陽はまた昇る
情けないほど無力でみっともないほど慌てふためく世の中を、久しぶりに体験している。
先の見えない明日におののいて、無意味に奔走したり、誰かを非難したり、弱いものをたたいたりする。震えがくるほど哀しく淋しい世情。
確かあの春もそんな感じだった。
誰かの損得や都合で犠牲が生まれるのならば、それは人の所業ではない。
不安や恐怖に縮む人々に仕方がないという愚か。
自分の非をごまかして犠牲を生む愚か。
想定外とうそぶいて義務を果たせない愚か。
自らの無知を隠して自らを誇張する愚か。
現在幾つもの愚かが、私たちをそして社会を蝕んでいる。
確かな明日はあるのだろうか。もう一度そんな想いに苛まれる。
昨年沖縄の西端の孤島を訪れた。
そこには自分の知らない文化があり、何より見渡す限りの青い海と手付かずの原生林に
とことん自分の無力を感じた。どう足掻いてもかなわない圧倒的な自然の力。
自分の器の小ささが寧ろ清々しかった。全てを背負う気になっていた自分の愚かさが笑えた。強烈に身を刺す日差しの下で、自分が浄化されていく感覚が嬉しかった。
2020 5月。
私たちのグループは、新しい事業と来るべき未来を夢見て、組織を大きく変化させた。
株式会社エルフ倶楽部を筆頭に、各法人をホールディングする体制を敷いた。
誰かの会社ではなく、より公器としての形へと変わった。
運営の思考は個から集団へと移行し、多岐にわたる現場を繋いでいく。
幾つもの現場が、共有する幾つものシステムで結合し、その役割を果たしていく。
森林は多種多様な生態で構成され、一個の有機的な塊として存在する。
小さなものから大きなものまで、一つ一つの役割を果たす事でその存在を現す。
我々はそんな集団を目指した。
今年から来年にかけて新しいプロジェクトも用意されている。
ぺデルぺス計画に裏付けされる確かな臨床ベースの仕組み。
医療法人と広域居宅事業をベースにした新しい情報伝達事業。
地域で「生活」していくための様々な仕組み。新しい働き方、暮らし方。
その一つ一つが、私たちの糧であり、未来へ繋ぐ道筋となるはずである。
そのための組織改革。そして未来へ向けての想いである。
その未来が今大きく歪もうとしている。
誰かの思惑や損得もあるのかもしれない。でもそんなものが消し飛ぶ程の変化が
現在起こっている。恐らく世界は変わる。
混沌の中で多くの犠牲の上に見えてくる未来とは如何なるものなのか。
2011/311あの時の危機と現在を比べるのは、何ら意味がない。
危機の類型も規模もそしてその意味も違う。
しかし危機に際して、私たちの反応は実は根幹の部分で相似している。
事の大きさが見えず、予測不能の未来に対する不安と焦燥を感じている。
「確かな明日はあるのだろうか」希望が見えなくなるとそこには不安と絶望しか残らない。
現在進行中のプロジェクトは、フォーレスト結社の目的を中核に、あの春を境に考えなければならなかった私たちの「生活」に力点が置かれている。
あの春から私たちに確かな明日は存在していなかった。一見何事もなく過ぎていく時間。
約束された明日は見えていたはずだし、大きな負債の存在は大分薄められていた。
本当はある日突然ではなかったのだけれど、それでも自分たちの立ち位置をある日突然気づかされた。不確定な明日になるなんて誰も考えていなかった。
その中で、私たちは「確かな明日」を目指して奮闘してきたはずである。
何ら迷うことなく、これからも未来を想定し、明日を確かなものにして行かなければならない。
それは一世代で終わるわけはない。
何世代もかけて獲得しなければならない長い道程なのだと思う。
次世代に繋げるプラットホームを、現在の出来る限りの力で創造する事。
混沌とした不安な世情で、私たちは強く想い、確かに歩まなければならない。
新しい季節が、混沌の世情から始まる。
雷雲が近づく中での船出の先に、きっと希望の灯を見つけたい。
皆でその灯を目指したい。今、そう思っている。