エルフの日々

誰にも「約束」された場所があり・・そして誰もがそこを目指して一生懸命歩いてる
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わすれているもの

 わすれているもの


  もうなんど「これはなんなのだ」と口をついたことだろう。
もう十分過ぎるほどの不幸と悲劇を見た、聞いた、感じた。
暖かく安全な場所で語られる他人事の評論、言い訳、そして自らも誤魔化す言葉。
その風景や出来事の前では、塵のように軽く、無用なもの。
しかし現実は、どんなに息巻いてみても、力説しても、走ってみても、理解を越える。
悲しいかな人は無力である。

 
 この5週間休息は許しても、休日は許さなかった。
「確かな明日」が欲しかった。停まることが怖かった。
午前中に北の海岸を走り、午後に南の街の人々と話した。
朝にレポートを書き、夜にミーティングを繰り返した。
果たして「確かな明日」には、まだ遠い。


 仮設住宅を見つけることはけっこう難しい。
狭い山間地に創られたプレハブ団地は、まるでよそ者を寄せ付けない風情である。
介護用品や日常品の飛び込み行商は、想像通りの苦行である。
でも、仮設住宅にたどり着くまでに見る風景とそこに暮らす人々と話をするためには、恰好の課題である。
これからの長い月日を仮設で暮らす人々がたくさん居る。
私たちは頭では解っていても、仮設住宅が如何なるものか知らない。
仮設での生活が如何なるものか知らずに、そこでのケアは考えられない。
仮設で暮らす人々を理解せずに、私たちの存在はない。

 
  白石・角田・丸森の人々と話した日に、中学生の娘に問われた。
「とうさん、給食の牛乳白石なんだけど飲んでいい?」
放射線測定器と食品検査の数字を毎日確認しても、そこに安心はない。
全国に知られた丸森のチーズ工房が、注文の激減で今月廃業を余儀なくされた。
仙台湾で獲れた巨大な鰤は、買い手がつかずいつも売れ残っている。
仙台市内の飲食店は、日本海や九州から食材を調達する。
どんなに復興の旗を振っても、人々の不安は消えない。
11月23日、南部の人々は自ら立ち上がり、食品の放射能検査を始める。
「てとてと」
http://sokuteimiyagi.blog.fc2.com/ 南部の人々の克己。
敬意と喝采。これからを示唆する活動の拡大こそ、希望の光である。

 
  津波の最前線に建てた第二サテライトは苦戦を強いられる。
周囲の環境に馴染まない真新しい建物は、余計にスタッフを苦しめる。
新しいチームが熟成する前に立ちはだかる障壁の数々。
己が力を問われるプレッシャーと、問題に気づけない稚拙さと。
迷う必要なんかないのに。
津波エリアの最前線に立つ気概と、そこに生きる人々を想うこと。
利用してくれる人々やエリアの人々と話をすればいいのに。
誰のための仕事なのかに気がつきさえすれば路が開かれる。
ただただ応援する。ただただ支援する。ただただ君たちを想う。

 
  海のそばのヘルパーステーション。
津波で全てを失い一度は東京へ出た。
でも故郷へ帰る。仮設に入り、ボランティアで皆の床屋をかって出る。
今、住めない自宅を改修してもう一度会社を復活させたい。もう一度仲間との仕事を望む。
今週からフォーレスト行商隊の仲間入りしてくれた。
精一杯のエールを。自らのこれからとその地の介護を担う新しい力。
すべてを失い、それでも再び立ち上がろうとするその姿に、ただただ感動する。

 
 すべてが整っているように見える。何も変わらず何も不自由のない街。
痛みがどこから来るのか忘れ、時に傷口が開く可能性に目をつぶる。
痛みの認識がなくなることほど恐ろしいことはない。
私たちが忘れているものを、周囲の人々が教えてくれる。
すべてを失い危機に直に直面している人々が、小さいけれど強く確実な明日を教える。
今暖かく何も不自由のない街を出て、もう一度その地に立とう。
その風景から悲劇を想起するのではなく、新しい世界に向けて立ち上がる人々を想うこと。
疲れた身体と心を満たしてくれるのは、そんな人々である。


今夜は眠ろう。

2011.11.14 Monday 02:31 | comments(0) | trackbacks(0) | 
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