エルフの日々

誰にも「約束」された場所があり・・そして誰もがそこを目指して一生懸命歩いてる
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思想なき世界

 

思想なき世界 

 

誰もがこうなったらいいのにと考えるのに、現実の世界ではそうはならない。

それは、経済的な理由であったり、一部の強力な既得権益者たちの都合であったり、偉いと云われる人たちのプライドであったり、そんな理由が障壁になるのかもしれない。

若しくは、足元しか見えていないからかもしれないし、無知であったり偏った思考や幼さからかもしれない。

何れ、誰かの都合や声高に叫ばれる声に本来持たなければならない方向性や思考が育たず消されてしまうのなら、それは余りに無残である。

 

 

国道45号線を北上すると、大型トラックの往来が激しくなる。

あの日広域に破壊された堤防をさらに嵩上げして造っているのだ。

まるで城壁のように高いその構造物は、あの日襲来した大波に対する恐怖をそのまま映している。

インフラにどれ程予算が使われ、どれ程膨大なエネルギーが費やされているのか。国土を守り、人々をあの大波から守ろうとする思想。しかし、その堤防の背後に町は無く、ただ荒野が横たわっているだけである。

いったい何を守ろうとしているのだろうか。

沿岸で暮らす人々の糧を考えず、そこで生活する条件を考えず構築されていく構造物。

背後の荒野で雑草が風に吹かれる。

 

だから言ったじゃないか。

誰かの都合で決められた基準でいくら安全だと云っても、それは通用しない。

周辺の国々は、私たちが食べているこの地域の産品を買おうとはしない。

日に焼けたあの笑顔と生産者としての誇り。今は何処に行ってしまったのだろう。

ごまかして測定したその結果を風評被害と言い訳して開き直るその思想。

自分に都合のいい情報で商うのではなく、消費者の需要に応えてこその商いなのに。

東電からの補償は産品のブランド力を落とすだけである。

 

国も県も町も全力を尽くして建設した復興住宅。

風景にそぐわない近代的な鉄筋の建物群。

でも仮設住宅で暮らす人々は今も存在している。

家を失い、避難所で生活し、仮設で日々を過ごした人々。

力がある者からそのループから抜け出した。けれど今も残る人々に復興住宅の家賃は高すぎる。

誰のための何のための復興住宅なのだろう。復興とは人々の暮らしを言うのではなかったか。

同じ風景が若い人たちにも起こっている。

教育とは本来この国の次世代のために行われる行為ではないのか。

その次世代に卒業と同時に多額の債務を背負わせるその現実の先にあるもの。

何が大切なことなのか。教育という思想に全く合致しない利得の思想。

大人たちが子供たちから搾取するその思想に未来はあるのか。

 

際限もなく拡張していく同じデザインの街。

まるで誰かが同じ街のコピーを拡げている様な風景。

郊外の巨大スパーマーケット。駐車場の端から端まで歩くだけでいい運動になる。

売られている商品は何処でも皆同じ。同じ物流網から排出される大量の同一規格、同一商品。大量に飼育されている家畜宜しくのマーケット。

行き過ぎた資本主義というマザーボード上で繰り広げられる金融優先思想、利得主義と単なる不動産業思想の生活インフラ。

人の生活を何で計ろうとしているのだろう。

その虚飾された大規模マーケットの陰で、本来人々の生活や地域を支えて来た商店街が廃れている。

 

地域を定義しようとする時、市街地中心部とその周囲を同一には思考できない。

同じく、都市部と郡部を同義には思考できない。まして被災地と呼ばれる地域を理解しようとした時、

その地域に内在する課題を都市部と同義に定義できようか。

そこで暮らす人々の生活を考慮せず、机上で立案されるその場凌ぎの対策。

それはまるで無秩序に拡がっていくコピーされた記号の様な街並み。形成される箱に人々の生活は考慮されていない。

 

 

2011.311以前から社会には矛盾や問題はあった。しかしあれ以来その矛盾や問題は露出し、

隠しきれなくなっている。急激なシステム変更に人々は翻弄され、「それはおかしい」と感じながら「それは違う」とは言えなくなっている。

全体が下り坂を下っているから、どこか昇っている様な錯覚さえ起こしてしまう。

問題は犠牲が弱者だけに留まるのではなく、普通に暮らす人々にまで及ぶ出来事が起こり始めていることだ。

 

眼前に迫る大波を前に、無感覚にスマホ動画を撮る犠牲者と同じ運命が、今の社会にありはしないか。

 

 

ペデルぺスが安楽に過ごせるはずの水中を捨て、焼けるように熱く重さを強いられる陸上に進出したのは何故だろう。

言い換えれば、水中という環境から全く未知の環境に移行しなければならなかった彼らなりのパラダイムシフト。

2011.311が原因ではない。それは大きな出来事ではあったけれど、一つの起因に過ぎない。

随分と以前から、若しくは様々な要因を経て数十年かけて作られてきた流れだったのかもしれない。

我々の水中もまたパラダイムシフトの時に来ているのではないか。

 

そんな漠然とした、しかしある意味確信的に感じる変化に、現在の私たちが思考しなければならないこととは何だろう。

変化していく環境にどう適応しなければならないのだろう。

 

最初に創めることは、現状を理解しつつ、その変化に対応する概念の方向性を見い出すことではないのか。

古い概念に囚われることなく、誰かの都合で決められるのではなく、自ら新しい思想に気が付かなければならないのではないか。

 

美しい風景を隠す城壁のような思考ではない新しい風景が、そこにはあるはずだから。

 

2019.01.21 Monday 05:23 | comments(0) | trackbacks(0) | 
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