。


 彼の13歩のレースは、その場で結実した。
何をするべきなのかを理解し、そのために情熱と努力を重ねた彼を誇りたい。
しかし、何よりも感謝したのは、レース後に自ら他の選手たちに握手を求める彼の姿であった。
レースの結果よりも、互いの健闘を称えた若い人たちに、私たちは確かなこの地の未来を見せてもらった。


 歓声も心ない噂も、目の前にある大きな障害も、深く傷ついたこの地を覆う暗雲も、
確かな明日を創る若い躍動があってこそ救われる。
私たちは、それを目前で観ていた。


 今日、私たちにとって確かな明日につながるニュースがもたらされた。
平成23年6月29日。私たちは新しいサテライトの建設を始める。
新しいサテライトは、フォーレストが目指して来た「専門職の地域独立」の第1号である。
仙台圏で多くの犠牲を生んだその地に、私たちは未来の第1号を創る。
自らのためにではなく、地域に貢献するための仕事。
この地の未来を背負う世代に、確かな環境を残す仕事。
そのために、今何をしなければならないのかを理解し、着実にその約束された場所を目指して努力したい。


平成23年。大震災の記憶と共に、私たちは確かな明日のための一歩を始める。
互いの健闘を称えることは、若い人たちだけに任せるわけにはいかない。

2011.06.23 Thursday 12:29 | comments(0) | trackbacks(0) | 

フォーレスト通信14 〜明日のためにその3〜

JUGEMテーマ:介護

 
「明日のためにその3」

   私たちが独自に調査した災害時生活ニーズ調査の分析結果が少し見えて来ました。

起こった事ではなく今現在起こっている事の片鱗が垣間見えました。

私たちは知らなければならないし、そして垣間見えるその事態からこれからを想像しなければならない。

悲しいけれど、もう二度と私たちは震災以前の世界に戻る事はないのでしょう。

私たちの地域は、嘗ての阪神大震災の時の様な地域一丸となるエネルギーはありません。

地域に格差が生まれ、人々は移動し、コミュニティは崩壊し、明日の不安に耐えなければならない。


想像してください。


無人に近い環境となった沿岸部。復旧など何処にもないし、その見通しもない。
人口動態が急速で、誰もその危機を訴えない。
高齢化ではない、老人だけの世界。


津波エリア付近に未だ相当数の人々が存在している事実。
人々を守る防波堤も侵食された土地もそのままの状態で、海岸線の見えるその地で家族を守らなければならない人々の存在。


停電になると同時に途切れる酸素。痰の吸引もできず、窒息に怯える人々の存在。


介護を担う家族に起こっている社会的な圧力。若しくはその存在。
誰が、その人たちと共に、その不安を共感するのか。


毎朝通学する子供たちの口元。食べ物の産地を気にするお母さんたち。
パニックを必死に堪えて故郷を想う人々の存在。


沿岸部から遠く離れた被災地。住む家はなく、途方に暮れる人々の存在。 
沿岸部だけが被災地ではない。今、その隣にある被災地。


偏る震災特需。資金繰りに苦しむ事業者。
手厚い保障の変わりに捨ててしまったプライド。働く意欲。


 世界が変わろうとしていることを想像しなければならないのです。
今私たちができることは、私たちが住むこの地の状態を知ること、そして次に起こるかもしれない危機的状態とその不安の軽減です。
人が生活するとはどんなことなのか。
調査結果をその一部を抉ったにすぎません。


「確かな明日作戦」は、利用者・家族向け対策が最小限で為されました。
最低限今の不安を減じる効果しかないかもしれませんが、弊社スタッフは日々そのために地域を走っています。
災害時生活ニーズ調査がもっと広範囲に実施されれば、更に規模の大きな対策が生まれるかもしれません。
協力頂ける方々をフォーレストはお待ちしています。
未だ見通せない明日が、少しでも不安の少ないものになるように、互いに協力しませんか?
それが、「確かな明日作戦」のテーマでもあります。

調査データ及び「確かな明日作戦」フォーレスト通信番外は、近日HP上で公開されます

2011.06.17 Friday 02:04 | comments(0) | trackbacks(0) | 

フォーレスト通信13「明日のためにその2」

JUGEMテーマ:介護

明日のためにその2

 
  前回お話した利用者生活ニーズ調査は、弊社の全ての事業部で実施しました。
 
調査の結果は、今月中に分析結果が出来上がりますので、公開致します。

 
  今日の河北新報朝刊の一面に、気になる調査結果が載っていました。

その記事は、被災地特に津波到達エリアに入る人々が、何の情報源も持たずにエリアに入
る事に注意を呼びかける内容でした。

そう。

実は未だに私達は、余震とそれに伴う津波の再来襲の危険を背中に背負っています。

加えて隣県福島の原発と放射能汚染に関する不安は、私達の地域でも如実にその影響を出しています。

既に福島のみならず、私達の地域は、エリア単位で人口動態が起こっています。

避難ではなく、生活環境そのものを別の地域に移そうとする動きが確実になっています。

進まない沿岸部の復旧。

行政は新しいビジョン提示をしていますが、何年もかかるそのビジョンに人々の生活はついて行けないのです。
 
 
  先日出席したある会議に於いて、気仙沼で医療班を指揮するドクターから、同市では65才以下の人口が急速に減少している事実、同市大島では65才以上と65才以下の人口が等しくなる状態が目前である事が報告されました。

所謂「2050年問題」。日本の年代別人口比率が極端になる問題が、今回の災害で一瞬にして起こってしまったわけです。

こういったエリアで今現在起こり始めている事象に、行政のみならず私達も気がついていないのです。

常に危機と背中合わせの状態で、その中で生活しなければならない人々。

壮大で素敵な未来の提示を受けても、今目の前の危機とその不安を軽減しない限り、私達は、本来の「復興」に向けて前進する事が難しいのでしょう。


 
  「確かな明日作戦」その2は、正に今そこにある不安を、自分達で出来る限り減らす努力をする事にあります。

利用者さんやそのご家族に対する災害防衛は、「利用者生活ニーズ」から抽出されたものを前倒しで出来る事から開始しています。

停電は、恐らく全てのエリアに共通の不安でしょう。療養生活に必要な医療器材はかなり電力を必要とします。

酸素。吸引。介護ベット。その全てにリカバリーできる対応を急がなければなりません。

排泄関連の問題は、個々の障害に合わせた対応が取れるように体制を整えました。

食料や飲料水に関する事。嚥下障害の方に対応する措置。
不十分ですが出来る限り努力しています。

働いているスタッフ達の安全も確保しなければなりません。

初期の起動から考えるのではなく、災害が起こったその瞬間から動ける体制が必要です。

津波到達アリアを巡回中の場合は、サービス提供中であっても利用者さんやご家族と共に
避難するよう指示しています。

又避難の経路や場所に関してもエリア単位でマニュアル化されています。

危機に際し、私達が落ち着いて行動できるように、たとえそれが無理でも、一人でも命を失わないように社内マニュアルは一新されています。

 
 
  災害防衛物資もマニュアルも細かい災害対策も、最低限ですが、傍にあります。

それでもこれから起こるであろう2次・3次災害に私達は対応しなければなりません。

明日を「確か」にするためには、今の不安だけに対応するのではなく、これから起こるであろう事象に如何に立ち向かえるかにあります。

壮大で素敵な未来は、未だ私達の生活の中にはありません。

「心一つに」はかけ声だけで、人々の実生活の中にその機運は起こっていません。

夫々が違った生活環境や障害の下に、地域が引き裂かれたままだからです。

私達は本当の意味で「心一つ」にならなければならない。

夫々が手を繋ぐために、何かが必要です。今は見えなくとも、私達はその手法を見出さなければならないのです。

もう、これ以上の犠牲はいらないと思います。
一緒に、これからを考えてみませんか?

2011.06.08 Wednesday 21:11 | comments(0) | trackbacks(0) | 
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