エルフの日々

誰にも「約束」された場所があり・・そして誰もがそこを目指して一生懸命歩いてる
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二人の時間

二人の時間 〜私たちは何をしなければならないのか2〜

 

 

ゆっくりと過ぎているようで、彼女と彼の時間はそう長くはないだろう。

漸く彼女の元に戻ったというのに。彼女だけの彼になったというのに。

彼は、以前のように彼女に話しかけたり、触れることはない。

わずかに動く瞼のサインだけで自分の意思を伝えようとする。

それが唯一彼の意識と彼女を結んでいる。

 

もう二度と動くことのない彼の手は、しかし暖かい。

もう二度と立てないはずなのに、しかし彼の脚は彼女には重い。

二度と言葉を発しない唇は、彼女が湿らせなければすぐに乾いてしまう。

 

それでも、彼女の言葉を耳で聞いて、わずかに重そうな瞼を動かす。

注意して見ていれば、唇の端が笑っていたり、怒っているように見える時がある。

少しの時間だけど、大きな車いすに乗せて小さな庭を見せると、眩しそうな顔をする。

コーヒーは飲めないけれど、においを感じればいい顔に見える。

 

彼らが置いていったラジカセで、好きな歌を聴いている。

夜は二人とも怖くて不安になるからと、小さな灯りも置いていってくれた。

二人で居れば怖くはないから灯りはたいてい必要なかったけれど、

何度もしなければ ならない吸引には便利だった。

 

春に華を観た。夏に蚊取り線香と花火のにおいを嗅いだ。

秋に虫の音を聞き、冬に訪れる親しい人たちの声を聞いた。

徐々に変わっていく彼の傍で、小さな出来事に一喜一憂して過ぎていく二人の時間。

 

少しずつ小さくなる彼の意識の反応は時に二人を不安にするけれど、

その反応がどうであれ二人が繋がっている生活の時間に変わりはない。

見て、聞いて、嗅いで、触れて。何に喜び、何が苦痛で、どこに希望を持つのか。

二人の時間の中で醸し出されていく理解と共感。

来年の華を観られるだろうか。子供たちのはしゃいだ声につつまれるだろうか。

コーヒーの香りをいつまで感じていられるだろうか。

 

でも、何より二人で繋がる時間がずっと続くことを二人は望んでいる。

2019.02.21 Thursday 04:27 | comments(0) | trackbacks(0) | 

二人の夏

二人の夏 〜私たちは何をしなければならないのか1〜

 

 

晩夏の浜辺で老夫婦が海を見ていたんだ。

 

ご主人は鼻にチュウブを入れていた。 それは、常に彼が酸素を必要としている証でね。

多分、年来の不摂生と肺の老化が原因の病なんだ。 酸素はリュックに入れて、そこから相当の量が彼の肺に強制的に入っていく。

 

滅多に外出なんかできないだろうね。 話しかけるとチュウブを鼻からとって隠してしまった。

プライドの高い方なのだろう。 でも、5分と持たない。 唇がすぐ紫になって、肩で息を始めた。

 

でも奥さんは何も言わない。 よく知っているんだよね、彼を。

 

小さな軽自動車のバックシートには、バスケットと古めかしい釣り竿が置いてあった。

運転席側のシートが極端に前にあったから、彼女が運転して来たのかな。

 

二人で家にばかり居るから、二人とも海が好きだから。 そう。多分二人で出かけようって話になったみたいでね。

二人とも笑っていた。 明日若しくは今夜、彼の呼吸は止まるかもしれないけれど。

 

二人とも笑っていたんだ。 幾年月二人で過ごして来たのか知らない。

けれど、晩夏の海で笑う二人の夏は、永遠に続くように想えた。

 

晩夏の夏にね。

2019.02.07 Thursday 04:52 | comments(0) | trackbacks(0) | 

木霊

 

木霊

 

誰かを責めたり、誰かを打ちたたきたくない。

あるがままの、そのままの今を見ようとしている。

それでも、この2年に何が変わったのか、自分が何をしてきたのか。

振り返ると、只々茫漠とした同じような風景の中を彷徨っている。

何処まで行っても敗戦処理。何処まで行っても満たされた例はない。

 

 

県北の某所。

激しい高齢化。跡継ぎのない田畑は作物を作るよりも、保障金をもらった方が金になる。

牛は食品基準を超えてもかまわない。全部買い取ってもらえるから。

子供の居る家庭と、居ない家庭との補償金の違い。

悲しいかなそれだけで、地域の繋がりはぎくしゃくしてしまう。

もう、二度と元には戻せない。

 


沿岸部某所。仮設の一角で。

力の限りを尽くして始めた養殖筏。でも売れない。

町に贈られた測定器。でも怖くて誰も量らない。

津波は2度来たのだ。ただ、2度目は人の起こした津波だった。

数千万の借金と共に、もう一度沈むのかもしれない。

最近、お寺と葬儀屋だけが忙しい。

 


街中某所。

仮設の横で進む再開発。

巨大で押しつぶされそうな建物群。新しい街。

生活の匂いはしないけれど、近未来を意識した大型ディスカウントスパーの群れ。

地盤沈下で悩む商店街。時代の波ではなく、人為的な波がここにも存在する。

有象無象が織りなす人間が吐き出す垢の縮図。

産廃業者が引き取りを拒む程の汚染が、ただ蓄積される。

 


都内国立某所。

放射線の影響は、そのエビデンスが確立していない以上何も言えない。

廃棄物の処理場は、地元に決めさせればいい。どうせ自分たちでは決められない。

諦めるまで待てばいい。諦めて自ら出ていけばいい。保障する金はもうないのだから。

余計な話をする下請けは即座に外される。餌を与えれば尻尾を振る連中なのだから。

東北に家族は連れて行かない。「八重の桜」のポスターの前で。

彼らが紡ぐ言葉は真実で、そして悲しい。

強大で富んで広域でそんな絶対的権力。敗戦処理だけが役目の彼らの言葉は、しかし、新しい時代には引き継がれることはない。

虚しさを背負ってただ立ち去れ。

 

 

新しい風が吹くことを信じている。

自分たちの世代が負った負の遺産ではなく、新しい価値観と新しい仕組み。

次世代には、そんな世界で生きてほしい。

茫漠とした路の先に、きっと約束された土地があるのだと信じたい。

先にその場所に気が付いたら、そこで小さな灯りを燈して待っている。

灯りに気づけない時は、小さな鐘をならそう。

誰も責めることなく、舌打ちしながら、ただ歩く。

そんな日々。

 

 

エルフの日々は今回で終了します。

新しい時代を創る人々と、いつも一緒にいるつもりです。

いつか約束の地にたどりつくことを願い。

2013.04.30 Tuesday 18:44 | comments(0) | trackbacks(0) | 

新年所感2013

 

新年所感2013

 

 

 大晦日からずいぶん眠った。疲れていたのかもしれない。

昨年は大分彷徨って歩いていた。一筋の光が見え始めた。

暖かい部屋を出て、もう一度初めからやり直すには少しの勇気が必要だった。

 

 
 フォーレストは、新しい時代を迎えようとしている。
そう実感している。

自らの脚で立てる人たちが増えた。
自らの意思を持つ人たちも増えた。

もう牽引する力は小さくていい。湧き上がる力が自然に皆を導く。

「覚悟」とは、自らが立ち上がろうとする時にするものだ。

未だ路半ばと思うならば、その先を自ら探さなければならない。

サテライトケアシステム・多職種多事業連携・専門職の独立支援。

そう、私たちはまだ路半ばである。

 

 
 昨年蝉が鳴き始めるまで、自らの執着心と向かい合っていた。

拘りに拘束され、積み上げてきたものを惜しむ。

確かな明日が見えていないのに、人はつまらないもののために動けなくなる。

数カ月の葛藤の後に、自分の内面の奥底にある深い井戸の前で立ち止まれた。

井戸の中を覗くことはしなかった。それで十分だと思った。

執着がなくなると、幾分自由になれた。

もう一度元から積み上げる勇気を持てた。

 

 
 仲間が増えていった。

夏からずっと、誰かと出会い、その一人一人と繋がっていった。

形のないものに形ができていく。

苦しみの方が大きいはずなのに、何度も嬉しくて涙が出た。

人と人とが繋がることが、こんなにも素敵なことなのだと改めて思った。

 

 
 新しい繋がりがチームになっていった。

社団法人小さき花SSS。恐らく民間初の放射線防御のための法人。
その繋がりは、国内は勿論、遠くウクライナにまで拡がっている。

(株)ケアリレーション。今までの福祉機器の物流に新しい息吹を吹き込むための会社。新しい物流網はやがて様々な形で私たちの生活の糧となる。

今年前半、2つの法人の後に続く沢山の法人やチームが生まれる。

それは、互いに繋がりあい新しい世界観を持ってこの地域を変える。

人口の少なくなった地域には集落再生プロジェクトとして、都市の問題には都市型再生プロジェクトとして、被災地には復興支援プロジェクトとして。

新しい時代に、確かな明日が見えない時代に、私たちが燈す小さな灯。

 

 フォーレストは、この地域で生きていかなければならない。

私たちもまた一人の生活者として、このプロジェクトの中にいる。

 

茫漠たる地に、確かな明日を、その存在を信じて、ただ立つ。

次世代に繋ぐ夢をこそ、今紡いでいきたいものである。

 

 

新年に際し、それぞれの健闘を祈る。

 

2013.01.02 Wednesday 18:18 | comments(0) | trackbacks(0) | 

主よ人の望みの喜びよ3

  主よ人の望みの喜びよ3


  青葉祭りに雨が降らなかった記憶がない。
バブル時代に独眼竜正宗に肖って復活した祭り。
どこか冷めた感覚になるのは、雨のせいばかりではない。
桜が終わると、仙台は一斉に新緑の季節になる。
定禅寺通りも青葉通りも勾当台も西公園も、萌黄色の季節である。
仙台の街が最も美しく映える日々。
皐月とはそんな季節だ。


 青葉祭りで賑わう街の一角で、県内放射線市民測定所4ヵ所が主催する講演会が開かれていた。
反原発やイデオロギーを振りかざす団体とは違う純粋な市民グループが、その講演会に協力した。
何もかもが、生活者たる市民の手によって開かれた講演会。
会場の中は熱気とこれからのこの地での生活を考え、そして子供達の将来を見据えようとする人々で溢れていた。
外の祭りの熱気と講演会の熱気。
そのどちらもこの地で人々が営む活動に変わりはない。
例えそのコントラストが明と暗であっても、例えその思考のベクトルが反対であっても、この地でまだ人々が生活し活動している事に変わりはない。
今年の青葉祭りは晴天であった。


 秋生大滝から上流の二口渓谷の渓魚の採取が制限された。
仙台市の飲料水供給の要である大倉ダム上流の大倉川で岩魚の採取が制限された。
山の入り口には、山菜採取を控えるよう看板が立てられている。
たけのこ、蕨、こしあぶら、たらのめ、うど、ぜんまい、こごみ。
測定所の結果は惨憺たる数値である。
露地物野菜の殆どから何らかの汚染数値が出るが、土を落とし、土に接している部分を取り去ると汚染は国際基準並みに軽減する。
何処までが安全なのか、何が危ないのか、生活者の私達は知らない。
内部被爆の権威であっても、何bqが安全なのか明確には答えない。
私達の生活を、この地での生活を確かにするために何が必要なのか。
「解らない。」と応える専門家を最も信頼しなければならない原状こそ憂いる。


 仙南に土地を購入した知人。
30年のローンを組んだのに、建設予定地の土壌汚染は放射線管理区域なみであった。
マイホームの建設が進むにつれ、ため息の回数が増える。
ハイシーズンを迎えた仙台湾。
釣り船を営む知人は、予約の電話が鳴らないことに苛立つ。
1年かけて復興させた生きる糧。
鱸も平目も根魚も皆採取に制限が出された。
怒りは、誰に向ければいいのだろうか。
親の代から引き継いだしいたけ栽培。
米作と野菜としいたけだけで生計を立ててきた。
例年より豊作で出来栄えのいいしいたけは、果たして全滅した。
出荷自粛となったからだ。


 ゴールデンウイークに被災地支援のつもりで来てくれた観光客。
帰りの高速サービスエリアのゴミ箱は、そんな被災地のおみやげが大量に捨てられていた。
ところで、捨てていった人々の住む地域が、この地よりも汚染度合いが高い事を知っているのだろうか。心無く蒙昧なる行為。
震災・津波瓦礫を九州で処理するらしい。・・意味が不明である。
震災復興は中央から資金が供給され、中央が吸収していく。何が何だか解らない。
食品放射線測定機器の性能は、行政のそれより民間の市民測定所の方が遥かに精度が高い。
環境の調査は、その手法さえ確立されていない。
最近、除染は移染と呼ばれているらしい。
巨額の費用をかけた壮絶な無駄。背景にある思考とは如何に。


 混沌に更に不純物を混入したようなこの時代。
昨年は生きることに精一杯だったけれど、実はその現実は何も変わってはいない。
確かな事は、他者に頼る事なく、自らの生活を自らが構築していかなければならない事。
道化の様な振る舞い、責任を取れない子供の様なおやじ達。
この地をこれ以上辱める行為こそ、私達生活者の敵である。


萌黄色の皐月に、ため息と歯軋りは似合わない。
明日は、笑って仕事しよう。きっと。そうきっと。

2012.05.28 Monday 21:17 | comments(0) | trackbacks(0) | 

主よ人の望みの喜びよ2

 主よ人の望みの喜びよ2


  半年ぶりに河原に立った。
先日の大潮で、鱒は河を昇り始めたかもしれない。
この時期仙台湾は、流入河川から送り込まれる雪白水で濁り、そして豊穣となる。
その豊穣の海から、健気に魚達は戻って来る。
今年の雪白は、豊穣ではあるけれど、壮絶に汚染されている。
それを知っていても、健気な彼らに会いたいのだ。

 
 仙台湾に留まらず、陸前高田までの海域の魚達から基準を超える汚染物質が検出されたことを新聞が伝える。
露地物のほうれんそうが基準を超えた。
土と水。私達の命。命の営みを汚すのは誰か。


  福島第一原発事故の後遺症は、私達の暮らしに大きく影を落としている。
1年前に考察していた状況は、あまりに甘かった。                               
既に若い世代を中心に県外に移住している人々は、相当な数に上っている。
行政発表とは裏腹に、仙台市内であっても外部被爆は年間積算1ミリシーベルトを超える。
それは、簡易測定器を持っていれば、実は誰にでも判る事実である。
土壌汚染は、場所により放射線管理区域に匹敵する。
今月より、食品基準がキロ当たり500bqから100bqに変更された。
食品内部被爆だけを考慮すれば、100bqなのだろう。
しかし、外部被爆をも考慮すれば、食品の基準はキロ当たり40bq以下となる。
何処からが危険で何処から安全なのか。安全の絶対値は誰にも答えられない。
外部被爆と内部被爆では物理的に全く性質を異にする。
ドイツの食品安全基準は、子供は4bq、大人でも8bqである。
無知であること、無関心でいること、むやみに恐れ目を背けることは将来に禍根を残す。
この地を守るために、私達の生活を守るために、今何ができるのだろう。


 通称「あんてん」。U-10が活動し始めて暫くたつ。
農業や漁業の一次産業に携わる人々は、出荷する全ての商品検査が可能である。
会費で運営される市民検査所は、商品の検査のみならず、簡易に土壌検査や環境検査を
可能にしている。
そこから得られる知見は、様々な形式で汚染対策を実現できる。
研究者がその裏づけのための根拠を示し、継続した研究が可能である。
出荷される商品は全てがキロ当たり10bq以下であり、市民測定所が保障している。
出荷された商品は、地元会員の小売店で「U-10」のブランドで販売される。
いちいち消費者が商品検査しなくても、地域の流通は守られている。
一次産業だけではなく、加工品や飲食店に於いても会員には同様の保障が為される。
一般市民も会員として参加できる。
様々な地域情報が還元されるし、不安を持ったらいつでもワンコインで測定ができる。
低被爆地域で暮らしていくためには、環境や食品に関する注意だけではなく、定期的に簡易にホールボディカウンターでの検査を要する。これも少なくとも1年に何度か検査できる体制が取られている。
子供達や妊婦だけでなく、定期的に安全な地域でのリフレッショローテーション(保養)
のサービスも受けられる。
この連休と今年の夏休みは十和田や青森で過ごす予定である。
地域には、小さいけれどU-10の事業所が沢山あり、そこが情報やサービス提供の主体になっている。
全ては、この地で生活する人々がU-10会員となって連結し、市民や企業が様々な連結を
結んだ形で問題に対処している。
間もなく、U-10福島とU-10関東ができる。
東日本皆がその地域で生活してくために必要な条件を共有し、発展させる。
この地で生活できないのは、放射能汚染でもなければ風評被害でもない。
人々が、主体的に生活者としての役割を果たさないことにこそ、その理由がある。


 私は夢見てしまう。
そして、もしかしたら間に合わないのかもしれないと不安にも思う。
間もなく、小さな「U-10」が始動する。
鱒達は、今年も子孫を残すためにあの海から遡上する。
不安を押し込めるために、私は河原に立つのかもしれない。
まだ、膝を着くわけにはいかないのだ。

2012.04.09 Monday 16:12 | comments(0) | trackbacks(0) | 

主よ人の望みの喜びよ

 主よ人の望みの喜びよ



  あの日をメモリアルにするには、未だ傷が癒えていない。
痛みは形を変えて存在するし、その最中に語られる言葉はどれも軽すぎる。
定かならざる明日は、意識の根底に不安を与え、身体に鞭を打つ。
抽象化された希望に意味はなく、具体的行動の中にしか光はない。


託すしかないのだ。
夢を託すしか手立てはない。


  医療保険や介護保険がその一部しか使えなくなって久しい。
高額の自己負担に、本来必要な医療や介護は滞り、旧来の医療機関や介護保険事業所は破綻するものが少なくない。
激しすぎる人口動態に、社会は為す術なく、途方に暮れた。
一部の高額所得層だけが最先端医療の恩恵を受け、手厚いしかし出来合いの介護サービスを受けることができる。
まるで1世紀ほど昔に戻ってしまったような世界。
元々、人口の4割超の医療や介護を社会が引き受ける事など不可能だったのだ。
加えて、福島第一原発から放出された放射性物質の影響で、人々が健康を害したり、産業の滞りから地域の経済は大きく後退を余儀なくされている。
本来必要な医療や介護は、量的にも質的にも担保する保障を失っている。

                        
家族が分断され、個としての生活が当たり前の時代。
既にここ数十年で、そんな生活様式を当然とした社会が眼前に拡がっていた。
人は病めば職を追われ、小さき家族の背に負われるしかない。
小さき家族はやはり社会性を失い、光を失くす。
家族・家庭の定義そのものを変えなければならない。失うものが大きすぎる。


  共同で生活する彼らにとって、家庭は個であるが、生活は個ではない。
小さいけれど個を保障する代わりに、相互に役割を担う。
建物に囲まれた共有スペースでは、車椅子の老人が小さな子供達を視ている。
若い共働き夫婦が帰るまで、共有スペースで過ごす血縁のない老人と孫。
嘗て3世代4世代が暮らした大きな旧家の様相がそこにある。
今夜の晩御飯の担当は、今日が休日のお母さんで、同じ共有スペースで車椅子の子供を視ながら料理している。
ここに来て、夜勤に出るために子供たちを置いて出かけなければならないことなどなくなった。
老人も子供もなく、健常も障害もなく、共有される生活と役割。


朝になると、隣接する療養看護のスタッフがベットごと若しくは車椅子ごと皆を連れて行く。
夕方には迎えにくればいい。痛みなく、不安のない重度の病める人々。
夜中に何か起これば、皆が心配し、皆が最善を尽くしてくれる。
独りで最後を迎える残酷さから隔絶された安息の夜。


歩くための訓練ではなく、もう一度誰かの役に立つためにリハビリに励む人々。
PCを片手で操作できるよう工夫する作業療法士。
覚えた操作で、この共有生活の様子を外の世界に発信する。
賃金によらず、夫々が夫々の役割を持ち寄り、工夫して共同の生活を守る。
介護とは、実は与えられるものではなく、自己を含めた周囲の人々との関わりなのだと気がつく。


企業は、小さな共同生活を守るために何重にも連携を深める。
医薬品、安全な食品、生活物資。環境の維持とリスクへの備え。
小さきもの達を守る小さき組織の集合。
資本によらず、役割に応じた「結」の思想。
雇用を生み出すことを最大目標にし、人々に役割を作り出していく。
巨大で装飾されたものなど何も必要ない。
街は、1つ1つの小さき組織で埋められ、その小さき組織が連なって構成される。
多職種連携は、医療・介護の範疇を超え、今や生活を守る全ての職種が、あらゆる業態が多職種・多事行連携を織り成す。


  個人も企業もその存在を許される。
不安なく、孤立することなく、病んでも老いても暖かな共同体の中で生活できる。
得体の知れない抑圧者や既得権益者の暴挙もそこにはない。
額に汗した者達が、安心して生きていける。光がさす。
そんな、そんな街になったらいいのに。
小さき生活者を、小さき者たちの共同を許す世界観。
生活を管理ではなく、主体性を持つ本来の活動に昇華できる環境。

                                  
私は夢見てしまう。
混沌としたこの荒涼とした震災後の世界に、そんな次の世界があることを。
私達が目指す次なる世界。そんな生活空間と環境を目指したいものである。

2012.03.19 Monday 11:37 | comments(0) | trackbacks(0) | 

西本町のおやじの唄

 西本町のおやじの唄


「やるなら今しかねえ。やるなら今しかねえ。」


サンレイガイガーの垢抜けないスイッチを入れると、チーちーチーって鳴く。
テレビの脇に置いた線量計は、今日も結構な数字を出している。
その数字を見て、舌打ちしながら今日も変わらぬ一日を感謝する。
変わらぬ事がどんなに安心か。
自分が何処に立っているのかがよく分かる。


「代表の話を聞いていると心配で眠れなくなる。」
そんなこと言われた夜。
「そうだよな。」って呟く。
皆何か不安を抱え、それでも精一杯毎日を送っている。
もう十分だし、人のことなんか知ったことかと嘯いてみる。
でも、でもだめなんだよな。
何がなんでも皆を守りたいんだよな。必要とされた時に知らねえよって言いたくない。
大丈夫だよって、何があっても準備はできてるって言ってやりたい。
これからを紡いでいく世代。次世代を育む君達を守りたい。
それが、この地を守るということ。


「やるなら今しかねえ。やるなら今しかねえ。」


あんたはさ金髪のフランス人だから許されるんだよと、もう何度背中に言ったか。
子供達が流された小学校の前でシャッターを切る彼を、俯いてサポートした日。
「昨年から福島はフクシマになりました。」友人からの皮肉に満ちた年賀状。
じいちゃんととうちゃん置き去りにして、3代目は九州に移住した。
「ここじゃ農業やってられない。これから食っていけない。」奴の言い分。


来年度の制度改定。政府は被災地に限り「訪問リハステーション」を認めるとか。
長年の悲願に、業界は組織ごと張り切っている。
知っているのだろうか。無人の荒野に訪問車を走らせる虚しさを。
知っているのだろうか。仮設で暮らす人々のことを。
行政と医療法人に支配された顧客争奪戦の地を。
知っているのだろうか。
でも、やるなら今しかねえだろうな。そんな地域にこそ根を生やせる専門職集団である事の証明。 「やるなら今しかねえ。やるなら今しかねえ。」


だからさ、酵母とか細菌とかじゃセシュウムなくなんないんだよ。
聞き分けないけど、何としてでも農地を復活させたいまっすぐ目の農業おやじ。
「白魚からさ。今年は白魚からなんだ。」網の目紡いで目を細める漁師のおやじ。
「売れないんだ。ほんと売れねえ。」魚屋のおやじ。
笑って「それなら俺が売れるようにしてやるよ。」ってすし屋のおやじ。
誰もが正直で、誰もが真面目に生きている。頭が下がる。


既得権を振りかざし、小ざかしい自己誘導理論で皆を誤魔化すおやじ達。
小さき者達を笑い、踏みつけて、人を嘲笑うおやじ達の顔など見たくもない。
訳知り顔のあんた達に、何が分かるのか。
「日本も今じゃくらげになっちまった。」


「やるなら今しかねえ。やるなら今しかねえ。」


定かならざる「明日」を創るために歩いている。
無駄あしと空振りの連続だけど、それでも種をまく。
うれしいことが偶にある。それがいけない。またがっかりするからだ。
もうすぐ準備が整う。何があっても安心できる環境とその仕組み。
盾の準備ができれば、矛を研げる。
平成24年度は、もうすぐそこにある。


「やるなら今しかねえ。やるなら今しかねえ。」

2012.02.10 Friday 21:24 | comments(0) | trackbacks(0) | 

新 年 所 感

 新 年 所 感

 平成23年は、西暦2011年という年は、恐らく歴史に残るのだろう。
あらゆる意味で、それまでの世界観を変える事になる出来事が連鎖的に起きた。
私達は時に翻弄され、汚され、温かさを知り、痛みを鈍磨させた。
それは、新しい年になっても続いていて、そしてこれからも続く。
私達はこれからそんな時代に生きていく。


「闇(災害)の中に、すでに光(生まれるべき社会)がある。闇に突き落とされた人たち(被災者)の中に――。」
これは、ニューオリンズのハリケーン被災地で米国のジャーナリストが発した言葉である。
新しい年を迎え、私達が置かれている状況は、その問題の大きさからはっきり理解されないまま時間だけが過ぎ去っている。
危機を煽るつもりも、社会を悲観しているわけでもない。
私達にとっての「光」、生まれるべき社会とは如何なるものなのかを探りたいだけなのだ。


「クリエイティブ生活者」

 全てに於いて「結果責任」なのだと学んだ。
「想定外」とは、余りに愚かな言い訳であり、その結果もたらされる状況は無防備で愚かだ。
知らなかったでは済まされない。まず知ろうとしなければならないし、後の言い訳は単なる敗者の言分である。
これは何も学者や役人・政治家の話ではない。
これから起こる出来事の兆候は既に足元にあり、その兆候をフィールドから探る努力を惜しんではならない。
フィールドからの情報は、須らく吟味され、情報を皆で共有する事。
そこから新しい対策を紡ぎ出す事こそ旨としなければならない。
これからの時代は、個々の人間・組織・地域が夫々の生活エリアで問題を解決する新しい手法や発想を創造しなければならない。
とは言え、全てを見通せるわけもない。まして私達は全能からほど遠い小さき者達である。
しかし如何なる状況になろうとも、決して屈せず常に創造的に生きていくしか「結果」は得られない。
そういう意味で、私達は徹底した現場主義によるクリエイティブ生活者にならなければならない。


「共有」という思想
 
 少ない物資をより有効に活用するために、私達は「共有」する事を学んだ。
足りないものを均等に分け与えるのではなく、足りないものを持ち寄って不足を補った。夫々の役割に気がつき、力を合わせる事でより大きな力となった。
その大きな力は、端にエネルギーの大きさではなく、及ぶ範囲やそれまでの不可能を可能にできる力であった。
力を分散させるのではなく、集積し、より大きな力として皆で共有する。
それまでの常識を超え、所属を超え、そして新しい世界観を創造していく。
例え、立場や価値観の相違があったとしても、求める若しくは求められるニーズに従って
持てる力を提供し合い、力を発揮するフィールドを共有するべきである。


「コミュニティ」の強化
 
 ともすれば絶望的になる風景の中で、私達を救ったのは、隣人の存在であった。
それは家族であったり、同僚であったり、地域で共に生きる人々であったり、遠くで心配してくれる友人達であったり、見ず知らずの誰かであったりした。
思いもかけない、でも信頼に足るそれらの有形無形の繋がり。
それは、実は如何なる時代でも普遍なのだろうけど、それでもこんな時代だからこそ救われる温かさなのだ。
私達は、「繋がり」を学び再認識した。
その「繋がり」を仮に「コミュニティ」と言葉を置き換えて、これからを思考したい。
「コミュニティ」は、これまでの関係や社会的所属を超え、価値観や距離を超え、様々な形式で私達を繋いでいく。
そんな「繋がり」を強化し拡げたい。
地域で生きる生活者として、常に隣人との繋がりを形成する。
廃墟の中だからできたのではなく、その廃墟で見つけた唯一のこれからの糧なのだから。


「STAY DREAM」
 
 この10ヵ月、十分戦って来たと思う。
何千年かに一度の災害。終わる事のない原発事故。
夕べに別れを強制され、不条理に耐える張り詰めた意思。
長い年月をかけて積み上げて来たもの達を捨てなければならない悔しさ。
強いとか弱いとかそんなの関係なく、崩れる必然。
誰がそれを責められようか。
復旧は我々の責務だけれど、恐らく復興は次世代に繋がれなければならい。
世代を超えて、次の季節を待たなければならない。
挫けたら、休むしかない。泣きたい時は泣かなければならない。
次の世代の芽吹きを妨げるものが、最大の障害であり「悪」である。
とにかく、今を諦めず、できる事をできるだけやっていくしか手法がない。
諦めないために必要な事。「託す夢」を置く事。
「確かな明日」の積み重ねが、未来を希望する私達の唯一の武器。


 
 考えてみれば、私達は「闇」の中に、幾つもの「光」を見出している。
その「光」が、来るべき新しい世界に繋がる事を切に願う。
来るべき新しい世界を担う若い世代と小さな子供たちを育める社会。
世代間格差ではなく、世代間協力で新しい時代に臨みたい。
未だ定かならざる明日だからこそ、「闇」の中で見出した小さな「光」に賭けてみたい。


新たな年を迎え、私達は大きく舵をきる。

2012.01.04 Wednesday 20:54 | comments(0) | trackbacks(0) | 

今年のこと・来年のこと

今年のこと・来年のこと


平成23年。
我々フォーレストグループは、飛躍を約束されていた。
彼岸のフランチャイズサテライトが、合同会社地域ケア開発機構により始動し、6月には第一号の起業者を出すはずだった。
ここまで10年。
独りで歩き始めた時代から、夢を具現化するために走り続けた季節の結実。
一人一人の仲間たちが繋がり、新しい地域ケアを未来に向けて放てたはずだった。


あの日。あの日が来るまでは。


人知の及ばぬ所業。
人間の小ささなどとそんな悠長さは、感情の外にある。
圧倒的な理不尽。圧倒的な悲劇。
どんな形容詞でも追いつかない。
この世界を引き裂き、もう一度すべてを荒野に帰す所業。
ふざけている。 それはふざけすぎていた。
それが今年。東日本大震災だった。


ナビテレビの小さな画面に映された名取川河口を遡る津波。
一瞬で東サテライトに意識が飛んだ。
地震で崩れさったスパーに駆け込み、店に頼み込んで、ありったけの食料をダンボールにつめながら、沿岸部を走る訪問部隊を思った。
次々に浮かぶ最悪の状況。
本体司令塔が静岡に居ることを考えれば、一刻も早く、岩切のコクピットに戻らなければならなかった。


あの時、スタッフが皆無事でいてくれたことに感謝している。
誰も犠牲にならず、大きな怪我もせず、「大丈夫です。」と言ってくれたこと。
そして、職場を放棄せず、利用者や家族を想い、共に行動し、自らより他者を優先した行動を何より誇りに思う。
そしてその後全国から寄せられた沢山の支援。
その支援のお陰で我々は起動できたし、そして地域に物資を届けることができた。
寄せられたその想いにこれからも応えたい。「感謝」の言葉だけでは到底足りない。


「確かな明日作戦」が始動したのは、まだ街が復旧する前だった。
フィールドからの情報を皆で分析し、その対策を講じた。
自らが起動することと、現状を改善するのと並行して、全国からの支援を地域に運んだ。
岩切本社は一時、20名体制で生活することになる。
通勤するスタッフは、乗り合い送迎車で出社し、徒歩や自転車で地域を周った。
「災害時安否確認レベル表」は、その後余震や秋の台風の時に大いに貢献した。
3ヵ月毎に実施する「生活ニーズ調査」は、刻々と変化する地域の状況を露出させた。
必要と考えられる備蓄はいつでも地域に放出し、我々の業務を支援するだろう。
次々に降りかかる障害は、各事業部の連結を強化し、専門職間の連携とは如何なるものかを教えてくれた。


9ヵ月の期間で傷は癒えたのか。
守るべきものは、確かに守られているのか。
明日に向かって確かに飛びたてるのか。
我々が置かれている状況が、容易く変わるわけもない。
長く続く耐久レースに、仲間が倒れていった。
早朝出勤と夜なべして作った千羽鶴。
2人の主任の机の上は見たこともない程片付いている。
感情を制御できない時がある。不安に怯え、眠れぬ夜がある。
どうしたら「確かな明日」が見えてくるのか足掻く毎日。
私達は、そんな場所に居る。


県内及び被災地と呼ばれる地域は、猛烈な人口動態が起こっている。
復旧を復興と言葉換えても、変わらぬ環境。
仮設住宅に通えば通うほど募る重い想い。
事は阿武隈以南の話ではない。
次々に明らかになる福島第一原発事故の後遺症。
「知らない」では済まされない脅威が、そこにある。


生き残った者として、その義務を全うしたい。
次の時代を担う若い人達を守らなければならない。
医療・介護が立脚できる確かな足場を創っていくこと。
不安と疲労と戦いながら、長く続く私達の「確かな明日作戦」を遂行していきたい。
フォーレスト計画と、それに内在するサテライト計画を慎重に進めながら、次の時代に備えたい。
それが我々に与えられた存在意義と想う。


厄災と苦境の平成23年が間もなく終わる。
痛みと疲労に鈍磨した心と身体を癒しながら、我々は新しい年を迎える。
定かならざる「明日」だけれど、未来が垣間見える来年にしたい。
心からの感謝と決して独りではないという温かな想いを胸に、「明日」を迎えよう。

2011.12.16 Friday 20:58 | comments(0) | trackbacks(0) | 
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