情けないほど無力でみっともないほど慌てふためく世の中を、久しぶりに体験している。
先の見えない明日におののいて、無意味に奔走したり、誰かを非難したり、弱いものをたたいたりする。震えがくるほど哀しく淋しい世情。
確かあの春もそんな感じだった。
誰かの損得や都合で犠牲が生まれるのならば、それは人の所業ではない。
不安や恐怖に縮む人々に仕方がないという愚か。
自分の非をごまかして犠牲を生む愚か。
想定外とうそぶいて義務を果たせない愚か。
自らの無知を隠して自らを誇張する愚か。
現在幾つもの愚かが、私たちをそして社会を蝕んでいる。
確かな明日はあるのだろうか。もう一度そんな想いに苛まれる。
昨年沖縄の西端の孤島を訪れた。
そこには自分の知らない文化があり、何より見渡す限りの青い海と手付かずの原生林に
とことん自分の無力を感じた。どう足掻いてもかなわない圧倒的な自然の力。
自分の器の小ささが寧ろ清々しかった。全てを背負う気になっていた自分の愚かさが笑えた。強烈に身を刺す日差しの下で、自分が浄化されていく感覚が嬉しかった。
2020 5月。
私たちのグループは、新しい事業と来るべき未来を夢見て、組織を大きく変化させた。
株式会社エルフ倶楽部を筆頭に、各法人をホールディングする体制を敷いた。
誰かの会社ではなく、より公器としての形へと変わった。
運営の思考は個から集団へと移行し、多岐にわたる現場を繋いでいく。
幾つもの現場が、共有する幾つものシステムで結合し、その役割を果たしていく。
森林は多種多様な生態で構成され、一個の有機的な塊として存在する。
小さなものから大きなものまで、一つ一つの役割を果たす事でその存在を現す。
我々はそんな集団を目指した。
今年から来年にかけて新しいプロジェクトも用意されている。
ぺデルぺス計画に裏付けされる確かな臨床ベースの仕組み。
医療法人と広域居宅事業をベースにした新しい情報伝達事業。
地域で「生活」していくための様々な仕組み。新しい働き方、暮らし方。
その一つ一つが、私たちの糧であり、未来へ繋ぐ道筋となるはずである。
そのための組織改革。そして未来へ向けての想いである。
その未来が今大きく歪もうとしている。
誰かの思惑や損得もあるのかもしれない。でもそんなものが消し飛ぶ程の変化が
現在起こっている。恐らく世界は変わる。
混沌の中で多くの犠牲の上に見えてくる未来とは如何なるものなのか。
2011/311あの時の危機と現在を比べるのは、何ら意味がない。
危機の類型も規模もそしてその意味も違う。
しかし危機に際して、私たちの反応は実は根幹の部分で相似している。
事の大きさが見えず、予測不能の未来に対する不安と焦燥を感じている。
「確かな明日はあるのだろうか」希望が見えなくなるとそこには不安と絶望しか残らない。
現在進行中のプロジェクトは、フォーレスト結社の目的を中核に、あの春を境に考えなければならなかった私たちの「生活」に力点が置かれている。
あの春から私たちに確かな明日は存在していなかった。一見何事もなく過ぎていく時間。
約束された明日は見えていたはずだし、大きな負債の存在は大分薄められていた。
本当はある日突然ではなかったのだけれど、それでも自分たちの立ち位置をある日突然気づかされた。不確定な明日になるなんて誰も考えていなかった。
その中で、私たちは「確かな明日」を目指して奮闘してきたはずである。
何ら迷うことなく、これからも未来を想定し、明日を確かなものにして行かなければならない。
それは一世代で終わるわけはない。
何世代もかけて獲得しなければならない長い道程なのだと思う。
次世代に繋げるプラットホームを、現在の出来る限りの力で創造する事。
混沌とした不安な世情で、私たちは強く想い、確かに歩まなければならない。
新しい季節が、混沌の世情から始まる。
雷雲が近づく中での船出の先に、きっと希望の灯を見つけたい。
皆でその灯を目指したい。今、そう思っている。
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ゆっくりと過ぎているようで、彼女と彼の時間はそう長くはないだろう。
漸く彼女の元に戻ったというのに。彼女だけの彼になったというのに。
彼は、以前のように彼女に話しかけたり、触れることはない。
わずかに動く瞼のサインだけで自分の意思を伝えようとする。
それが唯一彼の意識と彼女を結んでいる。
もう二度と動くことのない彼の手は、しかし暖かい。
もう二度と立てないはずなのに、しかし彼の脚は彼女には重い。
二度と言葉を発しない唇は、彼女が湿らせなければすぐに乾いてしまう。
それでも、彼女の言葉を耳で聞いて、わずかに重そうな瞼を動かす。
注意して見ていれば、唇の端が笑っていたり、怒っているように見える時がある。
少しの時間だけど、大きな車いすに乗せて小さな庭を見せると、眩しそうな顔をする。
コーヒーは飲めないけれど、においを感じればいい顔に見える。
彼らが置いていったラジカセで、好きな歌を聴いている。
夜は二人とも怖くて不安になるからと、小さな灯りも置いていってくれた。
二人で居れば怖くはないから灯りはたいてい必要なかったけれど、
何度もしなければ ならない吸引には便利だった。
春に華を観た。夏に蚊取り線香と花火のにおいを嗅いだ。
秋に虫の音を聞き、冬に訪れる親しい人たちの声を聞いた。
徐々に変わっていく彼の傍で、小さな出来事に一喜一憂して過ぎていく二人の時間。
少しずつ小さくなる彼の意識の反応は時に二人を不安にするけれど、
その反応がどうであれ二人が繋がっている生活の時間に変わりはない。
見て、聞いて、嗅いで、触れて。何に喜び、何が苦痛で、どこに希望を持つのか。
二人の時間の中で醸し出されていく理解と共感。
来年の華を観られるだろうか。子供たちのはしゃいだ声につつまれるだろうか。
コーヒーの香りをいつまで感じていられるだろうか。
でも、何より二人で繋がる時間がずっと続くことを二人は望んでいる。
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晩夏の浜辺で老夫婦が海を見ていたんだ。
ご主人は鼻にチュウブを入れていた。 それは、常に彼が酸素を必要としている証でね。
多分、年来の不摂生と肺の老化が原因の病なんだ。 酸素はリュックに入れて、そこから相当の量が彼の肺に強制的に入っていく。
滅多に外出なんかできないだろうね。 話しかけるとチュウブを鼻からとって隠してしまった。
プライドの高い方なのだろう。 でも、5分と持たない。 唇がすぐ紫になって、肩で息を始めた。
でも奥さんは何も言わない。 よく知っているんだよね、彼を。
小さな軽自動車のバックシートには、バスケットと古めかしい釣り竿が置いてあった。
運転席側のシートが極端に前にあったから、彼女が運転して来たのかな。
二人で家にばかり居るから、二人とも海が好きだから。 そう。多分二人で出かけようって話になったみたいでね。
二人とも笑っていた。 明日若しくは今夜、彼の呼吸は止まるかもしれないけれど。
二人とも笑っていたんだ。 幾年月二人で過ごして来たのか知らない。
けれど、晩夏の海で笑う二人の夏は、永遠に続くように想えた。
晩夏の夏にね。
]]>思想なき世界
誰もがこうなったらいいのにと考えるのに、現実の世界ではそうはならない。
それは、経済的な理由であったり、一部の強力な既得権益者たちの都合であったり、偉いと云われる人たちのプライドであったり、そんな理由が障壁になるのかもしれない。
若しくは、足元しか見えていないからかもしれないし、無知であったり偏った思考や幼さからかもしれない。
何れ、誰かの都合や声高に叫ばれる声に本来持たなければならない方向性や思考が育たず消されてしまうのなら、それは余りに無残である。
国道45号線を北上すると、大型トラックの往来が激しくなる。
あの日広域に破壊された堤防をさらに嵩上げして造っているのだ。
まるで城壁のように高いその構造物は、あの日襲来した大波に対する恐怖をそのまま映している。
インフラにどれ程予算が使われ、どれ程膨大なエネルギーが費やされているのか。国土を守り、人々をあの大波から守ろうとする思想。しかし、その堤防の背後に町は無く、ただ荒野が横たわっているだけである。
いったい何を守ろうとしているのだろうか。
沿岸で暮らす人々の糧を考えず、そこで生活する条件を考えず構築されていく構造物。
背後の荒野で雑草が風に吹かれる。
だから言ったじゃないか。
誰かの都合で決められた基準でいくら安全だと云っても、それは通用しない。
周辺の国々は、私たちが食べているこの地域の産品を買おうとはしない。
日に焼けたあの笑顔と生産者としての誇り。今は何処に行ってしまったのだろう。
ごまかして測定したその結果を風評被害と言い訳して開き直るその思想。
自分に都合のいい情報で商うのではなく、消費者の需要に応えてこその商いなのに。
東電からの補償は産品のブランド力を落とすだけである。
国も県も町も全力を尽くして建設した復興住宅。
風景にそぐわない近代的な鉄筋の建物群。
でも仮設住宅で暮らす人々は今も存在している。
家を失い、避難所で生活し、仮設で日々を過ごした人々。
力がある者からそのループから抜け出した。けれど今も残る人々に復興住宅の家賃は高すぎる。
誰のための何のための復興住宅なのだろう。復興とは人々の暮らしを言うのではなかったか。
同じ風景が若い人たちにも起こっている。
教育とは本来この国の次世代のために行われる行為ではないのか。
その次世代に卒業と同時に多額の債務を背負わせるその現実の先にあるもの。
何が大切なことなのか。教育という思想に全く合致しない利得の思想。
大人たちが子供たちから搾取するその思想に未来はあるのか。
際限もなく拡張していく同じデザインの街。
まるで誰かが同じ街のコピーを拡げている様な風景。
郊外の巨大スパーマーケット。駐車場の端から端まで歩くだけでいい運動になる。
売られている商品は何処でも皆同じ。同じ物流網から排出される大量の同一規格、同一商品。大量に飼育されている家畜宜しくのマーケット。
行き過ぎた資本主義というマザーボード上で繰り広げられる金融優先思想、利得主義と単なる不動産業思想の生活インフラ。
人の生活を何で計ろうとしているのだろう。
その虚飾された大規模マーケットの陰で、本来人々の生活や地域を支えて来た商店街が廃れている。
地域を定義しようとする時、市街地中心部とその周囲を同一には思考できない。
同じく、都市部と郡部を同義には思考できない。まして被災地と呼ばれる地域を理解しようとした時、
その地域に内在する課題を都市部と同義に定義できようか。
そこで暮らす人々の生活を考慮せず、机上で立案されるその場凌ぎの対策。
それはまるで無秩序に拡がっていくコピーされた記号の様な街並み。形成される箱に人々の生活は考慮されていない。
2011.311以前から社会には矛盾や問題はあった。しかしあれ以来その矛盾や問題は露出し、
隠しきれなくなっている。急激なシステム変更に人々は翻弄され、「それはおかしい」と感じながら「それは違う」とは言えなくなっている。
全体が下り坂を下っているから、どこか昇っている様な錯覚さえ起こしてしまう。
問題は犠牲が弱者だけに留まるのではなく、普通に暮らす人々にまで及ぶ出来事が起こり始めていることだ。
眼前に迫る大波を前に、無感覚にスマホ動画を撮る犠牲者と同じ運命が、今の社会にありはしないか。
ペデルぺスが安楽に過ごせるはずの水中を捨て、焼けるように熱く重さを強いられる陸上に進出したのは何故だろう。
言い換えれば、水中という環境から全く未知の環境に移行しなければならなかった彼らなりのパラダイムシフト。
2011.311が原因ではない。それは大きな出来事ではあったけれど、一つの起因に過ぎない。
随分と以前から、若しくは様々な要因を経て数十年かけて作られてきた流れだったのかもしれない。
我々の水中もまたパラダイムシフトの時に来ているのではないか。
そんな漠然とした、しかしある意味確信的に感じる変化に、現在の私たちが思考しなければならないこととは何だろう。
変化していく環境にどう適応しなければならないのだろう。
最初に創めることは、現状を理解しつつ、その変化に対応する概念の方向性を見い出すことではないのか。
古い概念に囚われることなく、誰かの都合で決められるのではなく、自ら新しい思想に気が付かなければならないのではないか。
美しい風景を隠す城壁のような思考ではない新しい風景が、そこにはあるはずだから。
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酒場の淀んだ空気とオールドジャズが心地いい。
重い科せを強いられて、動かなくなりつつある心と体から一瞬開放される。 少し疲れたのかもしれない。
煙草のけむりの向こうに、様々な風景が見える。
あらゆる局面でパラダイムシフトを迎えようとしているこの世界。漠然としたしかし確かに感じる不安。
あれから7年もたつのに。あれからずいぶんと歩いて来たのに。
確かな明日はそこにあるのか。次世代に責任を持って手わたせる何ものかを生み出せているのか。
その危機意識ですら薄らぐ時間の経過と距離。
私たちは未だ薄明りの世界を彷徨っている。
あの日をメモリアルにするには、未だ傷が癒えていない。
痛みは形を変えて存在するし、その最中に語られる言葉はどれも軽すぎる。
定かならざる明日は、意識の根底に不安を与え、身体に鞭を打つ。
抽象化された希望に意味はなく、具体的行動の中にしか光はない。
託すしかないのだ。 夢を託すしか手立てはない。
医療保険や介護保険がその一部しか使えなくなって久しい。 高額の自己負担に、本来必要な医療や介護は滞り、旧来の医療機関や介護保険事業所は破綻するものが少なくない。 激しすぎる人口動態に、社会は為す術なく、途方に暮れた。
一部の高額所得層だけが最先端医療の恩恵を受け、手厚いしかし出来合いの介護サービスを受けることができる。
まるで1世紀ほど昔に戻ってしまったような世界。
元々、人口の4割超の医療や介護を社会が引き受ける事など不可能だったのだ。
加えて、福島第一原発から放出された放射性物質の影響で、人々が健康を害したり、産業の滞りから地域の経済は大きく後退を余儀なくされている。 本来必要な医療や介護は、量的にも質的にも担保する保障を失っている。
家族が分断され、個としての生活が当たり前の時代。 既にここ数十年で、そんな生活様式を当然とした社会が眼前に拡がっていた。 人は病めば職を追われ、小さき家族の背に負われるしかない。
小さき家族はやはり社会性を失い、光を失くす。 家族・家庭の定義そのものを変えなければならない。失うものが大きすぎる。
共同で生活する彼らにとって、家庭は個であるが、生活は個ではない。
小さいけれど個を保障する代わりに、相互に役割を担う。
建物に囲まれた共有スペースでは、車椅子の老人が小さな子供達を視ている。
若い共働き夫婦が帰るまで、共有スペースで過ごす血縁のない老人と孫。
嘗て3世代4世代が暮らした大きな旧家の様相がそこにある。
今夜の晩御飯の担当は、今日が休日のお母さんで、同じ共有スペースで車椅子の子供を視ながら料理している。
ここに来て、夜勤に出るために子供たちを置いて出かけなければならないことなどなくなった。
老人も子供もなく、健常も障害もなく、共有される生活と役割。
朝になると、隣接する療養看護のスタッフがベットごと若しくは車椅子ごと皆を連れて行く。
夕方には迎えにくればいい。痛みなく、不安のない重度の病める人々。
夜中に何か起これば、皆が心配し、皆が最善を尽くしてくれる。
独りで最後を迎える残酷さから隔絶された安息の夜。
歩くための訓練ではなく、もう一度誰かの役に立つためにリハビリに励む人々。
PCを片手で操作できるよう工夫する作業療法士。
覚えた操作で、この共有生活の様子を外の世界に発信する。
賃金によらず、夫々が夫々の役割を持ち寄り、工夫して共同の生活を守る。
介護とは、実は与えられるものではなく、自己を含めた周囲の人々との関わりなのだと気がつく。
企業は、小さな共同生活を守るために何重にも連携を深める。
医薬品、安全な食品、生活物資。環境の維持とリスクへの備え。
小さきもの達を守る小さき組織の集合。
資本によらず、役割に応じた「結」の思想。
雇用を生み出すことを最大目標にし、人々に役割を作り出していく。
巨大で装飾されたものなど何も必要ない。
街は、1つ1つの小さき組織で埋められ、その小さき組織が連なって構成される。
多職種連携は、医療・介護の範疇を超え、今や生活を守る全ての職種が、あらゆる業態が多職種・多事行連携を織り成す。
個人も企業もその存在を許される。
不安なく、孤立することなく、病んでも老いても暖かな共同体の中で生活できる。
得体の知れない抑圧者や既得権益者の暴挙もそこにはない。
額に汗した者達が、安心して生きていける。光がさす。
そんな、そんな街になったらいいのに。
小さき生活者を、小さき者たちの共同を許す世界観。
生活を管理ではなく、主体性を持つ本来の活動に昇華できる環境。
私は夢見てしまう。
混沌としたこの荒涼とした震災後の世界に、そんな次の世界があることを。
私達が目指す次なる世界。そんな生活空間と環境を目指したいものである。
(2012年エルフの日々より)
あの頃を想い出すと、大きな危機を乗り越えようと必死にあがいていた自分とチームの状況が蘇る。
この7年よく乗り切ってきたと思う。よく歩き続けてきた。
震災前のチームは、医療介護制度を鑑み、自分たちの理想の追求に邁進していた。
小さな力だった。小さなチームだった。でもそれはゆっくりとした歩みではあったが着実に進んでいたと信じたい。
けれど、あの時から若しくは復興という命題に向き合わなければならなくなった時から、その歩みは根底から発想を変えなければならない事に気付き始める。
震災後乗り切ったはずの危機はその形を変え、想像を超える速度で拡がっている。
それは私たちだけの危機ではなく、私たちが暮らすこの地域の危機であり、この国の危機である。
ペデルぺスは、動物として初めて水中から陸上に進出した生き物だった。
水の中でしか生きられない生物が、環境の変化から必然的に陸上に上陸しなければならなかった。
必然からか、生き残るための条件からか、とにかく彼らはその過酷な手段を選択した。
その後の世界で覇者となっていく定めではあるけれど、水中から上陸したばかりのペデルぺスは、トカゲやカエルのように醜くそして鈍重だった。
水中よりも何倍も重い重力。自分の体重を支えるだけの筋力と四肢の獲得。
鰓から楽に酸素をとるのではなく、焼けるように熱い空気を肺で呼吸しなければならない。
それまでの安住の環境から生き残るために自ら過酷な環境に挑んだ生き物。
大きな変革期を迎えている私たちの環境もまた、これからを未来を考えれば劇的な思考の転換を迫られているのではないか。
力なく、小さき私たちがその未来に向かう条件とはどんなものなのか。
嘗て過酷な環境に適応するために、それまでの躯体を変化させ鈍重で醜いけれど全く新しい躯体を手に入れた彼ら。
いったい私たちが水中から陸上に這い上がるためには何が必要なのか。
そんなことを考えてみたい。そんなことを愚直に実行しなければならない。
煙草の煙の向こうに見える風景は、光を帯び始めている。
暗闇の中に光を見い出す。明かりを灯す。そんな日々をまた追ってみようか。
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誰かを責めたり、誰かを打ちたたきたくない。
あるがままの、そのままの今を見ようとしている。
それでも、この2年に何が変わったのか、自分が何をしてきたのか。
振り返ると、只々茫漠とした同じような風景の中を彷徨っている。
何処まで行っても敗戦処理。何処まで行っても満たされた例はない。
県北の某所。
激しい高齢化。跡継ぎのない田畑は作物を作るよりも、保障金をもらった方が金になる。
牛は食品基準を超えてもかまわない。全部買い取ってもらえるから。
子供の居る家庭と、居ない家庭との補償金の違い。
悲しいかなそれだけで、地域の繋がりはぎくしゃくしてしまう。
もう、二度と元には戻せない。
沿岸部某所。仮設の一角で。
力の限りを尽くして始めた養殖筏。でも売れない。
町に贈られた測定器。でも怖くて誰も量らない。
津波は2度来たのだ。ただ、2度目は人の起こした津波だった。
数千万の借金と共に、もう一度沈むのかもしれない。
最近、お寺と葬儀屋だけが忙しい。
街中某所。
仮設の横で進む再開発。
巨大で押しつぶされそうな建物群。新しい街。
生活の匂いはしないけれど、近未来を意識した大型ディスカウントスパーの群れ。
地盤沈下で悩む商店街。時代の波ではなく、人為的な波がここにも存在する。
有象無象が織りなす人間が吐き出す垢の縮図。
産廃業者が引き取りを拒む程の汚染が、ただ蓄積される。
都内国立某所。
放射線の影響は、そのエビデンスが確立していない以上何も言えない。
廃棄物の処理場は、地元に決めさせればいい。どうせ自分たちでは決められない。
諦めるまで待てばいい。諦めて自ら出ていけばいい。保障する金はもうないのだから。
余計な話をする下請けは即座に外される。餌を与えれば尻尾を振る連中なのだから。
東北に家族は連れて行かない。「八重の桜」のポスターの前で。
彼らが紡ぐ言葉は真実で、そして悲しい。
強大で富んで広域でそんな絶対的権力。敗戦処理だけが役目の彼らの言葉は、しかし、新しい時代には引き継がれることはない。
虚しさを背負ってただ立ち去れ。
新しい風が吹くことを信じている。
自分たちの世代が負った負の遺産ではなく、新しい価値観と新しい仕組み。
次世代には、そんな世界で生きてほしい。
茫漠とした路の先に、きっと約束された土地があるのだと信じたい。
先にその場所に気が付いたら、そこで小さな灯りを燈して待っている。
灯りに気づけない時は、小さな鐘をならそう。
誰も責めることなく、舌打ちしながら、ただ歩く。
そんな日々。
エルフの日々は今回で終了します。
新しい時代を創る人々と、いつも一緒にいるつもりです。
いつか約束の地にたどりつくことを願い。
大晦日からずいぶん眠った。疲れていたのかもしれない。
昨年は大分彷徨って歩いていた。一筋の光が見え始めた。
暖かい部屋を出て、もう一度初めからやり直すには少しの勇気が必要だった。
フォーレストは、新しい時代を迎えようとしている。
そう実感している。
自らの脚で立てる人たちが増えた。
自らの意思を持つ人たちも増えた。
もう牽引する力は小さくていい。湧き上がる力が自然に皆を導く。
「覚悟」とは、自らが立ち上がろうとする時にするものだ。
未だ路半ばと思うならば、その先を自ら探さなければならない。
サテライトケアシステム・多職種多事業連携・専門職の独立支援。
そう、私たちはまだ路半ばである。
昨年蝉が鳴き始めるまで、自らの執着心と向かい合っていた。
拘りに拘束され、積み上げてきたものを惜しむ。
確かな明日が見えていないのに、人はつまらないもののために動けなくなる。
数カ月の葛藤の後に、自分の内面の奥底にある深い井戸の前で立ち止まれた。
井戸の中を覗くことはしなかった。それで十分だと思った。
執着がなくなると、幾分自由になれた。
もう一度元から積み上げる勇気を持てた。
仲間が増えていった。
夏からずっと、誰かと出会い、その一人一人と繋がっていった。
形のないものに形ができていく。
苦しみの方が大きいはずなのに、何度も嬉しくて涙が出た。
人と人とが繋がることが、こんなにも素敵なことなのだと改めて思った。
新しい繋がりがチームになっていった。
社団法人小さき花SSS。恐らく民間初の放射線防御のための法人。
その繋がりは、国内は勿論、遠くウクライナにまで拡がっている。
(株)ケアリレーション。今までの福祉機器の物流に新しい息吹を吹き込むための会社。新しい物流網はやがて様々な形で私たちの生活の糧となる。
今年前半、2つの法人の後に続く沢山の法人やチームが生まれる。
それは、互いに繋がりあい新しい世界観を持ってこの地域を変える。
人口の少なくなった地域には集落再生プロジェクトとして、都市の問題には都市型再生プロジェクトとして、被災地には復興支援プロジェクトとして。
新しい時代に、確かな明日が見えない時代に、私たちが燈す小さな灯。
フォーレストは、この地域で生きていかなければならない。
私たちもまた一人の生活者として、このプロジェクトの中にいる。
茫漠たる地に、確かな明日を、その存在を信じて、ただ立つ。
次世代に繋ぐ夢をこそ、今紡いでいきたいものである。
新年に際し、それぞれの健闘を祈る。
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青葉祭りに雨が降らなかった記憶がない。
バブル時代に独眼竜正宗に肖って復活した祭り。
どこか冷めた感覚になるのは、雨のせいばかりではない。
桜が終わると、仙台は一斉に新緑の季節になる。
定禅寺通りも青葉通りも勾当台も西公園も、萌黄色の季節である。
仙台の街が最も美しく映える日々。
皐月とはそんな季節だ。
青葉祭りで賑わう街の一角で、県内放射線市民測定所4ヵ所が主催する講演会が開かれていた。
反原発やイデオロギーを振りかざす団体とは違う純粋な市民グループが、その講演会に協力した。
何もかもが、生活者たる市民の手によって開かれた講演会。
会場の中は熱気とこれからのこの地での生活を考え、そして子供達の将来を見据えようとする人々で溢れていた。
外の祭りの熱気と講演会の熱気。
そのどちらもこの地で人々が営む活動に変わりはない。
例えそのコントラストが明と暗であっても、例えその思考のベクトルが反対であっても、この地でまだ人々が生活し活動している事に変わりはない。
今年の青葉祭りは晴天であった。
秋生大滝から上流の二口渓谷の渓魚の採取が制限された。
仙台市の飲料水供給の要である大倉ダム上流の大倉川で岩魚の採取が制限された。
山の入り口には、山菜採取を控えるよう看板が立てられている。
たけのこ、蕨、こしあぶら、たらのめ、うど、ぜんまい、こごみ。
測定所の結果は惨憺たる数値である。
露地物野菜の殆どから何らかの汚染数値が出るが、土を落とし、土に接している部分を取り去ると汚染は国際基準並みに軽減する。
何処までが安全なのか、何が危ないのか、生活者の私達は知らない。
内部被爆の権威であっても、何bqが安全なのか明確には答えない。
私達の生活を、この地での生活を確かにするために何が必要なのか。
「解らない。」と応える専門家を最も信頼しなければならない原状こそ憂いる。
仙南に土地を購入した知人。
30年のローンを組んだのに、建設予定地の土壌汚染は放射線管理区域なみであった。
マイホームの建設が進むにつれ、ため息の回数が増える。
ハイシーズンを迎えた仙台湾。
釣り船を営む知人は、予約の電話が鳴らないことに苛立つ。
1年かけて復興させた生きる糧。
鱸も平目も根魚も皆採取に制限が出された。
怒りは、誰に向ければいいのだろうか。
親の代から引き継いだしいたけ栽培。
米作と野菜としいたけだけで生計を立ててきた。
例年より豊作で出来栄えのいいしいたけは、果たして全滅した。
出荷自粛となったからだ。
ゴールデンウイークに被災地支援のつもりで来てくれた観光客。
帰りの高速サービスエリアのゴミ箱は、そんな被災地のおみやげが大量に捨てられていた。
ところで、捨てていった人々の住む地域が、この地よりも汚染度合いが高い事を知っているのだろうか。心無く蒙昧なる行為。
震災・津波瓦礫を九州で処理するらしい。・・意味が不明である。
震災復興は中央から資金が供給され、中央が吸収していく。何が何だか解らない。
食品放射線測定機器の性能は、行政のそれより民間の市民測定所の方が遥かに精度が高い。
環境の調査は、その手法さえ確立されていない。
最近、除染は移染と呼ばれているらしい。
巨額の費用をかけた壮絶な無駄。背景にある思考とは如何に。
混沌に更に不純物を混入したようなこの時代。
昨年は生きることに精一杯だったけれど、実はその現実は何も変わってはいない。
確かな事は、他者に頼る事なく、自らの生活を自らが構築していかなければならない事。
道化の様な振る舞い、責任を取れない子供の様なおやじ達。
この地をこれ以上辱める行為こそ、私達生活者の敵である。
萌黄色の皐月に、ため息と歯軋りは似合わない。
明日は、笑って仕事しよう。きっと。そうきっと。
半年ぶりに河原に立った。
先日の大潮で、鱒は河を昇り始めたかもしれない。
この時期仙台湾は、流入河川から送り込まれる雪白水で濁り、そして豊穣となる。
その豊穣の海から、健気に魚達は戻って来る。
今年の雪白は、豊穣ではあるけれど、壮絶に汚染されている。
それを知っていても、健気な彼らに会いたいのだ。
仙台湾に留まらず、陸前高田までの海域の魚達から基準を超える汚染物質が検出されたことを新聞が伝える。
露地物のほうれんそうが基準を超えた。
土と水。私達の命。命の営みを汚すのは誰か。
福島第一原発事故の後遺症は、私達の暮らしに大きく影を落としている。
1年前に考察していた状況は、あまりに甘かった。
既に若い世代を中心に県外に移住している人々は、相当な数に上っている。
行政発表とは裏腹に、仙台市内であっても外部被爆は年間積算1ミリシーベルトを超える。
それは、簡易測定器を持っていれば、実は誰にでも判る事実である。
土壌汚染は、場所により放射線管理区域に匹敵する。
今月より、食品基準がキロ当たり500bqから100bqに変更された。
食品内部被爆だけを考慮すれば、100bqなのだろう。
しかし、外部被爆をも考慮すれば、食品の基準はキロ当たり40bq以下となる。
何処からが危険で何処から安全なのか。安全の絶対値は誰にも答えられない。
外部被爆と内部被爆では物理的に全く性質を異にする。
ドイツの食品安全基準は、子供は4bq、大人でも8bqである。
無知であること、無関心でいること、むやみに恐れ目を背けることは将来に禍根を残す。
この地を守るために、私達の生活を守るために、今何ができるのだろう。
通称「あんてん」。U-10が活動し始めて暫くたつ。
農業や漁業の一次産業に携わる人々は、出荷する全ての商品検査が可能である。
会費で運営される市民検査所は、商品の検査のみならず、簡易に土壌検査や環境検査を
可能にしている。
そこから得られる知見は、様々な形式で汚染対策を実現できる。
研究者がその裏づけのための根拠を示し、継続した研究が可能である。
出荷される商品は全てがキロ当たり10bq以下であり、市民測定所が保障している。
出荷された商品は、地元会員の小売店で「U-10」のブランドで販売される。
いちいち消費者が商品検査しなくても、地域の流通は守られている。
一次産業だけではなく、加工品や飲食店に於いても会員には同様の保障が為される。
一般市民も会員として参加できる。
様々な地域情報が還元されるし、不安を持ったらいつでもワンコインで測定ができる。
低被爆地域で暮らしていくためには、環境や食品に関する注意だけではなく、定期的に簡易にホールボディカウンターでの検査を要する。これも少なくとも1年に何度か検査できる体制が取られている。
子供達や妊婦だけでなく、定期的に安全な地域でのリフレッショローテーション(保養)
のサービスも受けられる。
この連休と今年の夏休みは十和田や青森で過ごす予定である。
地域には、小さいけれどU-10の事業所が沢山あり、そこが情報やサービス提供の主体になっている。
全ては、この地で生活する人々がU-10会員となって連結し、市民や企業が様々な連結を
結んだ形で問題に対処している。
間もなく、U-10福島とU-10関東ができる。
東日本皆がその地域で生活してくために必要な条件を共有し、発展させる。
この地で生活できないのは、放射能汚染でもなければ風評被害でもない。
人々が、主体的に生活者としての役割を果たさないことにこそ、その理由がある。
私は夢見てしまう。
そして、もしかしたら間に合わないのかもしれないと不安にも思う。
間もなく、小さな「U-10」が始動する。
鱒達は、今年も子孫を残すためにあの海から遡上する。
不安を押し込めるために、私は河原に立つのかもしれない。
まだ、膝を着くわけにはいかないのだ。
あの日をメモリアルにするには、未だ傷が癒えていない。
痛みは形を変えて存在するし、その最中に語られる言葉はどれも軽すぎる。
定かならざる明日は、意識の根底に不安を与え、身体に鞭を打つ。
抽象化された希望に意味はなく、具体的行動の中にしか光はない。
託すしかないのだ。
夢を託すしか手立てはない。
医療保険や介護保険がその一部しか使えなくなって久しい。
高額の自己負担に、本来必要な医療や介護は滞り、旧来の医療機関や介護保険事業所は破綻するものが少なくない。
激しすぎる人口動態に、社会は為す術なく、途方に暮れた。
一部の高額所得層だけが最先端医療の恩恵を受け、手厚いしかし出来合いの介護サービスを受けることができる。
まるで1世紀ほど昔に戻ってしまったような世界。
元々、人口の4割超の医療や介護を社会が引き受ける事など不可能だったのだ。
加えて、福島第一原発から放出された放射性物質の影響で、人々が健康を害したり、産業の滞りから地域の経済は大きく後退を余儀なくされている。
本来必要な医療や介護は、量的にも質的にも担保する保障を失っている。
家族が分断され、個としての生活が当たり前の時代。
既にここ数十年で、そんな生活様式を当然とした社会が眼前に拡がっていた。
人は病めば職を追われ、小さき家族の背に負われるしかない。
小さき家族はやはり社会性を失い、光を失くす。
家族・家庭の定義そのものを変えなければならない。失うものが大きすぎる。
共同で生活する彼らにとって、家庭は個であるが、生活は個ではない。
小さいけれど個を保障する代わりに、相互に役割を担う。
建物に囲まれた共有スペースでは、車椅子の老人が小さな子供達を視ている。
若い共働き夫婦が帰るまで、共有スペースで過ごす血縁のない老人と孫。
嘗て3世代4世代が暮らした大きな旧家の様相がそこにある。
今夜の晩御飯の担当は、今日が休日のお母さんで、同じ共有スペースで車椅子の子供を視ながら料理している。
ここに来て、夜勤に出るために子供たちを置いて出かけなければならないことなどなくなった。
老人も子供もなく、健常も障害もなく、共有される生活と役割。
朝になると、隣接する療養看護のスタッフがベットごと若しくは車椅子ごと皆を連れて行く。
夕方には迎えにくればいい。痛みなく、不安のない重度の病める人々。
夜中に何か起これば、皆が心配し、皆が最善を尽くしてくれる。
独りで最後を迎える残酷さから隔絶された安息の夜。
歩くための訓練ではなく、もう一度誰かの役に立つためにリハビリに励む人々。
PCを片手で操作できるよう工夫する作業療法士。
覚えた操作で、この共有生活の様子を外の世界に発信する。
賃金によらず、夫々が夫々の役割を持ち寄り、工夫して共同の生活を守る。
介護とは、実は与えられるものではなく、自己を含めた周囲の人々との関わりなのだと気がつく。
企業は、小さな共同生活を守るために何重にも連携を深める。
医薬品、安全な食品、生活物資。環境の維持とリスクへの備え。
小さきもの達を守る小さき組織の集合。
資本によらず、役割に応じた「結」の思想。
雇用を生み出すことを最大目標にし、人々に役割を作り出していく。
巨大で装飾されたものなど何も必要ない。
街は、1つ1つの小さき組織で埋められ、その小さき組織が連なって構成される。
多職種連携は、医療・介護の範疇を超え、今や生活を守る全ての職種が、あらゆる業態が多職種・多事行連携を織り成す。
個人も企業もその存在を許される。
不安なく、孤立することなく、病んでも老いても暖かな共同体の中で生活できる。
得体の知れない抑圧者や既得権益者の暴挙もそこにはない。
額に汗した者達が、安心して生きていける。光がさす。
そんな、そんな街になったらいいのに。
小さき生活者を、小さき者たちの共同を許す世界観。
生活を管理ではなく、主体性を持つ本来の活動に昇華できる環境。
私は夢見てしまう。
混沌としたこの荒涼とした震災後の世界に、そんな次の世界があることを。
私達が目指す次なる世界。そんな生活空間と環境を目指したいものである。
「やるなら今しかねえ。やるなら今しかねえ。」
サンレイガイガーの垢抜けないスイッチを入れると、チーちーチーって鳴く。
テレビの脇に置いた線量計は、今日も結構な数字を出している。
その数字を見て、舌打ちしながら今日も変わらぬ一日を感謝する。
変わらぬ事がどんなに安心か。
自分が何処に立っているのかがよく分かる。
「代表の話を聞いていると心配で眠れなくなる。」
そんなこと言われた夜。
「そうだよな。」って呟く。
皆何か不安を抱え、それでも精一杯毎日を送っている。
もう十分だし、人のことなんか知ったことかと嘯いてみる。
でも、でもだめなんだよな。
何がなんでも皆を守りたいんだよな。必要とされた時に知らねえよって言いたくない。
大丈夫だよって、何があっても準備はできてるって言ってやりたい。
これからを紡いでいく世代。次世代を育む君達を守りたい。
それが、この地を守るということ。
「やるなら今しかねえ。やるなら今しかねえ。」
あんたはさ金髪のフランス人だから許されるんだよと、もう何度背中に言ったか。
子供達が流された小学校の前でシャッターを切る彼を、俯いてサポートした日。
「昨年から福島はフクシマになりました。」友人からの皮肉に満ちた年賀状。
じいちゃんととうちゃん置き去りにして、3代目は九州に移住した。
「ここじゃ農業やってられない。これから食っていけない。」奴の言い分。
来年度の制度改定。政府は被災地に限り「訪問リハステーション」を認めるとか。
長年の悲願に、業界は組織ごと張り切っている。
知っているのだろうか。無人の荒野に訪問車を走らせる虚しさを。
知っているのだろうか。仮設で暮らす人々のことを。
行政と医療法人に支配された顧客争奪戦の地を。
知っているのだろうか。
でも、やるなら今しかねえだろうな。そんな地域にこそ根を生やせる専門職集団である事の証明。 「やるなら今しかねえ。やるなら今しかねえ。」
だからさ、酵母とか細菌とかじゃセシュウムなくなんないんだよ。
聞き分けないけど、何としてでも農地を復活させたいまっすぐ目の農業おやじ。
「白魚からさ。今年は白魚からなんだ。」網の目紡いで目を細める漁師のおやじ。
「売れないんだ。ほんと売れねえ。」魚屋のおやじ。
笑って「それなら俺が売れるようにしてやるよ。」ってすし屋のおやじ。
誰もが正直で、誰もが真面目に生きている。頭が下がる。
既得権を振りかざし、小ざかしい自己誘導理論で皆を誤魔化すおやじ達。
小さき者達を笑い、踏みつけて、人を嘲笑うおやじ達の顔など見たくもない。
訳知り顔のあんた達に、何が分かるのか。
「日本も今じゃくらげになっちまった。」
「やるなら今しかねえ。やるなら今しかねえ。」
定かならざる「明日」を創るために歩いている。
無駄あしと空振りの連続だけど、それでも種をまく。
うれしいことが偶にある。それがいけない。またがっかりするからだ。
もうすぐ準備が整う。何があっても安心できる環境とその仕組み。
盾の準備ができれば、矛を研げる。
平成24年度は、もうすぐそこにある。
「やるなら今しかねえ。やるなら今しかねえ。」
平成23年は、西暦2011年という年は、恐らく歴史に残るのだろう。
あらゆる意味で、それまでの世界観を変える事になる出来事が連鎖的に起きた。
私達は時に翻弄され、汚され、温かさを知り、痛みを鈍磨させた。
それは、新しい年になっても続いていて、そしてこれからも続く。
私達はこれからそんな時代に生きていく。
「闇(災害)の中に、すでに光(生まれるべき社会)がある。闇に突き落とされた人たち(被災者)の中に――。」
これは、ニューオリンズのハリケーン被災地で米国のジャーナリストが発した言葉である。
新しい年を迎え、私達が置かれている状況は、その問題の大きさからはっきり理解されないまま時間だけが過ぎ去っている。
危機を煽るつもりも、社会を悲観しているわけでもない。
私達にとっての「光」、生まれるべき社会とは如何なるものなのかを探りたいだけなのだ。
「クリエイティブ生活者」
全てに於いて「結果責任」なのだと学んだ。
「想定外」とは、余りに愚かな言い訳であり、その結果もたらされる状況は無防備で愚かだ。
知らなかったでは済まされない。まず知ろうとしなければならないし、後の言い訳は単なる敗者の言分である。
これは何も学者や役人・政治家の話ではない。
これから起こる出来事の兆候は既に足元にあり、その兆候をフィールドから探る努力を惜しんではならない。
フィールドからの情報は、須らく吟味され、情報を皆で共有する事。
そこから新しい対策を紡ぎ出す事こそ旨としなければならない。
これからの時代は、個々の人間・組織・地域が夫々の生活エリアで問題を解決する新しい手法や発想を創造しなければならない。
とは言え、全てを見通せるわけもない。まして私達は全能からほど遠い小さき者達である。
しかし如何なる状況になろうとも、決して屈せず常に創造的に生きていくしか「結果」は得られない。
そういう意味で、私達は徹底した現場主義によるクリエイティブ生活者にならなければならない。
「共有」という思想
少ない物資をより有効に活用するために、私達は「共有」する事を学んだ。
足りないものを均等に分け与えるのではなく、足りないものを持ち寄って不足を補った。夫々の役割に気がつき、力を合わせる事でより大きな力となった。
その大きな力は、端にエネルギーの大きさではなく、及ぶ範囲やそれまでの不可能を可能にできる力であった。
力を分散させるのではなく、集積し、より大きな力として皆で共有する。
それまでの常識を超え、所属を超え、そして新しい世界観を創造していく。
例え、立場や価値観の相違があったとしても、求める若しくは求められるニーズに従って
持てる力を提供し合い、力を発揮するフィールドを共有するべきである。
「コミュニティ」の強化
ともすれば絶望的になる風景の中で、私達を救ったのは、隣人の存在であった。
それは家族であったり、同僚であったり、地域で共に生きる人々であったり、遠くで心配してくれる友人達であったり、見ず知らずの誰かであったりした。
思いもかけない、でも信頼に足るそれらの有形無形の繋がり。
それは、実は如何なる時代でも普遍なのだろうけど、それでもこんな時代だからこそ救われる温かさなのだ。
私達は、「繋がり」を学び再認識した。
その「繋がり」を仮に「コミュニティ」と言葉を置き換えて、これからを思考したい。
「コミュニティ」は、これまでの関係や社会的所属を超え、価値観や距離を超え、様々な形式で私達を繋いでいく。
そんな「繋がり」を強化し拡げたい。
地域で生きる生活者として、常に隣人との繋がりを形成する。
廃墟の中だからできたのではなく、その廃墟で見つけた唯一のこれからの糧なのだから。
「STAY DREAM」
この10ヵ月、十分戦って来たと思う。
何千年かに一度の災害。終わる事のない原発事故。
夕べに別れを強制され、不条理に耐える張り詰めた意思。
長い年月をかけて積み上げて来たもの達を捨てなければならない悔しさ。
強いとか弱いとかそんなの関係なく、崩れる必然。
誰がそれを責められようか。
復旧は我々の責務だけれど、恐らく復興は次世代に繋がれなければならい。
世代を超えて、次の季節を待たなければならない。
挫けたら、休むしかない。泣きたい時は泣かなければならない。
次の世代の芽吹きを妨げるものが、最大の障害であり「悪」である。
とにかく、今を諦めず、できる事をできるだけやっていくしか手法がない。
諦めないために必要な事。「託す夢」を置く事。
「確かな明日」の積み重ねが、未来を希望する私達の唯一の武器。
考えてみれば、私達は「闇」の中に、幾つもの「光」を見出している。
その「光」が、来るべき新しい世界に繋がる事を切に願う。
来るべき新しい世界を担う若い世代と小さな子供たちを育める社会。
世代間格差ではなく、世代間協力で新しい時代に臨みたい。
未だ定かならざる明日だからこそ、「闇」の中で見出した小さな「光」に賭けてみたい。
新たな年を迎え、私達は大きく舵をきる。
平成23年。
我々フォーレストグループは、飛躍を約束されていた。
彼岸のフランチャイズサテライトが、合同会社地域ケア開発機構により始動し、6月には第一号の起業者を出すはずだった。
ここまで10年。
独りで歩き始めた時代から、夢を具現化するために走り続けた季節の結実。
一人一人の仲間たちが繋がり、新しい地域ケアを未来に向けて放てたはずだった。
あの日。あの日が来るまでは。
人知の及ばぬ所業。
人間の小ささなどとそんな悠長さは、感情の外にある。
圧倒的な理不尽。圧倒的な悲劇。
どんな形容詞でも追いつかない。
この世界を引き裂き、もう一度すべてを荒野に帰す所業。
ふざけている。 それはふざけすぎていた。
それが今年。東日本大震災だった。
ナビテレビの小さな画面に映された名取川河口を遡る津波。
一瞬で東サテライトに意識が飛んだ。
地震で崩れさったスパーに駆け込み、店に頼み込んで、ありったけの食料をダンボールにつめながら、沿岸部を走る訪問部隊を思った。
次々に浮かぶ最悪の状況。
本体司令塔が静岡に居ることを考えれば、一刻も早く、岩切のコクピットに戻らなければならなかった。
あの時、スタッフが皆無事でいてくれたことに感謝している。
誰も犠牲にならず、大きな怪我もせず、「大丈夫です。」と言ってくれたこと。
そして、職場を放棄せず、利用者や家族を想い、共に行動し、自らより他者を優先した行動を何より誇りに思う。
そしてその後全国から寄せられた沢山の支援。
その支援のお陰で我々は起動できたし、そして地域に物資を届けることができた。
寄せられたその想いにこれからも応えたい。「感謝」の言葉だけでは到底足りない。
「確かな明日作戦」が始動したのは、まだ街が復旧する前だった。
フィールドからの情報を皆で分析し、その対策を講じた。
自らが起動することと、現状を改善するのと並行して、全国からの支援を地域に運んだ。
岩切本社は一時、20名体制で生活することになる。
通勤するスタッフは、乗り合い送迎車で出社し、徒歩や自転車で地域を周った。
「災害時安否確認レベル表」は、その後余震や秋の台風の時に大いに貢献した。
3ヵ月毎に実施する「生活ニーズ調査」は、刻々と変化する地域の状況を露出させた。
必要と考えられる備蓄はいつでも地域に放出し、我々の業務を支援するだろう。
次々に降りかかる障害は、各事業部の連結を強化し、専門職間の連携とは如何なるものかを教えてくれた。
9ヵ月の期間で傷は癒えたのか。
守るべきものは、確かに守られているのか。
明日に向かって確かに飛びたてるのか。
我々が置かれている状況が、容易く変わるわけもない。
長く続く耐久レースに、仲間が倒れていった。
早朝出勤と夜なべして作った千羽鶴。
2人の主任の机の上は見たこともない程片付いている。
感情を制御できない時がある。不安に怯え、眠れぬ夜がある。
どうしたら「確かな明日」が見えてくるのか足掻く毎日。
私達は、そんな場所に居る。
県内及び被災地と呼ばれる地域は、猛烈な人口動態が起こっている。
復旧を復興と言葉換えても、変わらぬ環境。
仮設住宅に通えば通うほど募る重い想い。
事は阿武隈以南の話ではない。
次々に明らかになる福島第一原発事故の後遺症。
「知らない」では済まされない脅威が、そこにある。
生き残った者として、その義務を全うしたい。
次の時代を担う若い人達を守らなければならない。
医療・介護が立脚できる確かな足場を創っていくこと。
不安と疲労と戦いながら、長く続く私達の「確かな明日作戦」を遂行していきたい。
フォーレスト計画と、それに内在するサテライト計画を慎重に進めながら、次の時代に備えたい。
それが我々に与えられた存在意義と想う。
厄災と苦境の平成23年が間もなく終わる。
痛みと疲労に鈍磨した心と身体を癒しながら、我々は新しい年を迎える。
定かならざる「明日」だけれど、未来が垣間見える来年にしたい。
心からの感謝と決して独りではないという温かな想いを胸に、「明日」を迎えよう。
もうなんど「これはなんなのだ」と口をついたことだろう。
もう十分過ぎるほどの不幸と悲劇を見た、聞いた、感じた。
暖かく安全な場所で語られる他人事の評論、言い訳、そして自らも誤魔化す言葉。
その風景や出来事の前では、塵のように軽く、無用なもの。
しかし現実は、どんなに息巻いてみても、力説しても、走ってみても、理解を越える。
悲しいかな人は無力である。
この5週間休息は許しても、休日は許さなかった。
「確かな明日」が欲しかった。停まることが怖かった。
午前中に北の海岸を走り、午後に南の街の人々と話した。
朝にレポートを書き、夜にミーティングを繰り返した。
果たして「確かな明日」には、まだ遠い。
仮設住宅を見つけることはけっこう難しい。
狭い山間地に創られたプレハブ団地は、まるでよそ者を寄せ付けない風情である。
介護用品や日常品の飛び込み行商は、想像通りの苦行である。
でも、仮設住宅にたどり着くまでに見る風景とそこに暮らす人々と話をするためには、恰好の課題である。
これからの長い月日を仮設で暮らす人々がたくさん居る。
私たちは頭では解っていても、仮設住宅が如何なるものか知らない。
仮設での生活が如何なるものか知らずに、そこでのケアは考えられない。
仮設で暮らす人々を理解せずに、私たちの存在はない。
白石・角田・丸森の人々と話した日に、中学生の娘に問われた。
「とうさん、給食の牛乳白石なんだけど飲んでいい?」
放射線測定器と食品検査の数字を毎日確認しても、そこに安心はない。
全国に知られた丸森のチーズ工房が、注文の激減で今月廃業を余儀なくされた。
仙台湾で獲れた巨大な鰤は、買い手がつかずいつも売れ残っている。
仙台市内の飲食店は、日本海や九州から食材を調達する。
どんなに復興の旗を振っても、人々の不安は消えない。
11月23日、南部の人々は自ら立ち上がり、食品の放射能検査を始める。
「てとてと」http://sokuteimiyagi.blog.fc2.com/ 南部の人々の克己。
敬意と喝采。これからを示唆する活動の拡大こそ、希望の光である。
津波の最前線に建てた第二サテライトは苦戦を強いられる。
周囲の環境に馴染まない真新しい建物は、余計にスタッフを苦しめる。
新しいチームが熟成する前に立ちはだかる障壁の数々。
己が力を問われるプレッシャーと、問題に気づけない稚拙さと。
迷う必要なんかないのに。
津波エリアの最前線に立つ気概と、そこに生きる人々を想うこと。
利用してくれる人々やエリアの人々と話をすればいいのに。
誰のための仕事なのかに気がつきさえすれば路が開かれる。
ただただ応援する。ただただ支援する。ただただ君たちを想う。
海のそばのヘルパーステーション。
津波で全てを失い一度は東京へ出た。
でも故郷へ帰る。仮設に入り、ボランティアで皆の床屋をかって出る。
今、住めない自宅を改修してもう一度会社を復活させたい。もう一度仲間との仕事を望む。
今週からフォーレスト行商隊の仲間入りしてくれた。
精一杯のエールを。自らのこれからとその地の介護を担う新しい力。
すべてを失い、それでも再び立ち上がろうとするその姿に、ただただ感動する。
すべてが整っているように見える。何も変わらず何も不自由のない街。
痛みがどこから来るのか忘れ、時に傷口が開く可能性に目をつぶる。
痛みの認識がなくなることほど恐ろしいことはない。
私たちが忘れているものを、周囲の人々が教えてくれる。
すべてを失い危機に直に直面している人々が、小さいけれど強く確実な明日を教える。
今暖かく何も不自由のない街を出て、もう一度その地に立とう。
その風景から悲劇を想起するのではなく、新しい世界に向けて立ち上がる人々を想うこと。
疲れた身体と心を満たしてくれるのは、そんな人々である。
今夜は眠ろう。
走ったのだ。
彼は後ろも見ずに、ただ走ったのだ。
遅くにできた息子を笑顔で見つめる彼に、嘗ての悪童の面影はなかった。
その微笑は、それまで苦労して掴んだ幸せの一部であり、沈殿した想いであった。
激情にかられ、いつも失敗する彼を、何処か冷めた感覚で見ていた。
いい歳をしてと、揶揄するのは簡単だった。
恵まれぬ彼が、自分の居場所を見つけ、海辺に小さな家庭を築いたのはそれ程遠い話ではない。
漸く訪れた古い友の幸せは、彼を包む優しい人と、そして彼女と慈しむ小さな命。
よかったなと、言うこちらが温められた。
3.11。あの日。
後ろで制止する声を振りほどいて、彼は小さな居場所に走った。
絶望的な風景。迫り来る恐怖。震える膝。悪寒の止まらぬ背中。
漸く見つけた幸せと、大切な人と、代えられるぬ命。もう間に合わぬその場所。
それでも、彼は走ったのだ。
新しいステージが輝くものであったなら、もう少し報われるのかもしれない。
誤魔化しの効かぬリスクに、全て対策を立て、自分が守るべき全ての対象を想う。
常識的な説得も、無機的な学術的知見も、人々の不安には届かない。
建設的に振舞えば振舞うほど、強くありたいと願えば願うほど、自分の限界を感じる。
それでも、それでも後ろを顧みずに大切な人達を守るために走った彼を想う時、自らを戒める。
膝が震えても、笑われても、理解されなくても、疲れていても、ただ大切な人々を守りたい。
古い友に、揶揄される分けにはいかないのだ。
在仙の出版社が、広く宮城県民から寄付を募り、嘗ての美しいみやぎの海の写真集を発刊した。
【海と風と町と】 http://www.m-omoide.jp/
津波の写真集は眩暈だけを残すけれど、嘗ての美しいみやぎの風景は涙を残す。
古い友が散った場所が航空写真で写される。彼を想う。
県内書店及びローソンで販売されています。
なかなか手に入らない場合は、弊社へご連絡下さい。
テレビやラジオで、あの日から半年たった被災地を伝える。
6ヵ月という時間が長いのか短いのか。身体的には長く、心情的には短く。
生活を再建するには短く、事の推移を見守るには長い。
終わり無き耐久レースは、人々を疲弊させる。
定かならざる「希望」は、更に心情を不安にしている。
いろいろあり過ぎた夏が終わり、荒涼とした風景に吹く風は変わっても、皆が背負う荷の負荷は変わらない。
「確かな明日作戦」は第3ステージに入っている。
余震を含め非常事態に最低限備える試みは、実行されている。
これは、いつか使うかもしれない防災ではない。
生活を保障する何ものかがない限り、この地で確かな明日は存在し得ない。
ハイリスクな状態の利用者やご家族の安心は、同時に私たちの安心でもある。
手動式吸引器は、県の指導を受けながら看護師がご家族とトレーニングを積んでいる。
未だに行渡らず不安に思っている方々は、どうか私たちに相談して欲しい。
在宅酸素を要する方々は、非常用バッテリーや予備ボンベのストックが為されたが、
それでも数時間の時間的余裕である。
ある公的会議で医療関係者が、業者任せの発言をした事に、憤りを超えてただ呆れた。
オムツ、非常用食材、水の確保は、2週間分はストックしたが、今後必要に応じた対応が、もっと広域で実施される必要がある。
在宅支援の活動は、更に車両をはじめ移動手段の確保が重要でる。
弊社車両は、夕方には全ての車両が満タンになって戻って来る。
ガソリンや燃料の確保は、日ごろから関係機関と綿密に連携を取らなければならない。
計画の実施に伴って、利用者さんやご家族と様々な不安を共有し、その共感から対策を実施する事こそ大事なのだと深く学んだ。
地域内の状況調査は、第2回目が実行され、現在データ分析が進んでいる。
最も注目すべき事は、住所変更が為された利用者さんが全体の15%に達している事。
しかも、一度ならず複数回の住居変更を為された方々が少なからず存在する。
仙台市内は津波被害が東部に限定しているにも関わらず、相当な人口動態が起こっている。
これがもし沿岸部の市町村であったり、原発の影響を受けている地域であれば、更に大きな人口動態が起こっているだろう。
環境の変化に対応する事が如何に困難であるか、私たちはよく知っている。
少しの生活環境の変化で失われるものは、あまりに大きい。
入退院を繰り返す背景にあるものに、私たちはもっと敏感にならなければならない。
仮設住宅は、地域によりその色彩がまるで異なっている。
それまでの地域のコミュニティの力がそのまま反映している。
沿岸部や原発影響地域では、強制的にそのコミュニティが引き裂かれている。
状況に応じた支援体制と、十分な耐久力を持つシステムが待たれるが、恐らくそれは与えられるものではなく、自ら構築していく意外に路はないだろう。
長期的視点で仮設住宅や利用者さんの生活環境の研究が必要である。
世情は混沌の中にある。
経済的不安は何処にでも存在し、大きな渦の中で皆が翻弄されている。
義援金や生命保険は失ったものの大きさに相関はしない。
今が精一杯で、次が見えない。
住む場所も仕事も地域の絆も失った多くの人たちの存在。
津波エリアだけでなく、密かに仙台の街中にまで不安は達している。
雇用を生む何かを興す事。単独ではなく協力しあう事。
得られる利益は、それが何であれ皆で分かち合い地域に還元する事。
それ以外に、この地で生き抜く術はない。
今月、福祉機器関連の経営者が会し、今後の協力関係を話しあう機会を得た。
三陸道と東部道路を使えば、北部沿岸部や南部被災地に新しい物流を起こせるだろう。
様々な業種の人々と繋がる事で、自らの専門分野に留まらない地域貢献が可能になる。
放射能は既に身近になってしまった。
事は福島の人々だけの問題ではない。
子供たちが遊ぶ市民公園にホットスポットが存在することは、意外に知られていない。
既に仙台市内であっても、年間の被爆量が嘗ての基準を超え始めている。
何より深刻なのは、市民が行政を信じていないことにある。
情報があまりにご都合主義に操作され、確かなことが分からない。
この地域に留まらない。この国の根幹に関わる大きな津波が今そこの在る。
右手に「復興」を左手で「防御」を。この姿勢にある事こそ人々の疲弊の根源である。
蝉の声はいつしかすず虫の声に変わり、沢の鱒は婚姻色を帯びて錆びる。
今年鮭は川を昇るのだろうか。頭を垂れる稲穂は汚染されていないだろうか。
もう半年立つのだ。でも変わらぬ風景は、まだ半年なのである。
震災から1月ほどして連絡が取れた彼は、奥さんと簡易宿泊所で生活していた。
それまで、彼はその町で比較的大きな店を出していた。
店は、それまで積み上げられた経験と、培った人脈で全国に知られる有名店である。
脱サラして20年。
恐らく独立して今の環境にまで店を育てるには、多くのドラマがあったはずである。
簡易宿泊所の2人は、家族も家もそして全てをかけて育てた店も、津波に奪われていた。
物資のない時期だったので、埃をかぶったウイスキーボトルが差し入れ代わりだった。
一緒に飲みたかった。ただ黙って、飲みたかった。
店は、見る影もない。泥土に埋まり、商品は流され、奪われ、廃墟であった。
残される負債を想う時、奪われたものを想う時、これからを想う力はそこにはなかった。
あの日、ついに彼の口から再建の話は聞けなかった。
途方に暮れ、悲しみ、悔やみ、怒り、そしてまた途方に暮れた。
この夏、彼は瓦礫の中に店を再建した。
簡易宿泊所を出て、泥土を掃きだし、洗い、ガラスを入れ替えた店で生活してる。
話す彼の顔に笑顔が戻っていた。
「あのさ、仕事ないかな。」「この町で何か事業起こせないかな。」「働く場所必要なんだ。」
彼は、自分の店の心配をしていない。
彼は彼の町を、町の人々を心配している。
彼の一歩は、人生をかけてきたその店のある町の一歩と捉えている。
町の人々のために何ができるのかが、彼の一歩であった。
あの日から間もなく半年たとうとしている。
混沌とした時代。不安とやりきれなさと疲労が、澱のように沈殿する。
不条理が重なると、義憤なのかただの怒りなのか分からなくなる。
自分の非力さと、小ささに呆れる日々。
ラジオから流れる昔の流行唄にふと涙が出たりする。
「確かな明日作戦」なんて、所詮自分のための安定剤だったかと、独り毒づく。
そんな日常の中で出会った彼の一歩に、涙した。感動した。切ないほど感動した。
人が人を想う気持ち。誰かのために想いを馳せる。誰かのために力を尽くす。
未だ瓦礫と泥土に埋まり、進まない復興とまるで人事のように傍観する人々を嘆かず、彼らは自分たちの町のために一歩を踏み出した。
その姿に、癒され、励まされた。
新しい季節が始まる。
新サテライトに伴い、フォーレストは大きく人事を動かした。
「確かな明日作戦」は、第二段階に入る。
皆、疲労が見える。十分がんばってきたこれまでの時間の代償である。
払われたその代償を想う。
私たちは、二歩目を踏み出す。
梅雨が明ける少し前に、仙台湾には南から黒潮にのって鰯が北上してくる。
その鰯を追って鯖や鰹やもっと大型の回遊魚が湾奥にまで回遊し始める。
照りつける強い日差しと、青と形容するにはふざけ過ぎる程の青い空の下、
海面に起こる鰯のナブラを追って魚も鳥もそして人も、夏を享受する。
仙台湾で鯨やイルカが回遊している姿を観る事はそれ程難しくはない。
巨大なマンボウの昼寝に出くわす事もある。
紺碧の海面直下に大きなシイラや鰤が踊る。
夜、船中にこうこうと明かりを燈せば、大きな烏賊が群れて、
その下に船より大きな鮫を見つける。
七ヶ浜の菖蒲田海岸、東松島の野蒜海岸の海水浴の賑わい。
松島の灯篭流しや石巻の川開きの花火は誰の記憶にもある。
夕日に照らされる南三陸の養殖筏。
口開けに当たれば、民宿で食べきれない程の雲丹が出る。
荒浜海岸の松林。遠く福島まで望遠できる仙南の砂浜。
仙台の名物を問われ、牛タンと応える者は居ない。
仙台が宮城が誇る名物は海なのだ。
三陸の魚介。工夫を凝らした海産物加工。季節の魚で溢れる市場。
それがこの地の名物であり、私たちの生活の一部なのだ。
今年、宮城に海はない。
津波の記憶とその残骸は、私たちを海から遠ざけている。
鰯も鰹も烏賊も鮫も、イルカも鯨もマンボウも仙台湾に来ているだろうけれど、
私たちは海に行けない。
沿岸部には無人の野が広がり、瓦礫は片付けられたが未だ長い沈黙が漂う。
想像を超えた世界。皆その対処に苦しんでいる。
黒潮は、鰯と一緒に別のものも運んで来ているだろう。
既に福島の海は壊滅している。
これまで南下していた放射能物質は、恐らく黒潮の北上に伴って仙台湾に侵入している。
私たちは、震災前の世界には戻れないのかもしれない。
私たちの海は、私たちの夏は、いったい何処に行ってしまったのだろう。
紺碧の海を、もう一度見たい。
塩釜や石巻の浜の空気を変えたい。
恐らく長い年月をかけて、私たちは私たちの海を取り戻すのだろう。
世界は、まだ終わっていない。
続13歩のレース「明日のための一歩」
この半年、彼がどんなトレーニングをしていたのかは知らない。
太平洋岸東北地方の高校生皆が背負ったハンディを、彼もまた受け入れていた。
震災から1ヵ月後
彼のホームグラウンドであるグランディ宮城スタジアムの傍を通った。
遺体安置所のスーパーアリーナの前で、彼は何を想ったのか。
当時何ヵ月かかろうと、この地で若い人たちが競技できる日が来ることを切に願った。
できるなら、被災し、犠牲になった方々やそのご家族と共に、深い傷を負ったこの地を、若い生を昇華するかの如くの躍動で鎮魂してほしかった。
残念ながら震災から3ヵ月を過ぎたけれど、彼のホームグランドは開場していない。
400mの距離を障害を乗り越えて走る彼の競技は、野球やサッカーの様な華やかさも、バスケットやバレーボールの様な黄色い歓声もない。
6年間競技し、半年前に掴みかけた何ものかをもう一度確かめるために、彼はスタートラインに立った。
スタートラインの位置は、残念ながらグランディではなかったが、あの大震災から僅か3ヵ月で、若い人たちが競技できる環境になったことに感謝したい。
津波被災地域や大きな犠牲を出した地域から出場する選手たちの姿。
恐らく何の調整も、十分な練習もできなかったであろう被災した子供たち。
互いに境遇を理解したその視線の先にあったものは何だったのだろうか。
それは、観る者を応援する者をそして地域の人々に感極まるだけの感謝と感動を与えた。
彼の13歩のレースは、その場で結実した。
何をするべきなのかを理解し、そのために情熱と努力を重ねた彼を誇りたい。
しかし、何よりも感謝したのは、レース後に自ら他の選手たちに握手を求める彼の姿であった。
レースの結果よりも、互いの健闘を称えた若い人たちに、私たちは確かなこの地の未来を見せてもらった。
歓声も心ない噂も、目の前にある大きな障害も、深く傷ついたこの地を覆う暗雲も、
確かな明日を創る若い躍動があってこそ救われる。
私たちは、それを目前で観ていた。
今日、私たちにとって確かな明日につながるニュースがもたらされた。
平成23年6月29日。私たちは新しいサテライトの建設を始める。
新しいサテライトは、フォーレストが目指して来た「専門職の地域独立」の第1号である。
仙台圏で多くの犠牲を生んだその地に、私たちは未来の第1号を創る。
自らのためにではなく、地域に貢献するための仕事。
この地の未来を背負う世代に、確かな環境を残す仕事。
そのために、今何をしなければならないのかを理解し、着実にその約束された場所を目指して努力したい。
平成23年。大震災の記憶と共に、私たちは確かな明日のための一歩を始める。
互いの健闘を称えることは、若い人たちだけに任せるわけにはいかない。
「明日のためにその3」
私たちが独自に調査した災害時生活ニーズ調査の分析結果が少し見えて来ました。
起こった事ではなく今現在起こっている事の片鱗が垣間見えました。
私たちは知らなければならないし、そして垣間見えるその事態からこれからを想像しなければならない。
悲しいけれど、もう二度と私たちは震災以前の世界に戻る事はないのでしょう。
私たちの地域は、嘗ての阪神大震災の時の様な地域一丸となるエネルギーはありません。
地域に格差が生まれ、人々は移動し、コミュニティは崩壊し、明日の不安に耐えなければならない。
想像してください。
無人に近い環境となった沿岸部。復旧など何処にもないし、その見通しもない。
人口動態が急速で、誰もその危機を訴えない。
高齢化ではない、老人だけの世界。
津波エリア付近に未だ相当数の人々が存在している事実。
人々を守る防波堤も侵食された土地もそのままの状態で、海岸線の見えるその地で家族を守らなければならない人々の存在。
停電になると同時に途切れる酸素。痰の吸引もできず、窒息に怯える人々の存在。
介護を担う家族に起こっている社会的な圧力。若しくはその存在。
誰が、その人たちと共に、その不安を共感するのか。
毎朝通学する子供たちの口元。食べ物の産地を気にするお母さんたち。
パニックを必死に堪えて故郷を想う人々の存在。
沿岸部から遠く離れた被災地。住む家はなく、途方に暮れる人々の存在。
沿岸部だけが被災地ではない。今、その隣にある被災地。
偏る震災特需。資金繰りに苦しむ事業者。
手厚い保障の変わりに捨ててしまったプライド。働く意欲。
世界が変わろうとしていることを想像しなければならないのです。
今私たちができることは、私たちが住むこの地の状態を知ること、そして次に起こるかもしれない危機的状態とその不安の軽減です。
人が生活するとはどんなことなのか。
調査結果をその一部を抉ったにすぎません。
「確かな明日作戦」は、利用者・家族向け対策が最小限で為されました。
最低限今の不安を減じる効果しかないかもしれませんが、弊社スタッフは日々そのために地域を走っています。
災害時生活ニーズ調査がもっと広範囲に実施されれば、更に規模の大きな対策が生まれるかもしれません。
協力頂ける方々をフォーレストはお待ちしています。
未だ見通せない明日が、少しでも不安の少ないものになるように、互いに協力しませんか?
それが、「確かな明日作戦」のテーマでもあります。
調査データ及び「確かな明日作戦」フォーレスト通信番外は、近日HP上で公開されます。
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前回お話した利用者生活ニーズ調査は、弊社の全ての事業部で実施しました。
調査の結果は、今月中に分析結果が出来上がりますので、公開致します。
今日の河北新報朝刊の一面に、気になる調査結果が載っていました。
その記事は、被災地特に津波到達エリアに入る人々が、何の情報源も持たずにエリアに入
る事に注意を呼びかける内容でした。
そう。
実は未だに私達は、余震とそれに伴う津波の再来襲の危険を背中に背負っています。
加えて隣県福島の原発と放射能汚染に関する不安は、私達の地域でも如実にその影響を出しています。
既に福島のみならず、私達の地域は、エリア単位で人口動態が起こっています。
避難ではなく、生活環境そのものを別の地域に移そうとする動きが確実になっています。
進まない沿岸部の復旧。
行政は新しいビジョン提示をしていますが、何年もかかるそのビジョンに人々の生活はついて行けないのです。
先日出席したある会議に於いて、気仙沼で医療班を指揮するドクターから、同市では65才以下の人口が急速に減少している事実、同市大島では65才以上と65才以下の人口が等しくなる状態が目前である事が報告されました。
所謂「2050年問題」。日本の年代別人口比率が極端になる問題が、今回の災害で一瞬にして起こってしまったわけです。
こういったエリアで今現在起こり始めている事象に、行政のみならず私達も気がついていないのです。
常に危機と背中合わせの状態で、その中で生活しなければならない人々。
壮大で素敵な未来の提示を受けても、今目の前の危機とその不安を軽減しない限り、私達は、本来の「復興」に向けて前進する事が難しいのでしょう。
「確かな明日作戦」その2は、正に今そこにある不安を、自分達で出来る限り減らす努力をする事にあります。
利用者さんやそのご家族に対する災害防衛は、「利用者生活ニーズ」から抽出されたものを前倒しで出来る事から開始しています。
停電は、恐らく全てのエリアに共通の不安でしょう。療養生活に必要な医療器材はかなり電力を必要とします。
酸素。吸引。介護ベット。その全てにリカバリーできる対応を急がなければなりません。
排泄関連の問題は、個々の障害に合わせた対応が取れるように体制を整えました。
食料や飲料水に関する事。嚥下障害の方に対応する措置。
不十分ですが出来る限り努力しています。
働いているスタッフ達の安全も確保しなければなりません。
初期の起動から考えるのではなく、災害が起こったその瞬間から動ける体制が必要です。
津波到達アリアを巡回中の場合は、サービス提供中であっても利用者さんやご家族と共に
避難するよう指示しています。
又避難の経路や場所に関してもエリア単位でマニュアル化されています。
危機に際し、私達が落ち着いて行動できるように、たとえそれが無理でも、一人でも命を失わないように社内マニュアルは一新されています。
災害防衛物資もマニュアルも細かい災害対策も、最低限ですが、傍にあります。
それでもこれから起こるであろう2次・3次災害に私達は対応しなければなりません。
明日を「確か」にするためには、今の不安だけに対応するのではなく、これから起こるであろう事象に如何に立ち向かえるかにあります。
壮大で素敵な未来は、未だ私達の生活の中にはありません。
「心一つに」はかけ声だけで、人々の実生活の中にその機運は起こっていません。
夫々が違った生活環境や障害の下に、地域が引き裂かれたままだからです。
私達は本当の意味で「心一つ」にならなければならない。
夫々が手を繋ぐために、何かが必要です。今は見えなくとも、私達はその手法を見出さなければならないのです。
もう、これ以上の犠牲はいらないと思います。
一緒に、これからを考えてみませんか?
明日のためにその1
「確かな明日作戦」の第一は、現状の利用者さんの状態を把握することにある。
私たちは、以前から防災対策マニュアルを作成していた。
しかし、それは3.11東日本大震災に対して悲しい程無力であった。
現在、今回震源地を起因とする余震の危険が叫ばれている。
沿岸部の地盤の低下、防波堤の破壊は十分にリスクである。
また、東京電力福島第一原発の影響は、隣県のみならず、私たちの地域にも暗い影を落としている。福島県から越境して非難して来ている人々の存在と、県南部エリアに居住している人々にとって、十分に脅威である。
辛うじて、3.11の経験は、現在考えなければならない最低限の要素を想起させる。
安否確認の優先順位は、そのまま生命に直結する。
しかし、医学的観点だけから優先順位を考慮することはリスクである。
危機の回避は、まずその環境下で何が起こるのかを認識することから始まる。
3.11震災直後に起こった停電、渋滞、携帯等の情報連絡手段の断絶、交通手段の限定
などを考慮して利用者及びその環境を6段階にレベル分類し、生命維持と安全の確保を前提とした対策をたてた。(災害時安否確認レベル)
更に、その後の生活環境を把握できないと2次・3次被害を生む結果になる。
実は私たちの地域は、まだこの状態を脱してはいない。
刻々と変化する生活環境の変化は、それだけで療養生活を危機に追い込んでいる。
現状の生活を理解せずに、継続した支援と次に起こる危機に対処できない。
災害時生活ニーズ評価表は、利用者レベルの把握に留まらず、地域の実情を考察する上でも
効果を期待している。
フォーレストでは、独自データベースに組み込むことで、既に調査を開始している。
調査表はごく簡単な判断基準で構成されているので、担当者であれば実際に現地に行かなくとも記入可能である。
また、ナビケア等既存のデータベースから利用者情報をエクセルに書き換え、評価表を組み込むだけで、簡易の災害時利用者データベースを構築可能である。
データベースを利用して、個々の利用者及びご家族に対する支援を考察可能であるし、一方でその地域の傾向が想定できるのではないかと考えている。
災害時安否確認レベル ・ 災害時生活ニーズ評価表
http://www.team-forest.net/adv/saigai/saigai_taiou.pdf
今回最もハイリスクの対象はやはり停電により被害を受ける人々である。
在宅酸素・吸引の必要は、呼吸管理に直結しているため、入念な備えが必要である。
4.7余震時に山形県で停電による酸素の停止で、在宅療養中の方が亡くなったニュースは、
記憶に新しい。
3.11の本震時は、果たしてどのくらいの被害があったのか想像もできない。
意外に見落とされたのは、電動ベットのリクライニング機能である。背上げした状態で数日過ごさなければならなかった人々の存在があったことは銘記されるべきである。
補助電源として、バッテリーや電池等考えられるが、安易に発電機等は使えない。
機材に精密機器が入っている場合は、インバーター式等電圧安定が確保されていないと故障の原因になる。
吸引器具は、手動のものを用意すべきである。
フォーレストでは、2機種試したが、現在一般的に使用されている足踏み式は、体重の軽い介護者では困難。また足踏み式は破損のリスクが高いとの報告があった。
現在弊社推奨は、手動タイプで価格もかなり安価である。
エアマットが機能しないと比較的早期に床づれの危険が迫ることになる。
布団等で除圧を試みたが、やはり完全ではなかった。早期に代用のマットレスに入れ替える作業が必要になる。
食事や水分補給も困難となる。
今回胃ろうの利用者は念頭に置かれたが、所謂嚥下が困難になっている方々の水分補給
がまるで無対策であった。
避難所や在宅で無理に水分補給を行った人々が抱えた2次被害のリスクは、十分考慮されるべきである。ジェルタイプの飲料水の確保が望まれる。
排泄は、とにかくオムツやパットの確保が困難になる。
療養先で提供されるオムツやパットが合わないために、その後様々な障害を呈した。
商品購入が不可能になるためある程度の備蓄が必要になる。
オムツやパットは、個々人で使用するタイプが違うことも、地域では理解されていない。
フォーレストでは、緊急でも2週間分程度の備蓄実施を決定している。
避難所等では、障害に合わせたトイレは期待できない。
簡易のトイレやポータブルトイレ等を組み合わせた環境の設定が、重要になる。
何れにしても、現在の地域別のリスクを考慮しながら、環境と家族機能を考慮した
支援が必要である。
呼吸管理や嚥下の対策ばかりではなく、避難に際しての移動手段の確保や、その後の生命維持に関して、避難場所でのリスクを最低限理解した上での対策が必要になる。
既に、県内では小規模とは言えない人口移動があり、今までの概念では計れない状況が
生まれつつある。被災直後から刻々と変化する状況全てに対応することは困難であるが、最低限の備えさえ無い状態で、現状を考慮することは控えたい。
将来を見通す復興計画も重要ではあるが、その先に、今皆が抱える不安の要素を取り除いてからでも遅くはない。
私たちはまだ危機を脱したわけではなく、その渦中に居るのだから。
尚、災害時生活ニーズ評価表は、何方にでも無料で配布しています。
ご要望あればご相談下さい。
「確かな明日作戦」は継続してお話していきます。
「確かな明日作戦」始動
仙台は眩しいくらいの萌黄色に包まれている。
震災から2ヵ月が過ぎようとしている。
スーパーには商品が並びだしているし、あんなに苦労したガソリンや灯油も心配ない。
途切れていた地下鉄も開通し、都市ガスの復旧と並行して飲食店も普通に営業している。
普通のことがどんなに素敵なことか。
先日、沿岸部の友人と食事した時のこと。
「たぶんどんな言葉でも、この環境で生活している人たちには理解してもらえない。」
彼の言葉は、同じ地域で暮らす者ではないような言い方だった。
それは、妬みでもなく、憎悪でもない。若しくは妬みであり、憎悪である。
私たちの地域は、分裂し始めている。
同じ仙台市であっても、東部道から東側と西側で。東北道から東側と西側で。
西側の人々が安全で快適に見えるのは、果たして錯覚であるのに。
矛盾は見えない。隠され、細分化され、個別化される過程の中で、全てが埋没している。
スーパーの商品も、テレビのバラエティ番組も、そして眩しい新緑の風景も、私たちを安心させ、安らかにはしてくれない。
この2ヵ月に沈殿した疲労。終わることのない持久戦。
些細な言葉に反応し、刺々しい自分に苛立つ。
トラブル続き。まだ駄目なのかと上を見上げる目は涙目。
今そこにある危機に怯え、見通せない明日を憂いる。
希望を強制されると辛いけれど、それが閉ざされては生きていけない。
希望は、自分たちで見つけなければならないことに気づかされる。
私たちはまだ生きている。
「確かな明日作戦」は、そんな確かならざる明日をどう描くのかが命題である。
まず、不安と向き合わなければならない。
不安の原因は、余震であり、津波の再来襲であり、放射能である。
もう一度同じ過ちは繰り返したくない。
不利な環境と条件下ではあるけれど、今を知らなくては備えられない。
備えることで不安を減らしたい。これ以上の犠牲はいらない。
新防災マニュアルは、今週完成するだろう。
マニュアルに沿って、今の利用者を知ろう。
FNSを駆使して、今の地域を知ろう。
そして、できる限りの備えをしよう。
自分も備えよう。マニュアルを反芻し、判断を間違わないようにしよう。
自分を守れなければ、利用者さんやご家族を守れない。
自分を守るということは、自分の家族も守るということになる。
その時を想定し、できるだけの備えを講じよう。
自分たちだけでは生きていけない。
同じ地域で暮らす人たちに何ができるのかを考えよう。
それは利用者さんだったり、ご家族だったり、近所のおばちゃんやおじさんかもしれない。
分裂してしまった地域は、必要なことが地域ごとに違っている。
今そこで何が必要なのかを知って、そこに必要な支援をしよう。
不安を抑え、誰かに必要とされる明日を創ろう。
同じ世界でがんばる人たちと話をしよう。
自分の不安を消すためには、相手の不安を減らすしかない。
この状況下で、地域が繋がる以外に手段はない。
同じ方向を向く人々と、未来を共有しなければ、明日は見えてこない。
8月には止まっていた新サテライト計画を、始動させる。
廃墟に新しい建物を建設し、私たちの仲間から新しい法人を生み出す。
膝をついたのは何度目か。
今日から、「確かな明日作戦」を始動させる。
まず、目に見えるところからはじめようか。
己の不明を恥じる
震災から46日目。
雷響き、冷たい空気と激しい雨。桜の華心配する余裕もなし。
仙台東サテライトは、明日再オープンを迎える。
ここまで2度積み木を崩された。
積み上げたものを理不尽にしかも何ら躊躇なく崩されると膝をついてしまう。
理不尽に対する怒りがある内はいい。山積する問題に挑める内はいい。
それが延々と続き、理不尽に諦める事を覚えると、そこに危機が待っている。
不確定な不安。命の儚さを目前に見てきたここまでの日々は、単純な疲労ではない。
浅はかで半端な思慮。義憤を頼りに猛進する愚かしさ。振り絞る忍耐頼みの日々。
知っていたはずなのに。分かっていたはずなのに。
無精ひげと目の下の黒いかげ。
たまには風呂に入れよなと言いかけて、緊張を解くことへの恐れを知る。
楽をすることを恐れ、危機を忘れることを戒めている。
いいのだ。今夜は休んでくれ。
圧し掛かる責任と義務。大儀を知って、皆を背負う司令塔。
自分の分を超えぬよう、折れてしまわぬよう、忍耐を重ねている。
酒は控えろよな。眠りが浅くなる。
病的に机に向かっている。義務を果たすことに、自らの使命に従順なる人。
顔色が悪い。座位姿勢に疲労が見える。転んだ傷は癒えたのだろうか。
元気がない。弾ける笑顔がない。耐久レースに疲れたみたい。
フィールドにある現実は、いつも元気を奪うものばかり。
君のせいではない。出来ることすればいいのだ。
夕方小走りに家路につく。待ってる人たちがそこに居る。
一日何役もこなさなければならない。そこに居なければならない人。
帰ろう。みんなお腹空いてるよ。
肉親の葬儀は済んだのだろうか。弔いをしながら果たす責任と義務。
何もしてやれない。当たり前の言葉の陳腐さ。
悲しみは忘れなくていい。弔いはしばらく続くのだから。
もう「大丈夫です」の言葉はいらない。
もう無理はさせない。もう独りで頑張らなくていい。
君の今日の負傷は、堪えたよ。
チームは今限界を超えている。
知っているはずだった。でも、ここまでの過酷な日々に応える術が今はない。
一人一人の顔を思い出すだけで涙が出そうになる。
感謝でもなく、尊敬でもなく、愛情でもなく、義務でもなく。
ただただその労に報いるなにかを想う。
不確かな明日。終わりなき耐久レース。日々繰り返される不条理と不合理。
己の力なさをただ嘆く。己が不明を恥じる。
かたあしダチョウのエルフは、為す術なくただ立ち尽くす。
一番膝をつきかけているのは、自分なのかもしれない。
「確かな明日作戦」始動
震災から42日目
余震が収まらず、相変わらず警報の度に様々想いを巡らす。
原発問題は、単に場所の名称が福島なのであり、福島の皆さん同様我々にも人事ではない。震災前「明日」は予定されていて、当然のようにそこにあった。
けれど、それが如何に錯覚であったか、約束された「明日」など何処にもない事を今回思い知った。
桜が咲き春は来たかに見えるけど、いつものように冬を乗り越えた安堵はない。
現在私たちの地域はより複雑で、困難な状態に陥っている。
最も危惧すべき事は、すぐそこにある危機であり、そして目に見えない不安である。
それは、余震であり、津波の再来襲であり、原発であり、生活不安であり、これまで問題だったけれど棚上げされていた現象の顕在化であり、立ち上がろうとする意思の欠落であり、疲労した身体であり、ともすれば折れかかる精神であり、希望定かならざる未来である。
長期間、複雑で困難な環境下で、地域支援事業を継続させるために必要な事。
専門職として、ここで生活する人間として、次の世代に時代を繋ぐ人間として必要な事。
確かならざる「明日」ならば、自ら確かな「明日」を創る行動をとる事。
私たちがこれから行動する思想は、恐らくここにある。
「確かな明日作戦」方針
1 余震・津波・原発等今後の災害防衛に向けた利用者の安全確保
2 同じく今後の災害防衛に向けたスタッフ安全確保と業務支援
3 同じ地域で生活する者たちの支援のあり方を再考し実践する
4 同じ地域で活動する志ある者たちの支援のあり方を検討し実践する
1:利用者安全確保は急務である。3.11震災及び4.7余震で災害は終わっていない。
今後のリスクを最大限に想像予測し、身体的・個体維持のための対策を準備する
2:同じく、関係スタッフの安全確保と業務支援体制の強化を実行する
3:地域支援のあり方を、広域に捉える広角視点と、エリア内ニーズに即した
細分化視点の2方向に置く事。
対策はいつも2つの異なる視点の交差点にある。
4:支援をする者は同じく支援を受けなければならない。
支えあう関係と情報のみならず意思疎通が可能な関係の構築が必要である。
フォーレスト各事業部は、「確かな明日作戦」に則って事業計画を立案する事になる。
「確かな明日」を求めるならば、「確かな今」を創らなければならない。
長期間を要する支援と地域復興を旨とするならば、「今できること」では足りない。
「今の不安を取り除き、これからもできること」を考察しなければならない。
私たちは今そういう時期にさしかかっている。
支援の思想2
震災から38日目。
地震速報が流れる度に、警報が鳴る度に、地鳴りが聞こえる度に、身構える。
津波警報や例え注意報であっても、今海岸線を走るスタッフを想う。
揺れが小さくても、今利用者と共にいるスタッフを想う。
そんなにがんばっても、原発に何かあったら、そこまでなのだと何処かに諦めがある。
確かな「明日」がそこにはないのだと知っていたはずなのに、今思い知らされる。
震災からここまで、できるだけのことはしてきたように思う。
今も自分たちにできることを考えている。今伝えなければならないことを考えている。
でも確かな「明日」が見えない今、この方向でいいのか考え迷ってしまう。
新聞記事の片隅に載った保安庁潜水士の旧友は、誰とは知らない遺体の回収作業をしていた。家族を想い、その無念さを想い、自らの危険を顧みずに被災の海に潜る。
その彼を誇りに想いながら心配して帰りを待つ家族もまたそこにいる。
「福井は今までたくさん支援を受けてきた。だから今度は恩返しなんだ。」電話の向こうの声。
震災一週目に無償で物資を運んで来てくれた人々。
今週は三陸の人々をお風呂に入れる企画を実行している。
「これ無料じゃないの?」「ここに居れば何でもしてもらえるんだ。」
「面倒はボランティアがやればいいんだ。」「ボランティア希望なんかいっぱいいるから。」「国が悪い。行政が悪い。原発のせい。」「何にもすることないから暇なんだ。」
「被災地はね支援が必要なんだ。」「避難所に行って何かしたいんだ。」
「自分たちは必要とされるはずだから。」「何ができるかわからないけどとにかく行ってみる。」「今動かないとこんな時には使えない連中って言われる。」
今、被災地は沿岸部だけになってしまった。
悲惨な光景を観て、行き場ない人々を観て、心の隅に眠っていた人間性を思い出す。
被災地は今ここにあるのに。目の前に。
宮城県は今大きく3つに分かれ始めている。間もなく4つに分かれるだろう。
誰の目にも明らかな悲惨な沿岸部。
未だ身体的危機と、飢えと、横たわる悲壮感。
自ら立とうとする意思を打ち砕かれた人々に対する支援とは何だろう?
もう一度そこに立ち上がるための意思を創る支援とは何だろう?
いつまでも生活が安定しない地域。
ライフラインが細々復旧し、スーパーには商品が戻り始めている。
避難所は縮小され、夫々が自立を促されている。
その地域で、なぜ低体温や低栄養がなくならないのだろう?
人知れず家の中でふるえなければならない人々を、誰が知るのだろう?
震災の影響が少なかった西部地域。
もう震災は過去のことになりつつある。緩んだ空気。
確実ならざる明日が見えている。でも、すぐそこにある2次被害。
医療機関や施設はもう一度その役割を果たせるだろうか?
東の地域を見ずして、果たして本当の「明日」はあるのだろうか?
そして間もなく南部に新しい災害が来るのかもしれない。
既に福島からたくさんの人々が避難してきている。
わずか数十キロ先にある新たな脅威。
そのことに気がついているはずなのに。
「確かな明日」は、この地にはない。
物理的条件で引き裂かれた地域。同じ思考の支援では問題の解決には至らない。
今そこにある危機を感じ取り、今この地でできることをする。
支援をするということは、施すことではなく、立ち上がるための何かを与えることだろう。
夫々が夫々の場所で、周囲を見渡し、忘れられた人々を思い出す。
夫々が夫々の場所で、環境の違いを理解し、何が必要なのかを感じ取る。
夫々が夫々を心配し、声をかけ、今できることをする。
何が支援なのかをフィールドから学び、備え、そして実行する。
「善意」は続かず、自ら立ち上がれる者だけが救われる。
しかしそこに至らない者達をこそ、片隅で忘れられそうな者達こそ本当の支援を要する。
自らの概念を振りかざすのではなく、支援の対象から学び、その必要性を探り、確かな手立てで行動を起こす。
「定かならざる明日」ならば、その「明日」は自ら探さなければならない。
疲 労
震災から35日目。
訳も分からないうちに、感情が沸き上がったり、痛みに鈍麻している時がある。
そんな時は、決まって身体は動かない。
深い海底で水圧に押しつぶされそうになっている哀れな魚のように、身体は動かない。
悲しいことが多すぎたり、怒りがその方向を見失ったり、耐久や持久といった言葉に嫌悪したり、憎しみや痛みや圧力に屈したり、諦めに慣れたり、痛みに慣れたり。
そんな時、底づきしたように、両膝をついて、許しを請い、自らを批判し、他者を傷つける。
疲れているのだ。疲れ果てている。
「自分より酷い人たちいるから、その人たち助けてやって。」
「おとうさんみつからない。」「子供たちみつからない。」「おかあさんかえってこない。」「家も職場もない。命があるだけ自分はいい方だ。」「借金残っている。でも何も残っていない。」「社員を解雇したよ。」「5時になると奴ら帰っちゃうんだ。」「申し訳ないからこれはいいよ。」「はじめからやり直しなんだ。」「現実かどうか定かでなくなるんだ。」
「がんばってもどうせ原発でだめになる。」「直したのに元にもどっちゃった。」「やらなきゃならないのは分かっているけど、できないんだ。」「休むのはいけないでしょう?」「周りががんばっているんだから自分だけなんてできない。」「これでよかったんだよね。そうでしょう?」「なにかできると思うけど、いらないって言われた。」「急に眠くなるんだ。」「涙が出ないんだ。」「花粉か風邪か悲しみか。」「食べ物ないんだ。」「おとうさん犬のオムツと新聞紙にくるんじゃった。」「ばあちゃん地震忘れて汲んできた水捨てちゃう。」
「今でも十分だけど、いつまで続くのかわからないのは辛い。」
その一言の裏側に横たわる延々とした忍耐と苦労。そして悲しみと憤り。
疲れている。疲れているのだ。
皆、誰もが一生懸命なのだ。夫々が夫々の場所で一生懸命生きています。
休むことに罪悪感を感じ、がんばれの声援に必死に応え、支援を拒み自ら立とうとする。支援を受けることに罪悪感を感じ、声援に応えられない自分を責め、悲しみに鈍麻する。
先が見えない耐久レース。責任と義務とやりきれないほどの悲しみと。
ゆっくりでいい。だめでもいい。早くなくていい。不十分でいい。至らなくていい。
今夜眠っても、次の朝はきます。みんな待ってくれる。みんな手伝ってくれる。
底についてしまったら、そのまま休もう。何も考えずに休もう。
誰もあなたを責めず、誰もがあなたを理解します。
今夜は、眠ろう。
支援の思想
震災から30日目。
一昨日の余震。
宮城県沖地震を思わせる大きさだった。
改修中の東サテライトは、見事にやり直しの作業が必要になった。
11日Reオープンはまた遠のいた。
オープンを目指して復旧に勤しむスタッフ達を労うつもりが、逆に励まされた。
もう一度に怯んでいたのは、自分だった。
岩切事務所も大きな被害があった。
前夜の津波警報で非難していたスタッフ達。
「どうして今日出社できたの?」の問いに、「来ちゃった・・」。
自らも被災者なのだ。深夜の津波警報。蘇る3.11。「子供たちはどうしてるの?」
停電中の暗い事務所で、懸命に月末作業を続ける業務支援部。
訪問部隊に休息はない。
ラジオで宮戸島避難所の食料がないこと伝えていた。
ふざけてはいけない。私たちの国は、私たちのこの地域は、飢える人々の存在はない。
車に詰め込めるだけ詰め込んで、美景の浜を目指す。
西日に照らされた嘗ての景勝地。路なき道。廃墟の集落。
「対策本部の公務員さん達は5時で帰っていったよ。」笑う漁師さんたちの笑顔。
焚き火に集まった人々の笑顔は嘗ての浜を想いださせた。
NHKが伝えた仙台空港の被災。
そのすぐ傍でたくさんの人々を救った包括支援センター。
今はコミュニティセンターに間借りして運営している。
在宅の人たちの物資がない。
市役所や倉庫に物資はあるけれど、在宅で孤立している人々には届かない。
命がけの避難救助をして、自らも被災して、そして屈せず、今孤立した人々を支援する。
地域を守る守護神たち。
本来最も支援の強化が望まれる石巻エリア。
港の傍の地域基幹病院。病院の玄関前に大きな遠洋漁船が横たわる。
外の景色からは想像もつかないほど清潔に保たれた病棟。
その空間を維持するための懸命の作業。
泥・ごみ・埃・悪臭・泥・ごみ・埃・悪臭。
患者さん達を守る廃墟の守護神たち。必要な時はいつでも声かけてください。
終わっていないのだ。はじまってもいない。
善意の物資は続かない。善意の支援は必要な人々に届かない。
忘れられ、捨てられる。
廃墟の風景からもう一度立ち上がるための何か。
延々と続く敗戦処理作業。目の前にある不条理。そして危機。
ライフラインの復旧とバラエティ番組という麻酔をもらい、人々は忘れかけている。
沿岸部の危機ではないのだ。
ライフラインの復旧した街中で低体温症や低栄養で亡くなる人々。
家も職も失う危機が、自ら住むこの地域の崩壊がそこまで来ている。
本当の支援とはなんだろう?
自ら「在宅支援チーム」を名乗りながら、解っていなかったその思想。
答えは、フィールドで戦う戦士達の中にある。
震災から22日目。
悲しみと怒りに満たされた風景。
西日に照らされた荒涼とした大地。風に舞う深海の泥。マスクを濡らす涙。
砂防松の残骸。なぎ倒された故郷。壁に染み付いた水深。
毎日の作業はまるで敗戦処理の如く。理で割り切れぬ想い。絶望の断崖。
運ばれたレンタルベットから、錆と泥が入り混じった海水が流れ出ていた。
これを引き出す作業が如何に困難だったかを、そのまま理解させる残骸。
汚れたその顔に笑顔はない。疲労と諦め。踵を返してまた戦地へ戻る。
目の前で暴水に飲み込まれた同級生。
校庭で繰り広げられた命がけのかけっこ。
「もう海になんか行かない。」恐れるその目の先にある未来とは。
心痛めて想いを受け止める度に流れる不覚の涙。
支援物資を遠慮する声。
自分より大変な人へと笑って手を振る。
支援は届けない。分かってる。ここに置いておく。必要なもの持って行って。
果てしない労働。押し寄せる病んだ人々。
限界を超える機材。枯渇する物資。見送る不甲斐なさと不条理。
機能麻痺と戦う医療機関の戦士たち。
重いポリ缶を持つ腰の曲がった老夫婦。今夜の暖を求めて並んでいる。
寒くないですか。重くないですか。必要なものはあと何ですか。
長時間の列。棘棘した自分の感情を恥じて悔いる。
希望を許されない風景が、延々と横たわっている。
どこまで行っても敗戦処理。疲労と諦めの先にあるものとは何だろう?
「お前がそんなことでどうする。」「諦めているのはその風景のせいか?」
支援や激励とは違った声。・・・ 聞こえた。
今年6月オープンを予定していた新サテライト。止まった計画。
津波に飲み込まれたその場所に、私たちは新しい建物を建設する。
予定は遅れるけれど、今年その地で計画を続行させる。
今、積み重ねるのは決して敗戦処理ではない。未来に向けた希望の建設である。
今一番必要なものは、この地に希望を創ることである。
諦めと悲しみの中で確かな未来を繋げたい。
この地を、私たちのこの地域を敗戦の地にしてはならない。
私たちは希望のために、今を走る。
震災から17日目。
岩切在宅支援ステーション玄関に立つと、南方の空にオリオン座が見える。
電気の復旧前にはあまりに美しく見えて皆驚いた。普段街が明るすぎるだけなのだと思い知らされる。星の輝きを邪魔していたのは私たちなのだ。
今はまた以前のようにオリオン座は少しかすんで見える。
物資の補給は大分融通が利くようになってきた。
被災地に向け、全国から支援が届いているからだし、物流も恐らく優先的に考えられてのことだろう。ただ、必要な人に必要な物が届いていないのも確かである。
依然水が十分入手できない地域があり、フォーレストは各車両に大量の水を積んで出かける。灯油も同じで、老人だけの世帯では買いに行けるわけもなく、配達もされていないので布団を被って生活している。相変わらずガソリンの不足から通院等外出は困難なままだ。食事の心配は家屋が被災から逃れていても当たり前のようについて回る。
オムツ等排泄関連の物資は、医療機関や施設が在庫を抑えてしまっている。薬局で購入できるものは限られ、それも在庫限りである。
在宅療養をしている皆さんやそのご家族にとって、こういった災害後の生活の維持が如何に困難となるか。避難して助かったけれど、その後に待ち受ける生活安定のための対策。平時からこういった環境を考慮した対応策を立てておかなければならない。それを何度も思い知らされている。
今回の災害で我々はさまざまななことを学んでいる。
訪問看護ステーションにおいて、看護師と伴に活動するリハスタッフ達。
専門職が互いに連携しあって動く機動力が、支援活動に大きく役立った。
震災直後の安否確認では、リハ職がチェックシートを利用して看護に状態を打診。
生活環境の確認から福祉用具班が即応して起動。
避難所では通所利用者の生活聞き取りから必要要素を抽出している。
元々フォーレストは訪問看護ステーションの中にリハ職や福祉用具班が存在しており、生活全般の支援を目的に活動してきた。しかし今回の震災後の経験で更にこういった機能が地域に有効に働くことが確認できた。
私たちは、自信を持って「フォーレスト在宅支援ステーション」と名のれる。
リハ職の活動は震災直後の安否確認や状態確認から、実際の臨床活動に移行しつつある。しかしそれは右手にリハ臨床、左手に生活支援活動と2つの方向を持っている。2つの方向は実は表裏であり、何も震災が起こったからではなく平時から考慮しなければならない事だろう。
十分とは言えないが、今日からフォーレスト車両は全車両が起動できた。
朝、皆が夫々の訪問先に支援物資を乗せて出発するのを見送る時、ただただ感激でいっぱいだった。
星の輝きを邪魔しているのは私たちの社会活動だが、人が人のために営む活動もまた私たちの社会活動なのだ。
震災から12日目。
ライフラインの復旧と共に、どこか弛緩した空気がある。
街では、避難所が統廃合されている。
一時収容した病院や施設は患者や障害者を返し始めている。
新聞は、復興の記事で皆に安心を与え、来週にも事態が解決するかのように伝えている。
苦しい毎日から開放されたい気持ちと、未来に希望を持ちたい気持ちは誰もが持っている。
でも、どこに安心と安全があるというのだろう。
暖かい部屋で、テレビ映像をあたかも映画でも観るように眺め、危機は去ったのだと錯覚する足元で、次々と起こる不条理と不合理。
危機は形を変えていまも私たちの傍にいる。
フォーレストに繋がる電話の声から。
オムツやパットがない。便が10日も出ていない。尿の色が血の色してる。
配給された水。でもむせこんで飲めない。水分とっていない。
介護用の食材がない。刻み食なんか作れない。とろみ剤がなくなってしまった。
電気がないからエアマットしぼんでる。
透析、薬剤処方等ための通院手段がない。
食事していない。下痢がつづいている子供や老人。熱発がつづいている。
避難所の非常設置トイレでは動作できない片麻痺患者。
環境の変化と物理的条件が整わず、歩行が困難になっている。
往診ドクター・訪問看護ステーション車両の燃料切れ。
避難者受け入れ施設の食材、部材の枯渇。
医療・介護スタッフもまた被災者で、十分な人員が確保できない。
雨と泥まみれのボランティアさん。
障害児を抱えて、買出しや病院にも行けないお母さん達。
いまだ水が手に入らなくて、川から汲んで運んでくる介護者の人々。
施設から帰された認知症患者さんを抱えた家族。
数日前、低栄養で弊社の利用者さんが亡くなった。
スタッフは唇をかむ。
何も終わっていない。震災からも津波からも助かったのに、混乱の中で人々は苦しんでいる。大丈夫の言葉裏に潜む危機。復興の影に隠れて忘れられている人々。
医療人として、福祉に携わる者として、今動かないでいつ動くのだろう。
テレビのバラエティー番組が腹立たしく観えるのはなぜだろう?
フォーレスト通信2
震災から8日目。
今日が何曜日なのか分からなくなる時がある。
震災直後の記憶ばかりが鮮明で、ここ数日の記憶が跳んでしまう。
皆が夢中で目の前の問題に取り組み、ともすれば挫けそうになる心を支えあう。
震災直後の被災地は、見慣れた風景が一変し、ただただ涙が流れた。
1週間の間に、その悲惨な光景を少しずつ少しずつ復興させていく人々。
人間ってすごいなって素直に思った。
激しくうれしかったこと。
三重の井上先生がボランティア医療部隊で七ヶ浜に入り、雪の中お会いできたこと。
先生に支給して頂いたガソリン缶で、フォーレスト車両の殆どが走行可能になったこと。
三重医療部隊の災害地仕様送迎バスを見学し、フォーレストスタッフが奮い立ったこと。
名古屋小山さんから支援、福井松井さんから支援、たぶんNPOの仲間たちが協力して支援物資を送ってくれること。考えられないルート。考えられない想い。
家族からの電話に思わず立ち上がって、涙ふきながら事務所の外にとび出すスタッフ。小さな息子と奥さんを夜中に実家に送り出し、こみ上げる想いを押さえ込んで仕事するスタッフ。薬のみながら不安訴えながらそれでも時間になると夕食を用意するスタッフ。一度も家に帰らず、皆のために裏方に徹するスタッフ。皆の要求に黙ってうなずき、黙って応えるスタッフ。最も悲惨な被災者であるにもかかわらず、避難所でボランティア相談員やってしまうスタッフ。遠征先から飛行機とバス乗り継いで、大きな物資引きずって帰ってきた司令塔。川から大量の水汲んできた得意げな汚れた笑顔。何キロも徒歩と自転車で安否確認してきた疲れ切った笑顔。独りで悲惨な現場をめぐって途方にくれてしまった笑顔。避難者名簿HPで家族の名前みつけた笑顔。
昨日あんなに疲れていたのに、朝になると挑むように前をみている。そんな人間たちが傍に居てくれること。
まだ災害は終わっていない。
何万もの人々が住む場所を奪われ、移住を余儀なくされている。
地域が崩壊しかけている。町では略奪が横行している。
在宅の療養者はどこかに忘れられている。
基幹病院が倒壊しかけている。電気も水もない家に退院させられる入院患者。
下痢と低栄養に悩む子供や老人たち。
津波は去ったけれど、地域を覆う社会的津波はまだ去っていない。
明日も走る。
今、やらなければならない。今前をみなければならない。
たくさんの人たちの支援と応援の声を胸に、私たちはこの地域の片隅を支えていく。
明日も走る。
その言葉の裏側ににじむ苦境と忍耐に涙が流れた。
自己を犠牲にしても、守るべき人を持つその強さに心うたれる。
見開かれたその目からこぼれる一筋の涙。
わたしを想うその涙が何よりも私を救った。
居たたまれぬ空気に背を向けて、殻に閉じこもる自分。
傍で、すぐ傍で、仲間が手を差し伸べているのに。
大丈夫か?と問われる度に感じる守られる感触。
今度は、自分が誰かを守りたい。
新年度、フォーレストは新しい組織を編成させる。
専門職で統括することを止め、部門毎の統括となる。
おのずと言葉も価値観も違う人間が協力して仕事をすることになる。
矛盾と不合理が沈殿する地域ケア。病める人達や重い障害を抱えた人達と共に生きていくためには、新しい概念とその実行が必要だからである。
訪問看護ステーションは、看護職とリハ職のいっそうの連携を期待する。
それだけではなく、その連携の意味と実践の方法を構築する。計画書を統合し、刻一刻変化する利用者やその家族のニーズに応えることを理想とする。
小児分野や認知症分野の拡充を皆で考える。オアシス(生活関連用具開発)の仕様を強化し、互いに相談しながら利用者の生活を考察できるようにする。
他部門にバトンをわたす意識を持ち、その橋渡しができることをプライドとする。
通所事業は、2つの事業所が協力して役割を担えるようにする。ソフトを見直し、利用者の目的に合致するサービス提供を完成させる。
自らの役割がシステムの全てを支えていることの認識。自らの発想が全ての企画に繋がることを理解する。お世話して感謝されるのではなく、利用者と共に希望を見出せる喜びを知りたい。障害が重度化することを止めるだけではなく、社会に繋がる窓になることを旨としたい。
福祉用具部は、より一層利用者とその家族の下に居たい。価格の低さをプライドにしてはならない。それよりも多職種で紡ぎ出されるサービス体系の基盤でありたい。
新しい販売方式は新しい仲間を生み出す。新しい企画はよりいっそう皆に喜んでもらえるようにしたい。求められることを喜びにできる精神で新しい事業部へ変革する。
業務支援部は、全ての事業の基盤となる。単なる事務職ではない。事務職が事業部として起動できる条件を整備する。全てのサービス提供がその基盤上で動く。
皆が動きやすいように、皆が協力できるようにシステムを構築したい。
互いが各々の役割に気がついた時。その時こそ新しい事業としての業務支援が可能になる。全ては皆が思う存分臨床活動や関連事業に打ち込めるようにアシストすること。
皆が後ろを振り返ったら、笑って安心を届けられる。そこにプライドを持ちたい。
誰かが誰かのために動く。
何かを支えるためには自らが支えられなければならない。
小さなことに気がつき、小さなことを自ら変えていく。
私達はそんな組織を目指したい。
長い時間をかけ、沈殿する矛盾と不合理を解消していきたい。
新しい季節が間もなく始まる。 君のために何ができるのかを一緒に考えたい。
]]>「新年所感」
正月の神棚飾りと元旦の祝い事は、寝たきりの父の座敷だった。
神様の配置を息子が間違うのではないかと、心配そうに伺う父の顔が思い出される。
神棚飾りの折、ベットではなく、仏壇に飾りの手順を聞くようになって久しい。
お盆が近づく夏のころ。
荒浜海岸に夜釣りに出かけた折、魚の当たりの鈴の音を聞きながら、病院を辞して事業を志すことを父に話した。
父は、不遇な息子を気遣い、心配まじりの笑顔で賛同してくれた。
フォーレストの賛同者第一号は、まぎれもなく父であった。
あれから十年になる。
独りで歩き始めたころ。
資金も伝手もなかった。
技術者として患者さんの傍に行くことのできない日々。
野良犬同然。馬鹿と言われることに自虐的に笑っていた。
信じるしかないのだけれど、膨らむ借金と先の見通せない不安はいつもついてまわった。
人の温かさと優しさをはじめて実感できたは、このころだった。
仲間ができたころ。
「責任」の二文字に押しつぶされた。
他人の人生にかかわる怖さを実感した。
独りで歩いている時よりも孤独なときがあった。
人に囲まれるよりも自分に逃げ込んでいた。
それでも信じて付いてきてくれる仲間たちが、そのときを支えていた。
支えられているから、自分も支えられることをはじめて知った。
逆風が吹いたころ。
全国にこんなに仲間が居ることを知った。
誰もが同じ路の上にいるのだと教えられた。
事業のパートナーに恵まれ、年上の先輩に教えを受けられるようになった。
点が線になり、支えは更に多軸となって面になっていった。
「感謝」を形にできる喜びも知った。
花が咲き始めたころ。
私心が削がれ始めていた。
元々「専門職を地域に送り出す」ことが命題ではあった。
けれど、どこかに自らの成功を願い、どこかに落ちていく圧迫された怖さがあった。
いつの間にか、成功を願う気持ちも、落ちていく圧迫感もなくなっていた。
皆が、元気に安全に仕事しているのが嬉しい。
患者さんやご家族に感謝されるのではなく、希望を持ってもらうことが嬉しい。
スタッフが壁を乗り越えたときに、共に味わう感激が嬉しい。
大人の仲間入りをした新人が、歩き出す背中がいい。
こころ開く友人が増えることが嬉しい。
平成23年度がまもなくはじまります。
今年は、新しい組織編制の元、新しい事業に着手します。
荒浜の砂浜から十年。
ようやく夢が手の届くところまできています。
けれど、それは私たち専門職だけの夢ではありません。
新しい目標は、その地域ごと新しい社会の繋がりを結んでいける事業へと発展させます。これからは、夫々の生活の中で、各々が結ばれる事業へと向かうことになります。
その芽は、すでに私たちのもとにあります。
その芽を、みんなで育みたい。
それが、今年の想いであります。 願わくば皆が元気で、一緒に結ばれることを。
「 憂 い 」
路を見失ったのか?
照らせなかった?導けなかった?
君をそうさせたのは何なのだろう?
失うものの大きさではなく、ただ君のこれからを憂う。
いつでも戻っておいで。外は寒いから、駄目だと解ったらすぐ戻って来るんだよ。
同じ場所をぐるぐる回っている。
思考が閉鎖した回路を回っている。
本当は解答がすぐ足元にあるのに。それに気がつかない。
いいんだ。時間かけて。飽きるまで閉鎖回路を走ったら、きっと見えてくる。
そう信じる。ただ信じている。憂いは打ち消すよ。
体調が本当ではない。
心も折れかかっている。
方向を見失う。未来が見えない。力が出ない。
尻込みしたくなる目標。生き方決まらない。
いいんだ。ちょっと休もうか。答えは要らない。
今その状態を憂う。心配しながら傍に居よう。そう傍に居る。
抱えたものの重さ。
限られた時間。限られた希望。
人に何を言われても、どう思われても守らなければならないものがある。
君をそこまで追い込む世情を憂う。
何か手伝わせて欲しい。切に。
この状況でなぜ笑えるの?
この環境でどうしてそんなに幸せそうなの?
応えの代わりにまた微笑んでる。
憂いはこちら側にあるのかもしれない。
そう。あなたには憂いなんかない。
それを気がつかせてくれた。・・・ありがとう。
毎日訪れる様々な人達との関わりが、時に憂いを招き、時にそれが自らに起因するのだと
教えられる。
希望が閉ざされたり、不合理と不条理が重なるこの世情に、私達は共に生きている。
希望定かでないこの時代に、私達は何を見出すのか。
願わくば、「憂い」を超えて希望の鐘を鳴らせたら。皆で鳴らせたら素敵なのに。
夢に向かって3〜誰かのために何ができるか〜
自らの存在を確かにするのは、決して自らを喧伝する事ではない。
寧ろそれは常に見えない場所で、理解されず、時に誤解され、それでも自らの役割に愚直なまでに向き合う姿勢が醸し出すものである。
仕事とは、誰かのために自分が何ができるのかを考え、実践する事である。
・・・
我々の仕事は、病んだり、障害を抱えたり、そんな人々やその家族の生活の向上にある。
当たり前の事。でも時に当たり前が歪んでしまう時がある。
自分の職域に拘ったり、権利を主張したり、隣の仲間が仲間でなくなる瞬間。
専門性の連携とその連続した活動こそが求められているのに、いつの間にか自らの喧伝に懸命になっている。
挑む対象を忘れ、仕事の対象を忘れている。必然として、その存在は認められない。
・・・
専門職が後方を気にせず、サービスの提供に全力で向かえる。
専門職が一人でも多く、障害を持つ人々やその家族の傍に寄り添える。
そんな世界観が必要である。人まねではなく、私達の地域に合った、私達の役に立つシステムが求められる。
そのシステムの中核思想が多職種・多事業連携である。
その達成のために何が必要なのだろうか?
例えばそれは、事務処理であったり、会計処理であったり、労務管理であったり。
専門外の困難な仕事。それを現場の専門職の後方で支援する部隊が支援する。
後方で支援する部隊があって初めて前線が機能する。
例えばそれは、テクニカルな医学的処置であったり、臨床経験が必要な処置であったり、
もっと有効に利用者の生活を向上させられる技術であったりするかもしれない。
でもその総てを兼ね揃えた専門職など居ない。
互いが役割をパスし合う関係。情報の集積と還元。互いが互いを支援する環境。
そんな関係が欲しい。
例えばそれは、技術の未熟な者を先に行く者が支援する事かもしれない。
伝達される技術、伝達される思想。
専門性を高めるためにどうしても必要な専門職間での支援。
己が技術に埋没せず、新しい発想と新しい仕組みを生み出すための仲間作り。
例えばそれは、次のステップに利用者を送り出す作業。
ゴールなき支援など在り得ない。
時にそれは一時的に自らが不利になるかもしれない。
でも、誰のための仕事だったかを忘れてはならない。
利用者やその家族が本当に求めるサービスに繋げて行く事。そんな発想。
サービスが移行してこそ、ゴールを達成してこそ、それまでの仕事の結果を出せる。
サービス提供機関で移行できる環境。互いが信頼し合い、壁を越えた関係が構築される環境。
そんな世界が欲しい。
・・・
多職種・多事業間の連携のためには、現在考えられている以上の複雑な仕組みと、乗り越えなければならない課題が存在する。
夫々がプロフェッショナルである事。夫々が自らの役割を認識しそれに徹する事。
何より、自らの存在を賭けるならば、他者を支援する事をこそ旨とする事。
そんな意識がなければ、我々の夢は繋がって行かない。
・・・・・
今年9月。フォーレストには新しいサーバが導入された。
それには専門職を繋ぐ情報データベースが格納され、現場から直に後方へ意思伝達可能になるシステムが構築される。
双方向の意思伝達。それはやがて事業所間を結び、ネットワークを形成し、仲間のために何ができるのかを考えるツールとなる。
もう事務所なんか必要ない。いつでも何処でも互いが繋がりあえる。
私達の夢を創る材料である。
13歩のレース 夢に向かって 2
秋の新人戦まで、彼がどんなにトレーニングしてきたのかは知らない。
ただ、毎日炎天下の中休まずに努力していた事だけは知っていた。
既に下位ながら県のランキング入りしている彼は、しかし未だ自らの目標を見出せないでいたのかもしれない。
400mの距離を91.4cmの高さのハードルを10台飛び越える。それだけの競技である。
最初のハードルまでの距離は45mでそこから35m間隔に10台のハードル、最後のハードルからゴールまでの距離が40mである。
新人戦初日に予選からスタートした彼は、しかし準決勝で敗退する。
記録ビデオを見ながら失敗したレースについて、彼はその経緯を話してくれた。
「今までハードル間を15歩で走っていた。今回は予選で13歩で走った。」
「15歩を13歩にするためにはスタートからそれまで以上の加速が必要なんだ。」
「やってはみたけど・・途中から意識が遠くなるくらい苦しくなった。」
ビデオの中の彼は、途中までは図抜けたスピードなのに、後半まるで白目をむいた様な哀れな形相と無様に崩れたフォームで、それでも何とかしがみつく様にゴールしていた。
新人戦の間、彼の競技成績はランキング入りしているとは思えないような無残な結果。
初日の400mハードル予選の影響が総てに出ていた。
「何が足りないか解ったんだ。」「だから何をしなければならないかが解った。」
彼の敗戦の弁である。
人は目標を見出した時、そこに向かう事で自らの意義を見出せる。
与えられる結果ではなく、その時に自ら一歩を進められるか否かで決まるのだ。
「13歩のレース」は彼に目標を与え、そして超えなければならない課題を見出させた。
彼にとっては、価値のあるレースであった。
・・・・・
我々も既に「13歩のレース」を知っている。
「何が足りなくて、何をしなければならないのか」を知っている。
新しい地域ケアの創出のために以下の3点の一歩が必要である。
?思想(新しいサービス提供概念=利用者ニーズ分類考)
?多職種多事業連携を前提にした専門職の地域輩出(起業者育成とビジネスモデル)
?地域に根ざす仲間達への支援(事業関連オペレーションとネットワークの構築)
・・・・・
来年度事業計画は、この三つ課題遂行の第一歩となるようにしたい。
今は哀れに白目をむいて無残なフォームでも、確かな一歩を踏み出したいものである。
夢に向かって 1
暫くブログの更新をしませんでした。
現在、弊社利用者ニーズ分類のバージョンアップが為され、そのアウトラインが少しずつ見えて来ていたからです。
今までのニーズ分類を基に新しいサービス提供概念が始まります。
地域ケアに関わる職種がお互いに役割を理解しつつ連携できる事、各サービス事業が決してレスパイト目的だけでない本来の目的融合が可能になる事。
それが弊社の事業概念である多職種・多事業連携であり、地域ケアに於けるサービス提供の条件になる概念です。
これまで、地域ケアに関わる多くの人達誰もが、「連携」と言う概念が必要である事を認識しています。
けれど、どうやって連携するのか現実にそれを有機的に実行する事が常に困難でした。
又、利用者(サービス消費者)側に立つサービス提供手法とは如何なるものか、常にそれは携る者達の命題であり、願いでもありました。
その2つの問題に挑む私達の研究成果が、地域ケアのフィールドから生まれ変わろうとしています。
新しい地域ケアの概念を基に、私達のサービス提供からバージョンアップさせていくつもりです。
・・・・・
【新しい概念が必要な要因】
? 医療機関等内部であれば、利用者も医療従事者も傷病の回復とその管理に集中できる。
そこでの「生活」は均一であり、「介護」はあくまで管理として範疇である。
ただし、ここでは利用者とサービス提供者の間に目的の不一致は存在しない。
しかし一旦医療機関から出た場合、そこにはプロフィールの全く違った利用者個々の
「生活」が、在る。
そこでの「介護」は決して一元的な「管理」では済まない状況が存在している。
この当たり前の事象に余りに無頓着に制度が決められている。
「利用者プロフィール」に則った「サービス選択と提供」が今後の急務である。
? 医療・介護分野に従事している人間は「サービス業」である。
「サービスを提供」引き換えに「利用料・報酬を頂く」これはサービス業である。
当たり前の事を当たり前に認識していない者達が存在する事は残念である。
自らが「サービス業」であるとの認識を持てば、自ずと利用者が何を求めているのか
を知らなければならない。制度で割り切られた事業をただ構築するのではなく、
法的範疇で可能な範囲でその実現に向けてサービスを展開させる事が必要である。
自らが選ぶ側ではなく、選ばれる側である事を銘記すべきである。
? 多職種が連携するための条件は、「報告書」や「会議」ではない。
まず、自らが高い専門性を持って提供できるサービスの範疇を知らしめる事である。
又その専門性を利用者の必要に応じて適宜変更させる事が可能な状態でる。
そのためには、利用者プロフィールに合致した複合型のサービス提供が重要である。
高い専門性に裏付けられた複合サービス提供を実施するためには、新しい概念が必要である。
? 在宅サービスと施設サービスとを分けて考察する事自体、利用者を無視した思考である。
本来利用者プロフィールに応えられない状況と環境が施設に収容する形式を生んで来たので
あって、それはレスパイトと社会的素因に基づいた偏った選択肢であった。
又事業を利用者ベースではなく、制度に合わせただけの単なる収容施設化した環境が果たして
これからの世代の利用者に受け入れられるだろうか?
利用者の「生活」をテーマにするのであれば、必要に応じたサービス事業の選択とやはり
複合化されたサービス提供手法が必要である。
障害を持つ事で、「生活」が破綻する社会的環境をこそ変えなければならいのであって、
小手先のサービス提供の変更ではその任にない。
? 各々の提供サービスをセグメントする。
多機能であったりサービス特化する事と、「サービス限定」する事は違う。
各々が提供できるサービスを、利用者のニーズに従ってセグメントし、何ができるのかを
明確にする事が肝要である。
又そのサービス目的を利用者と共有し、目的を持ったサービス提供にしなければならない。
あらゆる意味で、提供サービス項目はメニューとして一覧でき、且つそれを利用者が
選択できる環境とそれを裏付ける概念が必要である。
? 利用者の「生活」範囲でのサービス提供が前提である。
広範囲な大規模型のサービス提供では、利用者をその生活範囲から引き離してしまう。
故に、サービス提供媒体は小規模で且つ多機能でなければならない。
ただし、その小規模な事業と多機能さを繋ぐ確かな思考性が必要である。
・・・・・
大雑把に言えば利用者のニーズを汲み取ったサービス提供をしないと、本来の「支援」にはなりませんよ。と言う事です。
ただこれまで提唱されて来た概念は、障害を期間で分けたり、こちら側が勝手に区分したりの概念でした。それに応じて作られて来た制度やシステムは現在行き詰まりの状態です。新しい概念と環境が必要なようです。
当たり前の事が、当たり前に行える。そんな「私達の夢」が、少しだけ近づいているように感じています。
Progress
最近、ちょっといい。
冬が終わって、桜が過ぎて、藤が咲く頃。 ずっと、悩んだり、もがいたりしてた。
問題は何も解決していない。まだ路は半ば。
気がついてしまった自分に半分は後悔。後ろ向きの自分に嫌悪。
前を視る目は涙目だけど、それでも口元は締まっている。
そんなあんた・・カッコいいよ。
・・・・・
飛び込んだ流れは、思いのほか急流。訳判らないまま過ごす時間。
自分がまだ何者にもなっていないこと気がつく。
路に迷ったり、不慣れなことに戸惑ったり。
実力の差を意識したことなんかなかった。
それでも、抱えていた不安や疑問の答えがそこに在るかもしれない。
利用者さんやご家族からの言葉が嬉しい。・・
流れはきついけど、歩いて行けると思う。
・・・・・
否定から入るあいつの言葉は許せない。
今まで確かだったはずの路。・・それって全部誤りなの?
何とか立て直そうと思っていたのに、あからさまに見透かしたその視線が嫌い。
感じていた不安。やり切れない不合理。流れが逆流していること知っていた。
今、自分の存在を懸ける。
苦しみの中に見え始めた一筋の光は頼りないけど。
それでもこれからを確かにしなければ・・あいつのせせら笑いは消せない。
・・・・・
想いはある。このままではいけないって知っていた。
言われたこと全部やっていた。
自分を鼓舞して走っていた。
止まれば終わってしまうこと、他に生きていく路なんかないこと、知っている。
疲れて、途方に暮れて、解らなくなって、暖かい部屋に篭りたくなる。
何時か、誰かが、どうにかしてくれる。
・・・そんなこと在り得ない。
解らない自分を認める。
当たり前のこと当たり前にやるだけでは駄目なんだ。
もう一度、もう一度前を視よう。
もう一度暖かい部屋を出て、そのフィールドに立とう。
決意のその目は、確かに前視てる。
・・・・・
遅いこと許して。そんなに沢山処理できない。そんなに沢山要求しないで。
やること為すことみんな裏目に出る。
間違いを訂正するための仕事。徒労感と不甲斐なさ。力の無さ知ってる。
・・・だから責めないで。
十分な自己嫌悪。ただ立ち尽くす。
軋む身体と心。少しの優しさに触れただけで涙出る。
みんなが居る。みんなが手伝おうとしていた。みんなが手を貸してくれる。
いいんだよね。
立ち尽くしたら誰かが一緒に歩いてくれる。・・そして感謝。
だから、みんなのために動くんだ。
・・・・・
認められなかった屈辱。理解されない想い。
みんながその想い共有してくれた。
仲間が認めてくれた。一番厳しいフィールドの仲間。
自信はない。どんなに進んでも不合理と不条理とが立ち塞がる。
誰にも気がついて貰えずすくんでしまっている人たち・・知ってる。
誰に認められるのでもなく、誰に誉められるのでもなく、ただその人たちと在りたい。
その人たちのために仕事してる。
自信はないけど、でも、今立つフィールドに間違いはない。
・・・・・
泣き止まぬその声。寂しそうなその顔。纏わりつくようなその甘え方。
知ってる。寂しいんだよね。
一緒に居られなくてごめんね。
一緒にごはん食べたい。
もう十分なくらい抱きしめてあげたい。
不自由な想いさせたくない。
でもね、・・・待っている人たちがいる。
痛くて苦しんでるんだよ。希望が見えなくて膝着いているんだよ。
泣いてる。顔歪めてる。歯を食いしばって、重いもの背負ってる。
そんな人たちのために・・少しだけ時間頂戴ね。
今日は早く帰るから・・そしていっぱい抱っこするから。
・・・・・
ここを守らなければ。自分が折れるわけにはいかない。
辛いって言葉忘れた。大丈夫が口癖。
何のためにではなく、自分のためでもなく、ただここを守る。
与えられた役割。終わりの無い耐久レース。
どんなに頑張っても、どんなに守りきっても、それが当たり前。
でも、気がついたんだ。
一人じゃなかったってこと。・・・目から汗が出るよ。
・・・・・
あんたら、ちょっと素敵。
夏の始まりに・・チームは上昇気流に乗り始めた。
・・・・・
誰かが、誰かのために仕事してる。
自信もないし、不十分だし、至っていないし、何処に居るのか解らなくなるけど。
泣いても、叫んでも、誰も助けてなんかくれない。
歯を食いしばる同じフィールドの仲間達。
声かけて、少しの手伝いしかできないけど。
それでも、一緒に誰かのために仕事できる。
・・・・・
あんたらちょっとカッコいい。
連携ケーススタディ13【ニーズ分類とは何か?パート3】
2)非期間設定群(長期支援) → 期間設定しない・できない訳がある
長期支援解説の前に
? 私達のサービス提供手法はどんなベクトルなのか?
何度か書いて来たが、利用者をはじめサービスユーザーにとって有効であるサービス提供手法とは如何なるものであろうか?
最近では多少の変化を認めるが、医療機関内のサービス提供は、疾病や障害治療の名の下にサービスを受ける側と提供する側には一定の共有された目標がある。
故に提供されるサービスそのものを利用者側は受け入れる事が容易である。
又、サービス提供側もそれが至極当然と受け止める。
加えて、医療機関内では、環境や提供される食事をはじめとしたケアサービスは一定の
量と質が担保され、ほぼ平等な生活環境が提供されている。
この時点で、既に医療機関内とその外でのケアが全く別な事象になっている事を確認しなければならない。
当たり前?そう当たり前なのだが私達が有している概念やサービス提供のベクトルは、
相変わらずそれらの違いを認識したものになっていないのである。
一方、サービス提供手法の観点から考察すると、サービス提供者は本当に利用者の都合や要求に従順だろうか?
「医療・福祉が広義にサービス業である」ならば、本来私達は利用者はじめ利用料を支払っている人たちの要求に応える義務がある。
しかしながら、私達が提供するサービスは利用者からの要求ではなく、国が決めたサービス体系の中から事業を創出し、法的に決められた範囲でユーザーの生活を支えようとしている。
これまで創られてきたサービスが何処か画一的になっていた事や、障害の改善や生活そのものの構築を謳いながら、老人保健施設や類似の施設が利用者に画一的な生活を押し付けて来たのもこれが起因する。
誤解を恐れずに言えば、「生活再構築」と「収容先確保」と言う相反する事象を同じ定義や概念で進めているのではないか?この国で障害や疾病を持つと生活が限りなく画一化されたものになってしまうと言う事か?
医療保険や介護保険の報酬改定の度に繰り広げられる私達側の右往左往は、何処か利用者を無視した、つまり当事者無き議論に思えてならない。
? 期間設定可能なニーズ・しにくいニーズ
「費用対効果」と言う言葉は、投資しようとする商品やサービスなどの価格が、満足度やその機能などの価値に見合うか否かを表現した言葉である。
近年医療・介護報酬決定やそのサービスそのものの政策決定にこの費用対効果を要求され始めている。報酬に見合うサービス提供手法が常に要求されている訳だが、当然その効果を計る物差しが必要である。
EBM(Evidence-based-medicine)は、医療分野での実験データや症例などの具体的証例
に基づいた理論構築を指す。
このEBMが本来の費用対効果を示す指標なのかどうかは多少議論を要する。
リハビリテーション業界に於けるこのEBMは、治療として成立する分野であれば何処までも追求されるべきものであろう。しかしこれは費用対効果指標とは意味が違う。
ここに大きな断層がある事を、もう少し理解されてもいいように思う。
医療機関の外で展開されるケア(生活)の構築に内在されるリハビリテーションは、治療としてEBMを追求可能な部分とそうなりにくい部分とが混在しており、それを明確に分離する事が甚だ困難なのである。
同じ手法を使用しても、個々の利用者の家族機能の差異や心理状態に余りに左右されるのが常態だからである。又それが「人の生活」なのだろう。
しかも私達が持つその「手法」さえ、未だ医療機関内であっても標準化されていなかったり、医療機関の外ではそれこそ個々のサービス提供者の力量によって左右されているのが現状である。
「生活構築」を前提としたサービスなのだとしたら、治療的分野のその先にあるものに
対する費用対効果指標はもっと別次元の思考が必要である。
期間設定が可能な群は、どちらかと言えばEBM指標で示しやすい。
しかし、疾病・障害重症度・時間経過に伴う変化・家族機能・心理的状態・その他社会背景等の
変数(個々人の差)を考慮したサービス提供を要求されるシーンに於いては、個々の利用者に対してどんな方向でどんなサービス提供を実施したかが問われる。
その一つ一つを臨床的に積み上げ、検証し、分類していく作業こそが必要なのである。
そしてその分類こそが、今後の私達のサービス提供の方向なのだと考える。
非期間設定群(長期支援)には幾つかの分類・傾向があり、その一つ一つのパートに私達のサービスを必要としてくれる人達が居る。
まずはその人達に、私達が何を届け、何を結果とするのかを検証する事こそ私達の務めであり、その積み上げられた検証結果こそがEBMとは違った費用対効果指標なのたと思う。
非期間設定群(長期支援)の現在の私達の分類は以下の4つである。
?)【かかりつけ支援】
?)【進行疾患支援】
?)【障害悪化ハイリスク支援】
?)【障害悪化ローリスク支援】
1)期間設定介入群 → 明確な目標設定と生活・介護手法開発がポイント
【運動器支援】
リハビリテーション分野では最もニーズが高く、又期待もされる分野である。
又、家族をはじめケアマネジャーや主治医の理解も得られ易く、効果を示しやすい。
どの支援サービスにも直接的・間接的に提供される事になる。
しかし、運動器支援の定義はその実領域が広く、専門職の役割分担も明確ではない。
整形外科領域の様な運動器に限定した障害群であっても、生活場面や社会活動といった場面では総合的な対応を迫られる。
故に、サービス提供にあたっては期間限定可能な狭義の運動器支援と、包括的且つ長期間の対応を求められる広義の運動器支援が存在する事を認識すべきである。
? 期間設定群
疼痛軽減、骨折等の期間内後療法、筋力、基礎的な体力等がこれにあたる。
サービス提供に最も適応する専門職の投入が肝要である。
理学療法士が大きな役割を持つが、意外に看護師対応が必要なケースは多い。
特に退院時移行期間の基礎体力低下の群に対しては、実質的リハビリテーションの前に看に よ る集中的なコンディションの調整を行った方がより早期に目的を達する。
疼痛軽減等一見慢性的に起こっている障害も単純に疼痛軽減を図るのではなく、福祉機器等の利用や生活環境調整等 の総合的対応が必要である。
期間内に問題解決を図り、問題が解消する事で次の選択肢が方向付けられる。
最近特に留意すべき事象としては、医療機関を治療途上で退院したり、不十分な能力開発で在宅移行になるケースである。
特に障害が重複していたり、高次脳機能障害を合併していたりするとこの傾向が強まる。又、入院中合併症を併発し、限られた治療期間内で必要な措置がとられていないケースも実際に少なからず存在する。
限定的入院日数による弊害ではあるが、医療機関から一旦出てしまった場合を想定しその後の十分な治療システムの構築は急務である。
障害状況にもよるが、1ヵ月から6ヵ月の期間設定で問題解決を図れるように、サービス提供手法を随時検討する必要がある。
十分に社会生活に対応可能になったり、生活そのものが安定したならば、そこでサービスは終了となる。
? 継続的サービス提供が必要な群
関節リュウマチや脳・脊髄損傷を起因とする障害などは、その後定期的なメンテナンスが必要である。又内服や栄養摂取等常に管理が必要な場合も想定される。
こういった期間設定に向かない継続してサービス提供が必要な群に対しては、狭義の運動器支援を早期に解消し、サービス提供目的を明確にした継続的なメンテナンスや生活の中で起こってくる障害に対してその都度支援する態勢が必要である。
「無為に・・根拠無く・・」と表現されるリハビリ若しくは関連サービスがこれらに被せられたりするが、これは所謂「維持期」と言う言葉に対するイメージであり、又弊害である。
サービス提供者も、十分なマーケットセグメントをせずに、「廃用性予防」などとピントのボケた包括的目標でサービス提供してはならない。
個々の生活に対応する機能・能力を発揮させるためのメンテナンスであり、決して後方視的な障害維持ではない。又やはり個々に違った生活条件の基で起こって来る問題をその都度解決していくシステムがなければ、生活の質どころか生活そのものを低下させる事になる。
サービス提供にあたっては、頻度・専門職・提供サービス条件等を十分に鑑み、適宜利用者サイドの都合に合致したサービス提供が肝要である。
運動器支援は、単に運動器の改善だけを図るものではなく、生活阻害因子となる条件を取り除く作業である事を銘記すべきである。
そういった意味で、障害や疾病の十分な理解と、利用者の生活状況を複合的に考察したサービス構築が必要である。
故に、消費者である利用者やそのご家族のニーズを十分把握し、その目的に沿った手段・場所・期間の設定が必要なのである。
そろそろ「誰が、何に対して、どんな目的で、どのくらいの期間、何をするのか」といったサービス提供の立て方をしなければならないし、又それを標準化する作業が必要である。
この点がはっきりしないと、サービス提供のコスト算出などできようはずもない。
そして本来到達可能であった機能や能力を獲得できない犠牲者を生み出している事を、我々は危機として捉えなければならない。
「リハビリ」は聞こえはいいが、本来の概念に基づく「リハビリテーション」が今必要なのである。
【長期支援群】に続く・・・
言葉にならなかった。
医療人として、一人の人間として、とにかく熱く込み上げてくる想いがあった。
読後、しばらくはその「想い」に言葉なく、思考が支配された。
・・・
仙台市北稜クリニックでの事件を知らない者は居ない。
地元で起こった医療関係事件であり、その事件の異様な様相と、そして長く続いた裁判。
リハビリテーション関係の仕事についていれば、北稜クリニックが当時華々しい研究成果を基に実施していたFES(機能的電気刺激治療)による新しい中枢神経損傷治療に注目しないわけにはいかなかった。
そんな次世代に繋がる研究の中枢で起こった凄惨な事件。
事件後、FESは語られる事もなくなり、時代の向こうに忘れられている。
この本は、その事件の当事者であったクリニック副院長半田郁子医師の当時の手記である。
2000年10月の事件の発端から、2001年3月クリニック閉院までの経緯。
そこで何が起こったのかは知っていたつもりだが、そこで何があったのかは全く知らなかった。
医療人としての矜持。責任。患者さん達への想い。深い絶望と悲しみ。世論と言う凶器。
憎悪と温情。屈辱と断崖。・・・・
事件の中心に居るのは犯人と被害者ではあるが、正にその渦中の責任を一身に受けられた一人の医師の苦悩と屈辱が、読む者の心を揺さぶり離さない。
何故今般の出版なのか。
もっと早い段階で、全てを失ってしまう前にこの手記が発表されてもよかったのではないか。
そんな勝手な想いが湧き上がる。
裁判前に犯人弁護団が出版した書籍には到底到達できない説得力がそこにはある。
・・・
読む者の読み方によって、この本の意味は左右されるだろう。
ある者は、純粋に事件顛末として。ある者は、社会的意義として。ある者は、この国のマスコミを中心とした社会狂気のサンプルとして。
しかし何れの者にあっても、恐らく共通の感情と確信は持つはずである。
そしてその「共通の感情」と「確信」の向こう側に、等しく心を揺さぶられる。
・・・
この事件の結果、未来に繋がる偉大な研究が閉ざされている。
それは、事件の犠牲になられた被害者の方やそのご家族だけではなく、遍く研究成果を期待した患者さん達全ての犠牲でもある。
犯人の罪は償っても償いきれないが、同時にその研究の徒を葬った我々社会の罪は如何に。
本来開かれていたかもしれない未来を閉ざしたのは、いったい誰なのだろう。
これを期に、もう一度夢の研究の続きが再考されないものだろうか?
一人の医師による自らの責務と矜持により果たされた帰結が、悲しい結末しか生まないのであれば、私達の社会とは如何なるものなのだろうか?
・・・
一読をお勧めする。
切に、お勧めする。
エルフ
1)期間設定介入群 → 明確な目標設定と生活・介護手法開発がポイント
【生活再設定支援】
退院時の移行支援に対して、この支援は既に定着している生活に内在する問題を解決したり、障害の変化に対するリカバリーが主な目的である。
既に定着している生活の中では、利用者ニーズは利用者自らが改善を望む事象こそ優先的に解消されるべきである。
この点に関しては利用者側とサービス提供者側で目的は容易に一致を得られる。
しかし、利用者側が気がついていないか若しくは家族生活環境の理由で必要ではあるけれど犠牲になっている事象もある。
こういった直接利用者側から要求はされない若しくは歓迎されない事象に対しては、両者の間に目的共有が得られないか、時間を要する場合もある。
利用者がイメージする生活の構築こそ大切にすべきであって、サービス提供者側の価値観や都合での判断は消費者である利用者との乖離を生んでしまう。
又、医療的見地から生活を考察する専門職と、介護そのもの若しくはレスパイトを主眼にする専門職とでは、利用者に提示する方向性が違ってしまうケースがある。
本来このバランスを調整するのはケアマネジャーであったり、主治医であったりが妥当であるが、残念ながら生活フィールドに立つ時間数と多方面の生活問題に単独で挑むのは困難である。
利用者とサービス提供者側との目的共有と一致した問題解決手法獲得が得られるためには利用者の生活フィールドから常にフィードバックを受け、情報を徹底して還流させる以外には手段はない。
本来、生活構築を目的とした場合、身体的障害像と生活活動そのものとを乖離させて思考するのは困難であるが、サービス提供目的を前提にニーズを分類すると次の3点になる。
? 身体的再構築 → 医療処置・看護処置・運動器支援
?)廃用性等2次障害や新たに出現した障害のリカバリー
?)回復途上若しくは障害の変化に伴う能力障害の補正
?)慢性的に必要なコンディショニング
?)ADL上必要な身体的処置
※?)?)はそのまま期間設定が外れて運動器支援・かかりつけ支援等に移行する
? 生活改善 → 看護処置・環境設定・介護手法構築・家族支援
?)介護量軽減・介護利便性改善
?)生活自立度向上・目的活動遂行能力・手段開発
?)家族社会生活支援・家族介護軽減
? 移行支援 → 移行支援・情報集積還流・その他関連支援
大雑把に3点に分けたが、一つ一つの項目は更に小項目に分けられるだろう。
生活再設定に必要な事項以上は、その後期間設定を外して、目的毎にサービス支援体制を変更する必要がある。
又、目的遂行に最も適した専門職がその都度サービス担当する事が重要となる。
訪問看護や訪問リハは、?では威力を発揮し易いし又効果も見えやすいだろう。
しかし、?・?の項目こそが地域ケアでは最も優先的に考察されるべきであり、利用者ニーズも具体的なものが多い。
利用者からのリクエストだけではなく潜在的に必要な要素であっても、必然として?・?・?の複合的な結果とサービス提供が為されなければならない。
言い換えれば、?のみならず?・?のリクエストに対して如何に自らのサービスが有効であるのかを示す事ができなければ、本来の意味で利用者ニーズを満たす事にはならない。
訪問看護、若しくは訪問リハビリのエビデンスが出にくい理由が、実は?に対する改善が?や?の指標で判定されていたり、技術的・手段的標準化が為されない状態での判定になっていたりする事にある。効果判定とは、問題に対する手段を結果として判断するものである。在宅支援系サービスの効果を判定するのならば、少なくとも「どの様な対象に」「どんな方法で」「どのくらいの期間・頻度で」実施したのかを項目毎に判定すべきである。最もその項目の設定と標準化が為されていないことこそ問題なのだが・・・・
【運動器支援】につづく
パート3各論につづく・・
]]>【Instrumental ADL支援】・・・・社会復帰・職業復帰・社会参加に対する支援
ケース1
42歳男性。脊髄損傷。両側下肢麻痺。
歩行不能だが、車椅子にて日常生活は高いレベルで自立している。交通事故で受傷。
ここまで2年近く自宅療養している。
家の中は既に環境設定され、車椅子で自由に移動可能。
ご本人の希望は自分独りで外出し、できれば仕事に戻りたいとの事だった。
問題は、長時間の座位と外出を可能にする車椅子の設定と、排尿管理にあった。
車椅子は、シーティング(座位姿勢と活動に合わせた設定)実施し、更正相談所担当及び
車椅子製作担当者と綿密に打ち合わせし製作に向かった。
排尿管理は、主治医より自己導尿の指示。
しかし神経障害のために外出時にはどうしても不安が残った。
特にデリケートな問題のためにご本人もその対応に心を痛めていた。
自己導尿は必ず実施する事として、外出時に間欠式バルーンカテーテル提案。
http://www.team-forest.net/h3-1/barun.html
主治医と打ち合わせし、カテーテル操作練習目的及び管理で訪問看護実施。
ここで生活再設定支援と目的は重なるが、利用者さんの目的が「外出」とはっきり決まっているので、こちらの支援サービス目的は、単純な生活再設定ではなく、IADLそのものに対する支援となる。
現在車の運転も可能となり、外出は自由にできるようになっている。
・・・
・・・
ケース2
68歳男性。胃がん。ターミナル支援で訪問看護が主治医と連携してサービス提供していた。
ここまでは障害悪化ハイリスク支援(ターミナル支援)だが、ご本人とご家族より職場(自営)に半日でも行きたい旨の希望があった。
主治医と相談。緊急時連絡体制構築。車椅子座位設定とシーティングの実施。職場環境設定。
家族及び関係者介護手法習得と連携体制構築。・・・その他細々と細々と・・・
利用者の参加する社会ここでは職場の評価と障害疾病に関するリスク対処を、関係者が夫々役割分担してご本人の社会参加(職場復帰)を可能にした。
約2ヵ月。亡くなる3週間前まで半日の出勤が週2回実施できた。
障害悪化ハイリスク支援転じてIADL支援か?
・・・
・・・
私達が生活している社会をどのように定義し、そして生活そのものを個別に生かせるのか。
本来、リハビリテーションとはそのような目的でサービス提供されるべきだろう。
IADLを単なる生活関連動作と和訳し、定義の定かでない社会と言う概念をただ利用者に押し付けてはいないだろうか?
「生きがい」づくりなどという大それたそして一方的なこちらの側の都合を、サービス提供の目的にしてはいないだろうか?
生活環境を無視した生活関連動作にどんな意味があるのだろうか?
利用者の「生活」をまるで「管理」するかの如くの我々のサービス提供手法は、もう止めにした方がいいのではないだろうか?
疾病や障害を管理する事が目的の医療機関。「生活」そのものを支援していく地域での活動。医療・介護の狭間が、いつまでも埋められない理由がそこにあるような気がしてならない。
参考
https://ssl.miwapubl.com/products/detail/933
http://www.team-forest.net/g1/images/20.pdf
「仕事クビになっちゃって・・」
そう言う顔は力なく。笑顔に遠い口元笑い。
「彼女妊娠してるから・・間もなく産休で。」
「収入なくなるから・・どうしようかと思って・・」
力なく、言葉足らず、為す術なく。
ため息と焦燥と背負うもののおもさ。
後ろ向きの視線はやめて前見ようか。その手伝いならできる。
彼女のお腹は負荷ではなく、彼女と君の力になるはず。
二人で泣いた大晦日。
今年、前見ようか。手伝うよ。
・・・
・・・
「疲れてしまって・・」「やること判っているのに動けない。」
「自分の弱さがゆるせない。」「誰にも見せられない顔が毎日あります。」
そういうあなたはいつも頑張っている。いつも誰かのために働いている。
無力なはずがない。弱いわけがない。
でも、疲れちゃったんだよね。そう疲れちゃったんだよ。
故郷に帰って休もう。温かい風に吹かれよう。やさしい人たちの傍に行こう。
温かで、やさしい時間。
今年、またがんばれるよ。また誰かのために働ける。
・・・
・・・
「こっちは大丈夫。正月ぐらい大切な人たちとすごしてよ。」
「最後まで自分の力で息したい。呼吸器なんかいらない。」
「めいわくかけてごめん。めんどうかけてすまない。」
「想いを伝えられないことごめん。ありがとう言えなくてごめん。」
新しい年を迎える前。私達にかけてくれた言葉。
そんなに苦しいのに、そんなに痛いのに、どうしてそんなにやさしいの?
怖くないですか?痛くないですか?苦しくはありませんか?
今年、私達はあなたの傍にいます。いつもあなたのことを想います。
・・・
・・・
夫々が、夫々に迎えた新年に。 「想う」
素敵な年になるといいね。
辛く悲しい出来事もいつか癒されて。笑顔で話せるときがくること願う。
素敵な年にしようね。
・・・
今年もわたし達は元気です。
【障害悪化ローリスク支援】・・・「歳のせいだから仕方ない」「そういうの我慢だから」
ケース1
80歳男性。変形性腰椎症。要支援2。日常生活は疼痛がなければほぼ自立域。
整形外科受診するも、「歳だからね・・」「電気かけて・・湿布もね。」との対応。
仕方なく近所のマッサージ屋さん?に通っているうちに、痛くて動けなくなった。
地域包括担当者から、「このままでは寝たきりなのでは・・」と言うご相談。
拝見すると、整形外科的な神経症状は極軽度。痛みの殆どは腰・背部の筋硬直による疼痛。
ただし暫く臥床していたので動くに動けない状態であった。
あらら・・
高齢の奥様と2人暮らし。
痛くてトイレに行けないからオムツにしようかと考えている。
地域包括の担当者さんの判断は正しい。
実はこういった何の理由もなく、寝たきりに移行していく方のなんと多い事か。
訪問でのリハ・・ここでは「運動器支援」であるが、実はこのケースの場合、数回の訪問で疼痛は解消し、元の状態に戻った。つまり「運動器支援」はほんの半月足らず。
留意事項は、腰・背部痛を生み出す原因の一つになっていた古いマットレス。
又、お話を伺うとマッサージの実施は、実は誤用の疑いがあった。
安静を要する段階で、かなり強い力で揉まれてしまって、かえって筋硬直を生み出したのでないかと思われるふしがあった。
マットレスや、疼痛防衛のためのサポーターなど相談。
運動は、包括支援センターで実施している機能訓練教室に通う事とした。
今後は、「かかりつけ支援」と必要に応じた相談訪問にて対応。
今は元気に町内会のお仕事されています。
ケース2
65歳女性。変形性膝関節症。重度の障害を抱えるご主人の介護をされている。
当初、相談を受けて訪問した時はご主人の相談かと思われた程である。
お話をお聞きすると、膝だけではなく下肢全体が痛いとのこと。
介護が大変であること。日常生活にかなり支障が出ていることを伺う。
外来受診など外出して自分のために何かをするのは時間的に困難。
常にご主人の介護が念頭にある。
恐らく、膝関節周囲のコンディショニングだけでかなり改善するのではないかと思われた。
介護保険申請。要支援1と認定を受けたので、介護保険にて訪問開始。
週2回の訪問が2週。後は週1回の訪問に切り替えた。
疼痛は下肢コンディションの改善と共に軽減、立位歩行時は専用のサポーターを使用してもらった。本来は外来受診若しくは通所リハ移行ケースではあるが・・
ご主人の介護があるために、頻回に外出できず、ただただ自分のことは我慢する。
そんな日常を誰かが生活の中から相談にのってくれる。
そういう素地が、要介護を生まない背景になければならない。
約1年後、ご主人が亡くなった事を契機に、弊社リハ特化通所に来所されている。
勿論訪問は終了。来年の春にはきっと要支援状態からも離脱されるだろう。
そしたら・・ご主人の介護で培ったプロ顔負けの技術で、ボランティアなど如何でしょうか?
何かの事情で外出出来なかったり、誰にも相談できずにただただ我慢していたり。
「障害悪化ローリスク支援」は、今すぐに危機的状況を生まなくても後に大きな問題を
抱えてしまうであろうケースに対して、「生活」の場で適宜対応可能な支援である。
医学的には問題は小さくても、「生活」の中ではその問題の大小はお一人お一人で違う。
私達はそこに気がつかなければならない。
「かかりつけ支援」と「運動器支援」を足して3で割るようなサービス提供。
「生活」環境の中で起こる全ての事象に対応する支援。それが「障害悪化ローリスク支援」。
【IADL支援】 に続く・・
参考
https://ssl.miwapubl.com/products/detail/933
http://www.team-forest.net/g1/images/20.pdf
【進行疾患支援】・・・進行性疾患・難病・悪性腫瘍等ターミナル支援
この支援群は、ここまでの何らかの身体条件・生活条件を改善させるだけが支援ではなくなる。
現在ターミナル支援に関する議論はまだ完成されておらず、その方向性には個人の価値観や家族機能、社会的認知、地域性等考慮した対応が要求される。
ご本人の希望する生活保障が如何に達成されるかが問われる事は、当然であるにしても。
ケース1
70歳男性。多系統萎縮症http://www.team-forest.net/h3-8/index.html。
要介護3からサービス提供開始。当初何とか介助歩行可能であった。
この時点では、トイレの住宅改修を含め主に介護の質的軽減に目的が集中していた。
看護サービスは主に排泄と入浴といった療養に関するテーマが主体となり、リハは廃用性と原因疾患からの機能低下に対する運動療法と介護手法の開発、それに併せた環境の変更に重点を置いていた。又通所系サービス利用も為されていた。
肺炎での入院を期に、機能・能力とも急激な低下を来たし、要介護5となる。
全身状態が不安定となり、特に体温や血圧の変動に対応した日常生活の設定が必要になる。この段階で、リハは車椅子座位の確保とそのコンディションの維持にサービス目的を変更する。看護は看護処置及び全身状態の管理を徹底する。
家族・ご本人の希望は少なくとも数時間でいいから居間で過ごしたい旨話があった。
又、介護サービスはレスパイトを考慮した内容を強化する。
入浴サービスの導入・訪問介護の時間設定等家族の介護の量的軽減が指向された。
時間の経過と共に、車椅子は血圧の低下を考慮してリクライニングに変更される。
経口での食事は困難となり、胃ろうの処置を受ける。
主治医の配慮で入院時VF実施。 http://www5.ocn.ne.jp/~swallow1/swallow/bunken_list.htm
棒のついた飴等口に入れられるものをご家族と確認し、最も適した座位の設定を実施。
ベット上環境の設定。コミュニケーション手段の開発。ご用事ブザー(緊急ブザー)スイッチの開発等、少なくともご家族とご本人が安心して在宅生活を送る手段がサービス提供の主目的となる。
次々と変化する障害に対応し、機器の変更や環境の設定を行う。介護場面での対応や手段を開発し、関わる全ての人たちが共有する。
約2年間。ご本人、ご家族、そして主治医をはじめ多くの人たちが障害の変化に対応し、生活を保障する目的で関わる事ができた。
ケース2
68歳男性。パーキンソン病http://www.team-forest.net/h3-8/index.html。
訪問サービス開始時はまだ歩行が可能であった。
日内変動が大きく、機能訓練と共に介護手法の検討が常に必要であった。
通所サービスへの移行支援が当初の目的であった。
ここまで訪問看護サービスは提供されていなかった。午前中の時間帯はどうしても機能・能力とも低い傾向にあり、又介助量も大きくなった。
通所サービス移行後は、必要な場面での相談訪問を中心に、一時かかりつけ支援となる。
ベット上起居の能力低下が報告され始めた矢先転倒。大腿骨頚部骨折。長期の入院となり、廃用性症候群進行。手術を受けなかったためにその後は立位は支えて漸く可能なレベルで歩行は不能となった。又呼吸・血圧・体温調整の管理が必要で、通所サービス等外部サービスの実施は困難となった。
退院時移行支援にて、訪問看護・訪問リハ・訪問介護・入浴の各サービス調整。
主治医を中心に綿密な全身管理と介護手法の検討・開発が為された。
進行疾患は、疾患の進行よりも寧ろこの様なアクシデントから身体機能の低下を来たすケースが多い。又十分なバイタル管理が為されないままの外部サービスは、サービスに適応できないだけでなく、機能低下すら起こしてしまう事は銘記されるべきである。
リハサービスは徹底した廃用性の除去と、常に変化する状態に合わせた介護手法の開発が目的となり、約6ヵ月の退院時移行支援終了後は、並行していた看護にその役割を移す。
障害悪化ハイリスク支援と言った関わり方となる。
看護からは絶え間なく変化する状況をケアマネジャー・主治医・他のサービス事業者に情報伝達された。
残念ながら、その後肺炎の併発により亡くなったが、最後までご家族介護で車椅子で生活できる時間を持てた。
しなければならない事。変化に対応する事。リスクを常に考慮する事。いっぱいあり。
ターミナル支援は勿論疾患や時期により、その目的やかかわりは変化する。
しかし、生活を如何に保障するかと言う観点に於いてはその基本軸は揺るがない。
末期の利用者さんの枕元で、必死に緊急ブザーのセッティングをしている作業療法士。
24時間常に管理と処置に飛んでいく医師・看護師。変化する介護手法を見事に実行するヘルパーさん。そして何より献身的に付き添うご家族。
そんな連携チームがターミナル支援の根幹を支えている。
治したり、改善したりしない医療・介護。自立支援ではなく生活の保障に徹する支援。
それが進行疾患・ターミナル支援である。
【障害悪化ローリスク・移行支援】につづく・・・
参考
https://ssl.miwapubl.com/products/detail/933
http://www.team-forest.net/g1/images/20.pdf
【障害悪化ハイリスク支援】・・・医学的管理と生活再構築が混在している場合
ケース1
70歳男性。重度の心疾患及び合併した脳梗塞による四肢麻痺。要介護5.
ベット上生活。胃ろうを中心とした栄養摂取、一部経口摂取できるものもあり。
地域保健師から相談。本人及び家族から居間で過ごしたい旨の希望あり。
約1年間ベット上生活である。往診している主治医もリスクを考慮して現状維持の指示であった。
ベット上起居は全介助。車椅子に座った経験がない。
移動は入院等の時にストレッチャーが使われていた。・・・さて・・
運動器や循環器のリハビリテーションでも廃用性症候群に対するリハビリテーションでも、その目的は「こちら側」の理屈からは幾らでも思考できる。しかし・・
この場合リスクを考慮し且つ生活の中で改善点を見出すには「こちら側」の理屈は無用に思えた。
主治医及び保健師そしてケアマネジャーと綿密に打ち合わせし、ご本人とご家族と更に相談をした。
生活の改善点は、車椅子使用が可能になる事が最も意味があるように思えた。
離床すること。そのメリットは医学的にも又介護場面に於いても大きな意味を持つ。
主治医と入念なリスク管理を打ち合わせ。訪問看護を導入し、その中でリハを実施。
座位を確保するための身体的な機能改善に取り組んだ。
当初ギャッジアップすら困難な状態から、後に支えて30分程度座っていられるだけのコンディションとなる。勿論血圧計とモニターと睨めっこの結果である。
並行して、看護師、ヘルパーそして誰よりもご家族が車椅子に移乗させるだけの条件を整えた。車椅子はリスクを考慮しリクライニングを選択し、併せてシーティングを徹底した。(http://www.team-forest.net/o_manual/?p=71)
この間、訪問看護では全身状態の改善や呼吸訓練等も実施。看護師とリハが主治医の指示の基に完全に分業体制で臨んだ。
約3ヵ月。勿論ご家族やご本人に意欲があったから可能だったのだが・・リクライニング車椅子にご家族が移乗させて、居間で約2時間程度過ごせるまでに改善した。
この時点で、既に看護師とご家族は拘縮予防のための簡単なメンテナンスを習得していたため、一旦リハは終了し看護師だけの訪問に切り替えた。
最終的には居間で過ごすだけでなく、ショートステイが利用できるまでになり、離床と車椅子座位の効果が生活の中に生かされた。
ケース2
60歳女性。糖尿病。週3回の透析。
ケアマネジャーとご家族から相談。最近歩行が困難で自分で起き上がれなくなっている。
ご主人と2人暮らしで、日中ご主人は仕事で留守となっている。
麻痺等の障害は認めなかった。・・・と言うより・・すぐに原因が理解できた。
脱水若しくは低栄養状態。電解質異常?・・・リハどころではない。
透析のために通院しているのだが、医療機関からの指示を守っているにも関わらず、生活環境はかなり考察を要する状態だった。
7月だというのにコタツに横たわっている。汗をかなりかいている。
食事は自ら用意できないため、ご主人がいろいろ購入しているもので間に合わせている。
薬剤の管理やその他の医学的な管理が徹底していない。ただ・・病院内の指示を守っている。
すぐに主治医に連絡。訪問看護投入。リハは廃用性症候群対策を要するが、現状では全身状態のリカバリーに集中した。
サービス提供以前に一時検査入院実施。又医療機関の透析担当看護師に生活環境を見てもらい、その場でカンファレンスを実施した。
秋口には・・歩行訓練が可能となった。歩行器使用ではあったが、環境設定を並行し、何とか日常生活の自立度を向上させて行ける状況にまで改善した。
【かかりつけ支援】と基本的に異なるのは、その後も同様の管理や必要に応じた専門職の投入が必要な状況が続く事である。又医学的な管理は、在宅に留まらず医療機関と直線的に連結した対応が要求される。
・・・来年にはご主人が年金支給となるので2人で居られるみたい。よかった。
医療的管理が徹底しないとすぐに自立度が低下したり、若しくは生命の危機に瀕するケースは実は稀ではない。介護保険だけの目線で在宅生活を考慮すると大変なリスクとなる。
又医療機関等が適宜対応して在宅サービスとリンクする事で、大きな効果を生む事が可能である。医療と介護場面(生活場面)が断絶した状態では、何ら対応策は生まれない。
在宅でのサービス提供では、リハは道具に徹する事が重要で、目的をはっきりと認識した上でその役割を果たす事が肝要である。
状態がハイリスクであれば尚更必要に応じた専門職の投入が望ましく、ケアマネジャーだけではなく関わる総ての職種がお互いに連携しないとサービスの効果を生まれにくい。
医療機関の外来リハを通所リハに切り替える事が、医療と介護の連結ではない。
寧ろお互いの役割を明確にし、専門職がその持てる能力を発揮しあって、初めて医療と介護場面が結ばれるように思われる。
最近・・金銭的な理由で医療機関から遠ざかっているご家庭が散見される。
どんなに在宅サービスを充足しようとも、どんなにご家族が頑張っても、ハイリスクの状態を回避できずに、ただただ我慢している状況。
・・・ケアマネジャーさんや保健師さんから相談を受ける度に心が痛くなる。
私達の社会は、医療と介護が断絶すよりももっと大きな問題を内在し始めているのではないだろうか?
【進行疾患支援】につづく・・
参考
https://ssl.miwapubl.com/products/detail/933
http://www.team-forest.net/g1/images/20.pdf
【かかりつけ支援】・・・・生活を保障するためのメンテナンス・処置・相談など
ケース1
75歳女性。大腿骨頚部骨折。退院後、退院時移行支援及び運動器向上支援で約3ヵ月訪問リハ実施。日常生活はほぼ自立に達する。通常この後は必要に応じて通所サービス移行若しくは介護保険対象から脱するケースである。
変形性膝関節症を合併していたため、元の生活水準で活動しようとすると、腰部や下肢に疼痛が出現し、そのため恒常的にメンテナンスを要する状態にあった。
又、ご主人が寝たきりの状態であったために介護で外出が制限され、外来受診や通所系サービス実施が困難な状態であった。
主に腰部・下肢メンテナンス実施。靴やサポーター、杖などの相談にのりながらサービス提供を続けた。
約1年間、理学療法士が訪問実施。当初の退院時移行支援時は週2回の訪問。運動器支援からかかりつけ支援の初期は週1回、かかりつけ支援移行後は、徐々に訪問の回数を減らし、最終的には隔週のメンテナンスで十分な状態となった。
この頃、寝たきりであったご主人が亡くなり、外出の制限がなくなったため、訪問を終了し、理学療法士在籍の通所サービスに移行した。
現在、通所サービスも卒業間近で、次回介護保険認定時には自立判定となる見通しである。現在、ボランティア活動参加を心待ちにしている。
ケース2
35歳男性。脊髄損傷。退院時までに十分なリハが実施され、車椅子移動ながら日常生活は自立域であった。相談訪問時に外出と職場復帰のための排泄に関するニーズがあった。排尿は、定時の自己導尿であったが、どうしても不安ありとのこと。主治医と相談の上、間欠式バルンカテーテル(http://www.team-forest.net/h3-1/barun.html)にて対処する 。
訪問は当初週1回の看護師訪問にて、バルンに関する練習や管理処置を実施。その後主治医指示により、月数回の看護訪問で十分対応可能となった。
排泄に関する対策や処置は、実は相談や簡単な処置で済む場合が多いが、日常生活及び社会生活に於いては大変重要な位置を占める。こういったかかりつけの支援は訪問看護ならではの大きな役割となる。
生活に密着したサービス提供であるため、様々な理由で適宜相談や処置を要するニーズがある。サービス提供は比較的長期になるが、運動器向上支援とはまた別な意味でカテゴリー化すべきである。問題が解決されれば、当然次のサービスに移行する事になる。
こういったきめの細かい生活保障と、専門職が関与する機会が、日常生活や社会生活を保障する事になる。多職種が連携し且つ医療機関よりも敷居が低い訪問看護ステーションが担う役割は大きい。
かかりつけ支援は、期間を設定し一定の効果を期待する移行支援や運動器向上支援とは違った形で評価する事が肝要である。
訪問系サービスがエビデンスを出しにくい理由の一つであるが、個々の事業所若しくは個々の専門職の問題点の捉え方が標準化されていないために、気がつかれずそのまま問題が放置されているケースが意外に多い事を知るべきである。
日常生活に留まらず、社会生活を考慮したサービス提供手法をもっと開発し、実践研究していく事が今後望まれる。
障害悪化ハイリスク支援につづく
参考
https://ssl.miwapubl.com/products/detail/933
http://www.team-forest.net/g1/images/20.pdf
現在我々のニーズ分類は,「身体障害モデル」「発達障害モデル」「認知症モデル」の3つのカテゴリーで研究を進めている。
研究は当社の事業計画に基づき、それぞれ専門分野に分けて進められている。
これまでの当社利用者の蓄積データから、ニーズとして抽出できた項目を分類し、現在の大まかなニーズ分類を実施した。
各分野とも未だ方向性を見出しきれなかったり、細部に渡る分類に至っていないのが現状であるが、少なくとも自らが提供する「サービス」の指標となり、又会社にとっては事業そのものを組み立てる根幹となっている。
蓄積データを収納するデータベース(FNS:フォーレストネットワークシステム)は、
元来医療福祉複合体内部を連結する目的で作成され、現在も複数の医療機関、老人保健施設で使用されている。
多職種が多事業で連携するための共有情報ツールとして、又そこで構築された介護手法をリアルタイムで皆が共有し、利用者や家族にそれを手渡せる事が最大の目的であった。
故に、利用者が抱える問題を当初から多職種の思考で多くの機会(事業)で解決するのが当然であった。又逆説的ではあるが、その中で自らの専門性とその主体性を見出す事が可能なのだと痛感するシーンが幾つもあった。
我々の分類データは、そういった環境の中で育まれたものである。
さて、
リハビリテーションにエビデンスが要求されるようになって久しい。
経験則に基づく手法ではなく、エビデンスに基づいた手法を要求するのは、消費者若しくはそれに代行する機関としては当然であり、言い換えればそれは社会の要求である。
しかし、リハビリテーションは広範囲な意味を持ち、サービス提供される時期や環境に大きく左右される。
仮に「訪問リハビリのエビデンス」「通所リハビリのエビデンス」などと限定したとしても、その範囲で消費者が何を要求し、我々が何をしたのかによってそのエビデンスは如何様にも変化する。
つまり、我々がエビデンスを要求されたのなら、「この要求に対してこれをしたらこうなった」と回答しなければならない。
冗談の様な話だが、リハビリテーションの範囲が広範なだけに、一つ一つの範囲に絶対値を付け、且つ定義する必要がある。
我々は、それが利用者ニーズだと考えているのである。
しかもそれは理学療法士・作業療法士・言語聴覚士といったリハ専門職だけの領域ではなく、関連する総ての職種の連携の上に成り立つものである事は銘記しなければならない。
今後とも当社ではこの利用者ニーズ分類の研究を進めるが、本来この様な研究は研究機関や医療機関等にお任せしたいところである。何より我々は現場でサービスを実践する者達であり、その中から紡ぎだせる研究はその速度も深度も限られている。
多数の有識者の下で研究がされる事を、実は切に願っている。
「かかりつけ支援」につづく・・・
参考
https://ssl.miwapubl.com/products/detail/933
http://www.team-forest.net/g1/images/20.pdf
【運動器向上支援】・・・生活に必要な運動機能・能力に対する支援
ケース5
68歳女性。下肢痛特に膝関節痛の訴え。
近所の整形外科受診で「歳だかさ・・」の決まり文句で長年通院していたが、最近浮腫みが酷く、痛みも増している。
何とかならないだろうか・・との相談。
最初お会いした時の下肢の浮腫みは確かに重度であった。循環器の障害を疑っても仕方ない程。
しかし既往はなかった。下肢痛は単に膝関節変形起因もあるが、寧ろこの浮腫みが原因のようであった。
膝関節周囲の評価。関節周囲及び周囲の筋・軟部組織に対するコンディショニング。
足部も同様にコンディショニングすると、直ぐに浮腫みは軽減した。合併していた腰部痛も下肢痛を庇っているために起こっている二次痛。肩周囲の疼痛は杖や歩行器に過度に依存した歩行様式であったために起こっているこれも二次痛であった。
運動器向上支援として週1回の訪問スケジュールでは、ご本人の活動量から改善に届かないような状況が考えられたため、週2回の通所サービスでの対応を勧めた。
しかし・・・拒否。
どうも以前に勧められて通っていた通所サービスが合わなかったらしい。それに懲りて自宅でのサービスを希望したらしい。・・・・・・・・。
訪問での運動器向上支援は2ヵ月で終了。コンディショニング及び歩行手段変更。適応するサポーターや靴の選定。
この2ヵ月での変化は下肢痛と浮腫みと腰痛と・・・外にもう一度出ようとの気持ち。
何より変化していけると言う自信。そして対応するサービスのあり方で全く結果が変わる実感。僅か2ヵ月の数回の訪問でそれが取り戻せる。
現在、リハビリ中心の通所事業所に週2回通っている。
運動器向上支援は、正にリハビリテーションサービスの中心と言っていい。
提供する側もそこに重点を置き易い。しかし単純に運動器の改善が生活そのものを変化させるケースは実は限られている。又、長期間の運動器向上支援は効果を出す事よりも寧ろ漫然としたサービス提供に陥りやすい。
支援の目的と改善の結果を得られ易いのだから、尚更サービス提供は目的指向であり且つ有期である必要がある。
併せて、疾患や全身状態等の条件、生活状況や家族機能等を十分考慮し、運動器向上が主目的であっても、多職種・多事業でのサービス提供を常に念頭にすべきである。
単一職種・事業でサービス提供が為された場合、全ての問題を解決できるかのような思考は、傲慢であり、又最良の結果を得られない事になる。
訪問リハビリテーションをはじめ、地域で提供されるリハビリテーションのエビデンスが出にくい要因の一つなのだが、未だその意識は低い。
ここまで・・・
退院時移行支援・生活再設定支援・運動器向上支援と3つの支援を述べてきた。
我々のサービス提供のための利用者ニーズ分類では、この3つの支援は有期が原則で、必要に応じて支援体制や関わる専門職や事業を連携変化させる事が肝要であることが解っている。
この中で単純にリハビリテーションだけのエビデンスを導くのは不可能であり、その思考は傲慢である。それは生活の中で実践されるリハビリテーション効果をどんな目的でどのような手段で実践したかを個別に検討する必要があるからである。
単純な話である。生活は利用者一人一人が違っているからである。
故に提供されるサービスは、基本的にもっと分類しパッケージングし、且つその精度を今後も追う必要がある。その積み重ねが、我々専門職の今後の在り様である。
つづく・・
参考
https://ssl.miwapubl.com/products/detail/933
http://www.team-forest.net/g1/images/20.pdf
【運動器向上支援】・・・生活に必要な運動機能・能力に対する支援
訪問リハに限らず、リハビリと言うカテゴリーで最もイメージし易く且つ、利用者からの依頼若しくは期待が大きい支援である。
当然セラピストも最も得意とする場面であり、又利用者と共有できるゴール設定となるため、サービス提供し易い状況となる。
しかし、在宅支援でのサービス提供であるならば、運動器支援で提供されるサービスは自ずと有期間で問題を解決しなければならないし、それはあくまでショートゴールに過ぎない。加えて、運動器に対する支援は、必ずしもセラピストが実施する運動療法のみで解決できるものではなく、様々な思考方向でサービス提供されるべきである。
そのためには、多職種・多事業で連携した支援体制が必要になる。
ケース3
79歳男性。転倒から寝たきりとなり、その後肺炎で入院。入院期間が長引いて廃用性症候群が進行した。
麻痺等は認められないため、ケアマネジャーや家族はリハビリをすれば何とか元の状態になるのではないかと期待していた。
確かに、全身で筋力低下が認められ、且つ少しの動作で息切れした。現状ではベット上生活、オムツ使用で、主治医は胃ろうすら検討していた。
理学療法士の運動療法以前に解決しなければならない問題が多数あった。つまり運動に対応するだけのコンディションにするためには、栄養状態の改善や投薬されている薬剤の検討、離床する時間を保証する体制等が必要である。
これは、寧ろ運動器支援ではなく退院時移行支援に近い状態であり、訪問リハではなく、訪問看護で短期間の内に問題を解決させるべきものであった。
事実、栄養状態と水分摂取が十分為されると、かなり運動器の障害は軽減した。
この期間セラピストが提供できるサービスは、疼痛等の緩和や、環境設定、介護手法の検討といったものである。
つまり廃用性症候群だから運動器支援なのではなく、問題を複眼視しなければ、問題解決を先延ばしするだけなのである。
運動に対するコンディションが整えば、積極的に運動療法が加えられ、後に更に機会や時間をかけられるように通所サービスに継投される。
ケース3は現在日常生活が自立しただけではなく、要介護の状態を離脱しつつある。
ケース4
65歳男性。脳出血後遺症。退院から1年。自宅内で介助歩行が漸く可能。排泄は家族介助でポータブル使用。麻痺からの緊張が強く、常に疼痛の訴えがある。月1回の外来受診以外は外出はしない。外来受診時は家族総出の介助となる。
恐らく算定日数制限のために治療途上で退院となったケースである。
本来、在宅で適応できるだけの機能・能力に達する事が可能であっても入院期間の制限のために不完全な状態で在宅生活となるケースは珍しくない。
算定日数制限はその後に機能の改善が見込める場合は緩和されるはずであるが、治療にあたったセラピストの技術水準や、医療機関の都合によりその後が左右されている。
本来あってはならない事であるし、今後の医療保険・介護保険からの視点に於いても全く不合理な状況が現在地域でそのままの状況にある。
訪問リハ対応で、最初の1ヵ月は生活再設定支援により環境や介護手法が構築される。運動器支援はコンディショニングを徹底し、廃用性の障害を排除する。
運動療法が本格的になった場合は、訪問の頻度を上げ、治療の効果を最大限引き出す。
能力の向上と並行して介護手法や環境を変更する。つまり運動器向上支援と生活再設定支援を必要に応じて展開させる。
退院時に設定された環境はこの時全く意味を持たなくなる。
住宅改修など大掛かりな手段は、生活と介護手法が確定した時がタイミングであり、現在余りに陳腐な状況がそこにある。
ケース4は、途中身障手帳により下肢装具を作り変え、(麻痺の重篤さを考慮しない装具が処方されていた)結果として屋外歩行が可能なレベルまで改善した。
現在は訪問ではなく、リハを中心とした通所事業所で社会復帰プログラムに移行している。
ケース5につづく
参考
https://ssl.miwapubl.com/products/detail/933
http://www.team-forest.net/g1/images/20.pdf
【運動器向上支援】・・・生活に必要な運動機能・能力に対する支援
ケース1
78歳男性。ケアマネジャーからの相談。体中痛くて動けないとのこと。
相談訪問時何処が痛いのか聞いてみると、体中と答える・・既往は糖尿と軽度の脳梗塞後遺症。
2ヵ月前まで自分で歩いて通院していたとのこと。
うーん・・麻痺?・・うーん・・再発?・・うーん・・糖尿病からの何か・・うーん。
「痛い」という訴えは、その疼痛の原因と部位の特定がかなり曖昧な場合が多い。
このケースの場合は、麻痺側肩周囲と腰部周囲が痛みの領域のようだった。
注意深く問診したり、触診したりするとどうやらこの2つの痛みは全く別の原因であるようだった。
腰部は周囲の筋肉がかなり硬くなっている。整形外科受診して骨折がないのを確認した後主治医にリスク確認(指示書)。腰痛対策のアプローチ実施。
肩関節周囲は所謂麻痺性。2次的な要因での疼痛のため、その場で疼痛の軽減が計れた。
腰痛は約1ヵ月で軽減。筋力が低下していたが、日常生活は支障を来たさなかった。
訪問終了。その後のメンテナンスのために通所事業に連携した。
脳梗塞だからと、歳だからと、湿布と安静だけの2ヵ月。この間に寝たきりになってしまう方が少なからずいらっしゃる。
ケース2
70歳女性。3ヵ月前に自宅内階段で転倒。骨折はなかったがその後動けなくなった。
既往は軽度の脳梗塞。日常生活は自立、近所に毎日のようにお茶のみに行っていたらしい。ベット上で全介助の状態。オムツ使用。痛みの訴えだけでなく、とにかく自発的な活動が寝返りから困難な状態であった。家族もケアマネジャーも困惑していたが、誰よりもご本人が自分を責めていた。
「転倒後症候群」・・聞きなれない言葉。でも意外に多いこういった症例。
転倒を機に、歩行が不安定になったり、妙に何かにしがみついたり、若しくは歩けなくなったり。大腿骨頚部骨折など大きな骨折の後などに見受けられる。リハビリをどんなに頑張っても運動機能からは想定できない程能力は低いまま推移する。
このケースの場合、ゆっくり誘導するとその場で座位がとれた。掴まって立ち上がり、支えて歩行が可能であった。家族もご本人も今までなんだったのかと涙目になる。
しかし、階段を前にしただけで脚がすくんでしまった。そして失禁してしまった。
精神的な強さ弱さは全く関係ない。転倒後症候群はだからこそその後に大きな影響を残す。
まず、ご家族が障害の理解を深める事。環境を整えたり介助手法を練習するといった生活再設定支援は勿論だが、それ以上に動作訓練と活動そのものを広げる機会が必要になる。訪問は意外に長期化する。6ヵ月後、4点支持歩行器ににより歩行が可能になるまで、かなりの期間を車椅子を要してしまった。
生活再設定支援と運動器に対する訓練とが混在するようなケースは、訪問リハが最もその効力を発揮できるシーンである。
ケース3につづく
参考
https://ssl.miwapubl.com/products/detail/933
http://www.team-forest.net/g1/images/20.pdf
? ADL向上支援
日常生活の何を向上させるのかを前提に、サービス提供を決定すべきである。
日常生活をバーセルインデックス等の項目で思考するのも一つの手法だが、生活環境や社会的条 件の違った場所で定量的な評価に意味を見出す事は困難である。この点に関して、我々サービス提供者はもっと真摯に受け止めるべきである。
対象となる利用者や介護に携わる方々が、日常生活のどの場面で不自由さ若しくは困難さに直面しているのかが肝要で、ごく単純な事象が意外にも生活阻害因子になっている事を我々は知るべきである。
要介護度の評価ですら、環境や社会背景といった個々のパラメーターを考慮しているとは言いがたい。新しい地域ケア体制の確立には、この異なる状況の日常生活をどのように定量化し、評価するのかが大きな鍵となっている。
現時点でできる事は、できるADLなのか、実際にしているADLなのか・・それを可 能にする因子は何なのか。実際の生活場面の一つ一つを検証し積み重ねていく事である。
? 機能改善
生活再設定支援に於ける機能改善は、廃用性症候群の改善や2次的障害の対策等と純粋に疾患に対する治療の2つの方向性が考えられる。
この場合、生活再設定に必要な要素を含むものに関しては訪問による在宅アプローチが有効だが、ある程度の頻度や時間を要する対策に関しては通所サービス等の整った環境でサービス提供されるべきである。逆に、通所サービス等で形成された機能や能力を生活場面に定着させるような場合は、その都度訪問サービスを実施すべきである。
機能改善は、主にリハビリテーションサービスを意味するように考えがちだが、身体的問題解決や内部疾患等に関する事項も原因として多く、もう少し複合的な観点で機能や能力を考慮すべきである。医療機関で長期間外来リハを受けても、介護場面でその効果を発揮させられないケースは余りに多い。
リハビリテーションの定義をもう少し広義に、若しくは複合的に考えると、提供される サービスが生活に密着し出すのではないかと愚考するものである。
? 家族支援
提供されるサービスは基本的に家族支援となるが、この場合の家族支援はもう少し包括的な意味合いを持つ。
家族の社会背景を考慮したサービス提供でなければ生活再設定とはならない。
介護手法・介護の量的軽減・社会参加のための時間確保・溜まりきった諸問題をただ聞くだけでも支援となる。
この場合最も重要な事は、利用者とご家族に今後のビジョン提示が我々にできるかどうかである。
このままの状態が今後も続くのではなく、生活の変化や向上が何らかの形で達成されるのだと示す事ができないのであれば、ケアの主体がレスパイトに流れるのは必然である。
「これだけの期間でこの問題をこのように解決していく。」そんなサービス計画が必要である。意外にもサーービス提供の効果が達成されない事を家族機能に原因を転化する向きがあるが、製品の良し悪しを顧客の責任にするが如く、余りに稚拙な思考である。少なくとも、我々はその選択肢の提示だけでもする気概が必要である。
? 連携支援
訪問看護やリハビリテーション、通所事業所での成果は、即ち介護場面に反映させなければ生活再設定とはならない。
ケアマネジャーや家族のみならず、介護サービス提供者や施設等とその情報を共有し、必要なら実際の生活場面で介護動作の練習をしたり、障害理解を深めるためのディスカッションも有効である。定期で実施される担当者会議等では、積極的に情報開示し、又情報収集すべきである。
福祉機器や住宅改修の場面に於いても、動作や介助手法の在り方で全く違った選択肢が生じる可能性がある。
又、積極的に訪問リハと通所リハを連動させた場合、その効果は単独のサービス提供よりも大きくなるだけでなく、次の展開を生み出す力にもなる。
こういったサービス連携は、医療福祉複合体の様な全てのサービスを包括的に持つ施設の得意とする処かもしれない。しかし実際は複合体に入れない若しくはそういった施設がない地域が殆どである。しかも、複合体は所詮医療からの見解を重要視し、本来の意味での生活密着型のサービスになり難い側面を内在してしまう。
今後、各々の専門職がケアマネジャーやかかりつけ主治医を中心に、互いに連動したサービス提供を心がける事が肝要である。
運動器向上支援につづく
参考
https://ssl.miwapubl.com/products/detail/933
http://www.team-forest.net/g1/images/20.pdf
【生活再設定支援】・・・提供サービス項目の考え方
生活再設定支援と退院時移行支援の違いは、既に生活環境の中に入っている状況下で
その生活を変えていかなければならない事にある。
退院時は不明確であった問題点が生活に入って露出した場合、家族の社会背景に左右される場合(ご利用者本人ではなく家族都合のプラン)、一定の手法が確立されてその環境や手段が問題となっている場合、本来の問題が気がつかれていない場合等、一旦生活に入った方々のニーズ抽出とその問題解決の理解には相当の時間を要してしまう。
このような状況下で最も重要なポイントは、サービス提供者自らが自分の役割と範囲を認識し、例え法人や職種が違っていても素直に問題解決に向かうための連携が取れるのかどうかにある。
ケアマネジャー諸氏及び主治医に最も活躍して頂きたいシーンである。
我々現場サービス提供者は、徹底的に道具に徹する事が肝要である。
・・・
生活再設定支援で提供されるべき項目は、7項目である。
退院時移行支援とは異なり、既に実行されている生活の中から問題点を抽出する作業は、容易ではない。何を変えて何を守るのかを明確にビジョン化し、サービス提供者側の論理ではなく、生活者の視点に立って考察するべきである。
故に、退院時移行支援よりも期間設定を緩やかにし、生活の混乱を招かない事が肝要である。
? 看護処置
医学的管理・処置等は当然であるが、生活の中で看護師が思考すべき問題は実は多岐に渡る。
排泄に関しては実に6割以上の利用者で問題を抱えているとの調査報告がある。 又、水分摂取や食事(特に栄養管理)は、何も摂食に関わらず家族機能や社会背景等の理由によって問題を内在している場合が少なくない。
在宅生活を保障していく素地として、看護師による問題解決手法は不可欠であり、介護場面を根底から変えるだけの力がある。
訪問看護ステーションはそう言った意味で、地域で最も敷居の低い介護手法改善の場所なのである。今後、所謂医療処置とは違った観点で看護処置を位置づけた方向性が研究されるべきであり、その標準化が必要である。
? 環境設定
退院時移行支援の場合はリスクを最大限に考慮した設定となる。生活再設定支援の場合は、リスクは勿論だが寧ろ介護手法若しくは生活の利便性を考慮した設定となる。
一度決定されている環境を変える事自体がリスクに成り得るが、繰り返し動作訓練を し,且つ介護手法の徹底を図る事で、大きく生活を変える事ができる。
又、安易な住宅改修は行わず、費用等も考慮して介護手法に合致した環境を構築していく事が肝要である。
福祉機器の変更や導入は、確固とした障害理解と環境理解の上実施されるべきである。 最も注目すべきは、普段最も過ごす時間の長い場所と介助量の多い場所に着目する事である。福祉機器は、その用途によってオールインワンモデルであるか、逆にオンリーワンモデルかを適宜判断しなければならない。その根拠があやふやな状況で導入された 機器は、寧ろ生活を阻害するだけでなく、障害を悪化させてしまう事を銘記すべきである。
? 介護手法確立
障害の変化によって、介護手法は当然変遷していくものである。
介護負担軽減などと抽象的な目標設定をしたり、介護そのものを家族機能で思考したりする事は、問題を先送りにするか若しくは障害を悪化させかねない。
生活のどの場面の何の手法を変えるのかを明確に設定すべきである。
訪問でのリハビリテーションのエビデンスが確立しにくい最も大きな要因である。
どんな場面の何を変化させるのか、その結果介護はどう変化するのかをしっかりビジョン化し、適宜必要なアプローチを実施すべきである。
同時に、そのビジョンを利用者・ご家族・ケアマネジャーと共有し、共通した目標としてサービス提供すべきである。
?〜?につづく
参考
https://ssl.miwapubl.com/products/detail/933
http://www.team-forest.net/g1/images/20.pdf
【生活再設定支援】・・・生活を変える・生活を発展させる
ケース3
65歳男性。脳梗塞後遺症。全身状態は安定。介護手法や日常生活は落ち着いている。
ベット上や床上起居動作、歩行の能力向上で更に自立度が上がるだろう見込み。
麻痺側肩周囲及び股関節周囲に疼痛の訴え。理学療法士による訪問スタート。
肩周囲及び股関節周囲の疼痛は筋緊張影響によるものだが、問題は生活上必要な動作が未完成なために、2次的障害として疼痛を引き起こしている事であった。
生活再設定支援ではなく、運動器支援(後述)に分類されるかに思われるが、意外な落とし穴がある。ご本人の訴えは疼痛を主としていたが、果たして本来のニーズはそこにあるのだろうか?
・・・
この場合、訪問はコンディショニングを主目的にしがちだが、これは悪戯に期間を長くしてしまう。
廃用性症候群予防の目的が指摘されそうだが、逆にこのようなケースの場合は訪問リハビリが廃用性を招きかねない。
週1〜2回程度の限られた時間でその予防は可能だろうか?若しくはサービス提供者がイメージしている廃用性とはどのようなものだろうか?
身体及び精神・機能能力の改善に際し、本来生活環境や社会的背景を考慮した廃用性であるならば、定義は些か違った見解があるように思われる。
勿論、肩周囲及び股関節周囲の疼痛除去は必要である。そのためのコンディショニングは当然プログラムされるべきである。
問題は何故そのような2次的障害を表出させてしまうかであるし、又本来の意味で能力の向上を計るのであれば、自ずと訪問だけのサービス提供では限界がある。
ケース3の場合、本来装着していなければならない足部装具を生活の中では未使用であった。そのため立位や歩行がかなり不安定になり移動が限定されてた。結果としてベット周囲が生活環境になっており、活動性はかなり低いものとなっていた。足部装具未使用の理由は至極単純で、不適切な処方によるもので装着時に痛みがあったからである。
訪問でのリハビリは、コンディショニングと同時に、装具使用が可能になるような手配、一時的な車椅子使用を可能にするための設定、環境設定、外部通所リハに継ぐための準備等が必要になる。
これら一連の流れを利用者、ご家族、ケアマネジャー、主治医と共有し、目的と期間を定めて訪問に当たる事が肝要である。
身体障害者手帳を利用し、装具を製作し直し、ある程度起居や歩行が改善し、外出できまでに体力が回復したところで、リハを重点的に実施する通所事業所に連携した。
・・・
限られた時間と環境の中で全てを網羅するようなリハビリテーションは不可能である。
又、現在の通所事業所にどれ程本来のニーズを汲み取ったサービスプランの設定が可能だろう?
リハビリテーションサービスが、本来の意味で利用者ニーズに応えるためには、自らの守備範囲をしっかり認識した上で、最も効果的なプログラムの構築が望まれる。
言い換えれば、万能感なぞはゴミ箱に捨て去り、その環境で可能な目的達成範囲を見極められる事が専門職としての真価であるように思われる。
・・・
生活再設定支援プログラムにつづく
参考
https://ssl.miwapubl.com/products/detail/933
http://www.team-forest.net/g1/images/20.pdf
【生活再設定支援】・・・生活を変える・生活を発展させる
ケース2
68歳女性。脳梗塞、糖尿・高血圧合併。肥満。うつ傾向とのこと。他事業所ケアマネジャーから相談依頼。さて・・
麻痺や運動障害は軽度であるように思われた。然るにベット上起居、歩行ともかなり困難を要している。何よりも生活を大変にしているのは、昼夜の排尿回数の多さだった。
ご主人他ご家族はいらっしゃったが、介護は主にご主人が為されていた。
夜間何度も起きて、ベットから起こし、ポータブルトイレに座らせ、ズボンの上げ下ろしをする。これが毎晩1度や2度ではない。ご本人もご主人もほとほとまいっていた。
食事は介助でダイニングまで歩いて移動し、ダイニングテーブルの椅子に座ってとられていた。
・・・
あれれ・・テーブルの下には処方された内服薬の粒が何個か・・確認の必要はなかった。ご本人にしてみれば、一個一個摘んで口に入れる前におこっちてしまう。拾うに拾えずそのままになってしまっている。内服の状況が思わしくない状況は別に飲み忘れなどではなく、生活環境の中にあったりする。・・・看護と主治医に連絡・・
看護師の相談訪問のついでに、水分摂取に関する評価、栄養状態の評価、尿量の評価
夜間の排尿に関する対策を実施。内服の方法は様々試し、ご家族介助をお願いした。
さて・・リハは居間・寝室特にベットサイド・トイレ・家屋内導線の環境設定。何も大掛かりな住宅改修など必要なく、その場面のご本人の動作と介護手法に合わせただけである。唯一、一本杖の歩行を支持基底面の大きい歩行器具での歩行に変えて動作訓練した。ベット上起居は方法を確認の上、動作訓練すると程なく可能となった。・・・その後内服薬の調整と夜間排泄手法検討により、夜間の排泄介助は劇的に回数が減った。勿論日中は自らトイレで排泄可能となった。
うつ傾向?・・ないよそんなの。
・・・
何か特別な事が実施されたのだろうか?
・・・
ケアプランが生活再設定向けのプランではなく、レスパイトを主目的としたものになっていた。故に介護手法の検討や開発、本来可能な事を可能にするための動作訓練が為されていないだけであった。勿論レスパイト目的のプランはご家族が希望されたのだろう。
生活する環境の中で、具体的な介護手法と生活改善が為されない場合、当然の帰結としてニーズは介護からの解放か負担軽減になる。ご家族のニーズとご本人のニーズが乖離しているケースも珍しくはない。生活再設定支援は、本来必要なニーズを抽出する事、且つニーズに対して具体的対策を講じる事が重要な視点である。又当然の事ではあるが、期間設定し可能な限り速やかに問題解決を計る事も重要である。
・・・
その後ケース2のおかあさんは・・
訪問看護は約3ヵ月で、訪問リハは2ヵ月で終了。リハビリを重点的に実施する通所サービスに移行した。訪問での看護やリハビリもニーズを満たすためには、目的指向型でなければならない。
既に歩行レベルに達し、活動量を増やし、且つ様々な問題解決を計る事が可能なサービスへ移行させた方が多角的なニーズを満たすことになる。
現在は・・通所の看護師さんと相談しながらダイエットに励んでいるそうである。
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ケース3につづく
参考
https://ssl.miwapubl.com/products/detail/933
http://www.team-forest.net/g1/images/20.pdf