エルフの日々

誰にも「約束」された場所があり・・そして誰もがそこを目指して一生懸命歩いてる
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プロローグ〜ペデルぺス計画〜

プロローグ 〜ペデルぺス計画〜

 

 

 酒場の淀んだ空気とオールドジャズが心地いい。

重い科せを強いられて、動かなくなりつつある心と体から一瞬開放される。 少し疲れたのかもしれない。

煙草のけむりの向こうに、様々な風景が見える。

あらゆる局面でパラダイムシフトを迎えようとしているこの世界。漠然としたしかし確かに感じる不安。

あれから7年もたつのに。あれからずいぶんと歩いて来たのに。

確かな明日はそこにあるのか。次世代に責任を持って手わたせる何ものかを生み出せているのか。

その危機意識ですら薄らぐ時間の経過と距離。

私たちは未だ薄明りの世界を彷徨っている。

 

 

あの日をメモリアルにするには、未だ傷が癒えていない。

痛みは形を変えて存在するし、その最中に語られる言葉はどれも軽すぎる。

定かならざる明日は、意識の根底に不安を与え、身体に鞭を打つ。

抽象化された希望に意味はなく、具体的行動の中にしか光はない。

 

託すしかないのだ。 夢を託すしか手立てはない。

 

医療保険や介護保険がその一部しか使えなくなって久しい。 高額の自己負担に、本来必要な医療や介護は滞り、旧来の医療機関や介護保険事業所は破綻するものが少なくない。 激しすぎる人口動態に、社会は為す術なく、途方に暮れた。

一部の高額所得層だけが最先端医療の恩恵を受け、手厚いしかし出来合いの介護サービスを受けることができる。

まるで1世紀ほど昔に戻ってしまったような世界。

元々、人口の4割超の医療や介護を社会が引き受ける事など不可能だったのだ。

加えて、福島第一原発から放出された放射性物質の影響で、人々が健康を害したり、産業の滞りから地域の経済は大きく後退を余儀なくされている。 本来必要な医療や介護は、量的にも質的にも担保する保障を失っている。  

 

 家族が分断され、個としての生活が当たり前の時代。 既にここ数十年で、そんな生活様式を当然とした社会が眼前に拡がっていた。 人は病めば職を追われ、小さき家族の背に負われるしかない。

小さき家族はやはり社会性を失い、光を失くす。 家族・家庭の定義そのものを変えなければならない。失うものが大きすぎる。

 

共同で生活する彼らにとって、家庭は個であるが、生活は個ではない。

小さいけれど個を保障する代わりに、相互に役割を担う。
建物に囲まれた共有スペースでは、車椅子の老人が小さな子供達を視ている。
若い共働き夫婦が帰るまで、共有スペースで過ごす血縁のない老人と孫。
嘗て3世代4世代が暮らした大きな旧家の様相がそこにある。
今夜の晩御飯の担当は、今日が休日のお母さんで、同じ共有スペースで車椅子の子供を視ながら料理している。
ここに来て、夜勤に出るために子供たちを置いて出かけなければならないことなどなくなった。
老人も子供もなく、健常も障害もなく、共有される生活と役割。


朝になると、隣接する療養看護のスタッフがベットごと若しくは車椅子ごと皆を連れて行く。
夕方には迎えにくればいい。痛みなく、不安のない重度の病める人々。
夜中に何か起これば、皆が心配し、皆が最善を尽くしてくれる。
独りで最後を迎える残酷さから隔絶された安息の夜。


歩くための訓練ではなく、もう一度誰かの役に立つためにリハビリに励む人々。
PCを片手で操作できるよう工夫する作業療法士。
覚えた操作で、この共有生活の様子を外の世界に発信する。
賃金によらず、夫々が夫々の役割を持ち寄り、工夫して共同の生活を守る。
介護とは、実は与えられるものではなく、自己を含めた周囲の人々との関わりなのだと気がつく。


企業は、小さな共同生活を守るために何重にも連携を深める。
医薬品、安全な食品、生活物資。環境の維持とリスクへの備え。
小さきもの達を守る小さき組織の集合。
資本によらず、役割に応じた「結」の思想。
雇用を生み出すことを最大目標にし、人々に役割を作り出していく。
巨大で装飾されたものなど何も必要ない。
街は、1つ1つの小さき組織で埋められ、その小さき組織が連なって構成される。
多職種連携は、医療・介護の範疇を超え、今や生活を守る全ての職種が、あらゆる業態が多職種・多事行連携を織り成す。


個人も企業もその存在を許される。
不安なく、孤立することなく、病んでも老いても暖かな共同体の中で生活できる。
得体の知れない抑圧者や既得権益者の暴挙もそこにはない。
額に汗した者達が、安心して生きていける。光がさす。
そんな、そんな街になったらいいのに。
小さき生活者を、小さき者たちの共同を許す世界観。
生活を管理ではなく、主体性を持つ本来の活動に昇華できる環境。

                                  
私は夢見てしまう。

混沌としたこの荒涼とした震災後の世界に、そんな次の世界があることを。
私達が目指す次なる世界。そんな生活空間と環境を目指したいものである。

(2012年エルフの日々より)

 

 

 あの頃を想い出すと、大きな危機を乗り越えようと必死にあがいていた自分とチームの状況が蘇る。

この7年よく乗り切ってきたと思う。よく歩き続けてきた。

震災前のチームは、医療介護制度を鑑み、自分たちの理想の追求に邁進していた。

小さな力だった。小さなチームだった。でもそれはゆっくりとした歩みではあったが着実に進んでいたと信じたい。

けれど、あの時から若しくは復興という命題に向き合わなければならなくなった時から、その歩みは根底から発想を変えなければならない事に気付き始める。

震災後乗り切ったはずの危機はその形を変え、想像を超える速度で拡がっている。

それは私たちだけの危機ではなく、私たちが暮らすこの地域の危機であり、この国の危機である。

 

 ペデルぺスは、動物として初めて水中から陸上に進出した生き物だった。

水の中でしか生きられない生物が、環境の変化から必然的に陸上に上陸しなければならなかった。

必然からか、生き残るための条件からか、とにかく彼らはその過酷な手段を選択した。

その後の世界で覇者となっていく定めではあるけれど、水中から上陸したばかりのペデルぺスは、トカゲやカエルのように醜くそして鈍重だった。

水中よりも何倍も重い重力。自分の体重を支えるだけの筋力と四肢の獲得。

鰓から楽に酸素をとるのではなく、焼けるように熱い空気を肺で呼吸しなければならない。

それまでの安住の環境から生き残るために自ら過酷な環境に挑んだ生き物。

 

大きな変革期を迎えている私たちの環境もまた、これからを未来を考えれば劇的な思考の転換を迫られているのではないか。

力なく、小さき私たちがその未来に向かう条件とはどんなものなのか。

嘗て過酷な環境に適応するために、それまでの躯体を変化させ鈍重で醜いけれど全く新しい躯体を手に入れた彼ら。

いったい私たちが水中から陸上に這い上がるためには何が必要なのか。

そんなことを考えてみたい。そんなことを愚直に実行しなければならない。

 

煙草の煙の向こうに見える風景は、光を帯び始めている。

暗闇の中に光を見い出す。明かりを灯す。そんな日々をまた追ってみようか。

 

  

  

2019.01.02 Wednesday 00:42 | comments(0) | trackbacks(0) | 
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